腐令嬢、滑走す
「ステファニはここにいて! 私はリゲルを追う!」
「では、これをお使いください!」
急いでリゲルの後を追おうとした私に、ステファニが地面を滑らせ何かをこちらに寄越してきた。
サッカーのパスのように足で受け止めてみると、それは小さなソリだった。恐らくリゲル達が、雪の降る冬の時期や重い荷物を運ぶ時などに使っているものなのだろう。
リゲルのお母さん、ごめんなさい! 壊したら後で必ず弁償しますので、お借りさせていただきます!
獣道の両側には、草が生い茂っている。私はその草部分にソリを置くとお尻を乗せ、両の足で思い切り地を蹴った。
「オラァァァァ! 待てやああああああ!」
うまく滑るか心配だったけれど、急な勾配のおかげでソリは想像以上の勢いで滑走した。こちらの世界は動植物に多少の違いがあるので、草の質も異なる……というのもあるかもしれない。
背後から急速に近付いてくる私の声に驚いたらしく、振り返ったリゲルはぎょっとした顔をして叫んだ。
「何してるんですか! 危ないじゃないですか!」
「うるっせええええ! お前が止まりゃ済む話だーー!!」
「イヤです! 止まりません! クラティラスさんの顔なんか見たくもありません!!」
「そーかよ! 私は見たくて見たくて堪んねーから、何としても追いついてやんよ!!」
「やれるもんならやってみろですよ! チート道具を使ったからって、あたしの足に敵うもんですか!!」
「おう、やってやんよー! ちょっと足が速いからって調子ぶっこいてんじゃねーぞ、クソアホ猿がーー!!」
「抜かしてんじゃねー! 温室育ちの貴族の分際であたしに楯突こうなんて百億年早いんですよ、ケダモノ令嬢めーー!!」
並走しながら口汚く罵り合っていた私達だったが、それもすぐに途絶えた。山道の終わりに到達したのだ。
ここで私は止まれず盛大に転び、リゲルから遅れを取ってしまった。だが、諦めてなるものか!
「リゲル! 待って、話を聞いて!」
「聞かないって言ってるでしょ! しつこいんですよ!」
「しつこく言っても聞かないお前が悪いんだろ、頑固者が!」
「頑固者で結構! あたしのことはほっといてくださいっ!」
ほっとけるわけがない――――しかし言い返そうとした言葉は、喉の途中で止まった。懸命に追い縋る私をさらに引き離そうと、リゲルが大通りの往来に飛び出したのだ!
左右を全く確認せず、衝動的に行動してしまったんだろう。猛スピードで走る牛車が迫っていることも知らずに。
「リゲルーー!!」
名前を叫んで、私は全速力でリゲルの元へと駆けた。
火事場のクソ力というやつか間一髪で間に合い、立ち竦むリゲルの体を突き飛ばすことには成功した。
けれど、その後のことなんて考えてなかった。
道路に立つ私の目に、大きな牛が一気に押し寄せてくるのが映る。
せめて死なない程度で済めば。いや、無理だな。これは死ぬ。できたら痛みも感じず、楽に逝きたい。愛しのBLカプ達に見送られた、
――――前世の最期を思い出しながら、私は固く目を閉じてその瞬間を待った。
「あいやーー!」
が――――恐れていた衝撃は起こらなかった。
代わりに、運転手と思われるおじさんの間抜けな悲鳴が降ってくる。さらにドドドドドと何かが勢い良く落ちる音、続いてとんでもない臭いが鼻を刺した。
「あんた、大丈夫やったか!?」
肩を揺すられて瞼を開くと、見知らぬオジサンの顔が目の前にあった。
「あ、はい……ぶつかる前に止まってくれた、みたいなので」
呆然としたまま答えると、人の良さそうな顔立ちをしたオジサンはほっとした表情を浮かべた。
「いやー、いきなり暴走して困っとったんよ。モーモーちゃん、どうもウンチしたかったみたいでな。はー、やっと便秘解消したんか。おうおう、すごい量やなー」
どうやら、私の目と鼻の先でふわぁ〜スッキリ〜といった顔している牛こそが、しつこいお便秘のせいで進む途中に何度も踏ん張るため、朝の渋滞を引き起こすことで有名なモーモーちゃんらしい。
「いやー、本当にすまんかったね。にしてもあんた、運が良かった。一歩遅れたら吹っ飛ばされるか、下敷きにされた挙句にウンチ塗れになっとったわー」
もし事故ることになったとしても、できれば前者でお願いしたいです……。
飛び出したこちらも悪いのだから、オジサンとモーモーちゃんに私は頭を下げて丁寧にお詫びを告げた。
次いでリゲルの方を見てみれば、突き飛ばされた状態のまま歩道で固まり、魂が抜けた人形みたいになっている。また逃げられては堪ったもんじゃないので、私はすぐに彼女に駆け寄ってしっかり腕を掴んだ。そして、適当な路地に入って座らせる。
「リゲル、大丈夫? おーい、目ぇ開けたまんま気を失ってんの?」
ぺちぺち顔を叩いて確認すると――――生きていることを思い出したかのように、リゲルの金の瞳からボロボロと大粒の涙が溢れ零れた。
やべ、強く叩きすぎたか!?
「こ、怖かった……怖かったですぅぅぅ……!」
細かく身を震わせ、リゲルは絞り出すようにして言葉を吐いた。今になって、死ぬところだったんだと理解したらしい。
「私だってビビったよ。危うくウンチ塗れに……」
「そうじゃなくて!」
笑いで和ませようとした私を制し、リゲルはしゃくり上げながら抱き着いてきた。
「ク、クラティラスさんが死んじゃったら、どうしようかと……。あたし、あたしのせいで、クラティラスさんを危険な目に遭わせちゃった……! な、何があっても、クラティラスさんだけは、守るんだって思ってたのにぃぃぃ……!」
ああ…………やっと、本音を言ってくれた。
不覚にもじわりときて、けれどやっぱりじわりじゃ留まらなくなって、私の目からもブワァァッと涙が噴出した。
「バカリゲルぅぅぅ……そんなの、私だって同じだよ! な、何で自分一人で、どうにかしようとすんのぉぉぉ……。私達、友達じゃねーかよぉぉう!?」
「だってだって……あたしさえ、あたし一人で我慢すれば、何とかなるって、そう思ったんですよぉぉぉ!」
「何とかならなかったじゃねーか、バカ! し、信じようとしてたけど……っ、リゲルに嫌われたのかもしれないって……すげー不安だったんだからなぁぁぁ!」
「あたしが、クラティラスさんを嫌いになるなんて……っ、世界が引っくり返ってもありえませんよぉぉぉ! クラティラスさぁぁぁん、ごめんなさいぃぃぃ……!」
それから私とリゲルは強く抱き合い、長いこと泣いた。
泣いて泣いて、泣くだけ泣いて――――涙を拭いても目の前に互いの存在があることに安心すると、私達はようやく共に笑い合った。
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