腐令嬢、限界を感じる


 リゲルはここしばらくの間、やけに攻略対象者達を見ていた、という。


 お兄様、ディアヴィティ、ペテルゲ様、ファルセ、デスリベ。レオはいつでも側にいるから除外したとして、もしかしたらイリオスのことも――。


 脳内に、ゲームのエンディング映像が流れる。馬車に乗り、式場へ向かうヒロイン。扉が開かれ降り立てば、彼女は真っ白なウェディングドレスを身に纏っている。差し伸べられた手を取ると、そこには微笑みを浮かべた攻略対象者。

 そして二人は、綺羅びやかな広間でダンスを踊る。ヒロインは庶民でダンスの心得もないはずなのに、驚くほど美しく洗練された動きで。二人で踊るのが当たり前のように、息ピッタリで。


 私の頭が再生したシーンは、イリオスルートのエンディングだった。それ以外、浮かばなかった。


 世界は、イリオスルートに向かいたがっている。続くラノベの世界を現実のものにしたいからだ。

 今リゲルがレディの作法を教わりたがっているのは、エンディングを迎えた後につつがなく王宮に入るためなんじゃないか?


 ラノベの内容については、詳しく聞かされていないからわからない。けれどリゲルは『聖女』として登場するということだけは、イリオス――江宮えみやが打ち明けてくれた。他の攻略対象者達は、彼女の支援者として登場するんじゃないだろうか?


 たとえそれぞれのルートに進まなくても、ゲームで彼らはリゲルを中心にして集まる。主人公だというお兄様に、リゲルはイリオスと共に協力する形で物語に大きく関わるのでは? リゲルという共通の知人を介して、他の攻略対象者達もお兄様と関わり、皆戦に巻き込まれる――その物語の土台を作るために世界の力がリゲルに働きかけ、彼らを注視するようになったのでは?



「あ、あの、クラティラスさん?」



 リゲルの声に、私は我に返った。



「ご、ごめんなさい。お忙しいのに変なお願いしちゃって、迷惑でしたよね。どうか忘れてください! この件は他の方に当たります!」



 頭を下げて、リゲルが踵を返す。


 そうだ、リゲルには私以外にもアテはある。紅薔薇のレンズに加え、クラスメイト達にも貴族はいるし、さらにこれまで様々な相談に乗ってきた先輩後輩の令嬢達もいる。

 もしかしたらゲームでは、彼女達の誰かがリゲルにレディの作法を教えたのかもしれない。リゲルがこれまで様々な人物との人脈を作り広げたのにも、密かに『世界の力』が導き働きかけていたせいだったのかもしれない。


 つまり、ここで私が断ったって無駄だということだ。



「……わかったわ」



 リゲルが玄関の扉に到達する前に、私は静かに答えた。リゲルが恐る恐るといったようにそっと振り向く。



「リゲル、私がレディの何たるかを教えてあげる。けれど、これだけは覚えておいて」



 私はリゲルに向かって歩き、その両肩を捕らえた。



「レディってのはアハハオホホと笑ってる裏で、干からびるくらいに涙と汗と血を流しているの。想像しているようなキラキラした生ぬるい世界じゃねぇ。憧れだとか理想だとかもろとも、身も心も粉砕されるかもしれない。甘い気持ちで挑むなよ? 死地に向かう覚悟で行け!」


「は、はいっ! ありがとうございます、クラティラスさん……じゃなくてクラティラス先生! あたし、頑張りますっ!」



 悪役令嬢を超える極悪凶悪令嬢スマイルで凄んでも、リゲルは怯みもせず元気良く頷いた。


 いい返事だ。よしよしと頷き返しながらも、彼女の素直な笑顔に小さく心が痛んだ。


 二つの望みをかけて、私はとある人物に彼女を託すことにした。その人物とはアンストッパブル・ダンシングマシン、フルスペック機能を搭載したマナーモンスター、社交界に咲くオショレディなどなど……様々な異名を持ち、淑女の鑑とも個性の狂い咲きとも呼ばれて恐れられているレジェンドレディ、ダクティリ・レヴァンタ一爵夫人。


 お母様なら、リゲルにレディの道を諦めさせることができるかもしれない。けれどお母様の特訓を乗り越えられれば、リゲルはどんな場所でもやっていける完璧なレディになれる。たとえ王宮でも、だ。


 リゲルにはレディになってほしくない、でももしもの時のためにはどこに出てもそつなくこなせるレディになってほしい――そんな相反する願いを、私は抱いていた。


 リゲルが無理だと諦めたら、イリオスルートのエンディングを避けられる可能性が上がる。それはイコール、ラノベの世界から遠退くことを意味する。

 リゲルが王宮に入っても問題ないほどのレディになったら、世界の力の望みに一歩近付くことになる。そしてそれは、私が死ぬ未来にも近付くということだ。


 死にたくはない。少しでも死亡エンドを遠ざけたい。


 だけどもし、私が死んだら――イリオスはたった一人、ラノベの世界に取り残されてしまう。


 だからその時は、リゲルにお願いしたかった。もう一人の『聖女』として、イリオスと協力し合って代わりに世界を救ってほしい、と。



 タイムリミットは、残り二年。


 これまでずっと死亡エンドを避けることばかり考えていた。だけどそろそろ、限界かもしれない。自分が死んだ場合の未来についても、行動し始めた方がいい。


 だって私がいなくなっても、世界は続く。戦乱に荒れるというラノベの世界。そこでイリオスは――江宮は、生きていかなきゃならないんだから。

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