腐令嬢、和解す


「えっ、血でしょ? ものすごく鉄分だぜぃって感じの」


「いやいや、焼肉のタレですよ。ニンニクの芳香が食欲そそる感じの」



 私もリゲルも食い違いに首を傾げてから、再びキッと向き合い直った。



「絶対に血の味だよ! 実際そうだったし!」


「焼肉のタレ味です! あたしが経験したんだから間違いありません!」


「ウソだね! どうせ焼肉食ってからチューしたんだろ! それじゃ味わかんないじゃん!」


「クラティラスさんこそ、流血しながらチューしたんじゃないですか!? それじゃ血の味しかしないはずですよ!」



 …………と、そこで私は我に返り、飛び上がった。



「ちょっと待て、リゲル! 経験したって言ったな!? 言ったよな!? どういうことなのか、説明して!」


「そういうクラティラスさんこそ、実際って何ですか!? まさか誰かとチューしたんじゃないでしょうね!?」



 リゲルも容赦なく突っ込んでくる。



 私達は互いに言葉に詰まり、それから気まずげに見つめ合った。



「残念ながら、私の方はキスなんてロマンチックなもんじゃないよ。口が当たっただけというか……ただの事故、みたいな?」



 沈黙に耐え切れず、先に折れたのは私の方だった。



「お相手は……イリオス様、ですよね?」



 リゲルがおずおずと尋ねる。その目には、怯えすら滲んでいた。


 渋々私が頷くと、彼女は全身から力を抜くように大きく安堵の息を吐き出した。


 そりゃそうよね……王子と婚約してる身で他の男とチューなんてしたら、普通ならどうなることか。イリオスは普通じゃないけど、リゲルはそんなこと知らないんだから不安になるのも仕方ない。



「リゲルは……やっぱり、クロノ様、と?」



 今度は私の方から聞いてみる。するとリゲルも頷き、そのまましょんぼりと項垂れた。



「こっちもキスじゃなくて、ただの口唇部分の接触です。クロノ様はBLという素晴らしい世界を知ることができて、とても嬉しかったんでしょう。そのお礼に、身を呈して教えてくださった……までは良かったんですけれど」



 ということで、私はリゲルからその時のことを説明していただいた。



 熱いBL談義のためにはまず腹ごしらえが必要ということで、二人は庶民達に人気の焼肉食べ放題のお店に行ったらしい。そこへ向かう途中、クロノ様がまたお供の護衛を撒いたので、例によって二人きりでモリモリ食べながらグ腐腐フフドゥ腐腐フフと主にリゲルのマシンガントークで盛り上がったんだと。


 食事を終え、クロノ様の運転するお車――赤いオープンカーだと目立つし寒いから、このところは黒の小型車らしい――で送ってもらったところで、やっと用件を思い出したリゲルは、直球一本勝負で彼に問うたそうな。



『クロノ様は、色恋に関しては百戦錬磨でいらっしゃるのですよね? キスって、どんな味がします? あ、人間限定テイストでお願いします。人外についてはまた後ほど、種族別に詳しくお聞かせください』



 それを聞いたクロノ様は、驚きのあまり、顎でクラクションを鳴らしてしまったという。


 幸いにもリゲルの家は辺鄙な場所にあるため、ご近所さんから苦情の石を投げ付けられることはなかったらしいが……彼はものすごくあたふたして、訳のわからないことを繰り返した。


 何でどうして、百人の相手は、キスの経験は、体だけなのか、等など。どうやら、この時もまだリゲルの百人斬り発言をリアルのものと勘違いしていたみたい。


 しかしそんなことを全く理解していなかったリゲルは、クロノ様の意味不明な言動に突っ込むのも面倒だったのでスルーし、改めて尋ねた。



『レモン味ですか? メロン味ですか? それ以外ですか? とっとと答えてください、明日のテスト勉強しなくちゃならないんで』


『あぅ……あ、じゃ、じゃあ、俺で良ければ……確かめて、みる? リゲルちゃんが……嫌でないなら……その』



 すると、しどろもどろにクロノ様が申し出てきたではないか。



『え、いいんですか? では、失礼しまーす!』



 時間も時間だったのでグダグダするのも何だと思い、リゲルはいった。クロノ様の胸倉掴んで、位置を間違えないよう目をカッ開いたまま、ガツンといったった。


 そして――――ムワァンと広がるは、焼肉のタレ味。


 そうと認識するやリゲルは大層落ち込み、呆然とするクロノ様に『あざっしたー』とやる気ない感謝を述べ、さっさと車を降りてトボトボ帰ったという。



「心からガッカリしました……クラティラスさんの美麗なイラストで表紙で飾るはずが、焼肉のタレを飲ませ合う誰得シチュにしなきゃならなくなるなんて」



 彼女が今日一日元気がなかったのは、それを憂慮してのことだったようだ。


 初めてのキスに戸惑っていたのでもなければ、恋をしたわけでもなかったのか……ふう、安心したぞ。



「焼肉のタレも萎えるけど、でも血を飲ませ合うのだって特殊性癖だよ? グロ要素も絡んでくるし、新入生に配布はできないよねぇ」



 私も溜息をつき、リゲルが眺めていたレモンを食べさせ合うイケメン二人の下絵に視線を落とす。



 キスは、血の味か焼肉のタレ味か。もう論争する気力もなかった。


 私とリゲルは、互いに情報を共有することで知ったのだ――――キスの味が、直前まで口にしていた物に左右されるという、実にロマンチックからかけ離れた事実を。



「でもまあ、物は考えようじゃない? 攻めの好物と受けの好物、それを互いのくちびるで伝え合うって感じにすれば萌えるんじゃないかな?」


「あ、それいいですねー。攻めはコーヒーでカッコ良さを、受けはスイーツで可愛さをアピールして……ふふっ、何だか最初のキスシーンより良くなりそうです!」



 私が提案すると、リゲルにようやく彼女らしい明るい笑顔が戻った。



「だったら、スイーツはレモンクリームパイにしよ!」


「ダメです、ここはメロンタルトですっ! レモンなんてコーヒーに合いませんよ!」


「メロンだってコーヒーに合わないじゃん! レーモーンー!!」


「クラティラスさんって、本当に頑固ですよねっ! メーローンー!!」



 結局また言い合いにはなったけど、それでも行き詰まっていた箇所がやっと解決できた満足感でいっぱいだったので、私達はすぐに争いを止め――――受けの好きスイーツは、攻めの好きなコーヒーに合いそうなオランジェットにすることで両者合意した。

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