腐令嬢、ネペロす


 部活が終わって外を見てみると、空はどんよりとしているものの雨は降っていなかった。なので今日は、ヒロインの相合傘相手を選ぶイベントは起こらない。


 しかし私は、本日もリゲルをお送りさせていただいた。正確には、レオとお兄様も一緒だったけど。

 前もって四人で向かうつもりだったので、帰りはいつもより大きな車をお願いしておいた。クラティラスにぬかりなし!


 『おいしいアゲアゲチキンならここですよ』、略して『おしンこ』と呼ばれているという半屋台に到着すると、大柄なレオのお母さんの笑顔の向こうに見慣れた細い後ろ姿があった。


 私とお兄様の到来に、ネフェロは大層面食らったようだった。まさか昨日の今日で再訪問を見舞うとは想像もしてなかったらしい。


 私達はレオのお母さんにまたお願いして、ネフェロを連れ出した。

 でもネフェロってば感極まりすぎて、噴水広場に辿り着くより先に泣いちゃったよね。泣き顔も萌えるから困っちゃうよね。むしろ泣かせたい美形なのよね。



「クラティラス様はもう私には会ってくださらないかと……ヴァリティタ様にもまたお会いできる日が来るなんて……!」



 ベンチに座らせたネフェロを挟み、左右から涙を拭いてやりながら、私とお兄様は目配せして微笑み合った。



「私はネフェロが大好きよ。どんなことがあっても、それだけは変わらないわ。だからまた来てもいい? 今度こそ、ネフェロが作ったアゲチキを食べたいわ」


「私もネフェロのことは好きだが、クラティラスに好かれている点だけは気に入らない。クラティラスを横取りしないと誓うなら、レヴァンタ家にも遊びに来るといい。ただし、私を必ず同伴させるのだ。二人きりで会うのは許さん。しかしこのアゲチキなる鶏料理、なかなか美味しいな。クセになる味だ」


「ちょっとお兄様! ネフェロに余計なこと言わないで! 横取りしてるのはお兄様の方でしょ!? 私の分のアゲチキまで食べてるじゃない!」


「おや、美味しくてたくさん食べすぎたようだ。わかったわかった、代わりにアゲチキ風味のキッスを贈ろう」


「そんなもんいらないよ、バカ!」



 騒々しく言い合いをしている間にネフェロは泣き止んだようで、ふふっと静かに笑い声を漏らした。



「お二人共、成人を迎えて立派な紳士淑女に成長なされたというのに……中身は変わりませんね。仲直りできて、本当に良かった。まるであの頃に返ったみたいで、とても嬉しいです」



 積年の憂いの澱が溶けたネフェロの笑顔は、想像していたほど晴れやかではなかったけれど――しかし想像していた以上に美しく清らかに輝いて、儚く見えても独り咲く強さを秘めた一輪花を思わせた。


 私の側からだと、極上美笑を浮かべたネフェロと彼の隣から優しく見守るお兄様が映る。


 久々のヴァリ✕ネフェうめえ!

 アゲチキよりうめえ! てぇてぇにてぇてぇを重ねた、てぇてぇてぇてぇてぇぇてぇぇぇてぇぇぇぇてぇぇぇぇぇぇいええええええい!!


 そんなわけで、ネフェロは私への秘密から解放されてさらなる美しさを手に入れたし、私は彼にまた会いに来て良いという許可をもらえたし、お兄様はアゲアゲチキンなる庶民食の美味しさを知ったしと、三人揃ってハッピー……で終われば良かったのだけれど。



「何故……何故なのですか、ヴァリティタ様! どうしてそのようなアホ極まりないお考えに至ったのです!? 私には理解できません!」



 笑顔から一転、顔面蒼白状態となったネフェロが金の頭を抱える。


 ほらー、こうなるってわかってたじゃない。なのにどうしてわざわざ打ち明けるかなあ?


 ネフェロは、お兄様とパスハリア令嬢・サヴラとの婚約が破談になったことまでは知っていたようだ。でもまさかのよもや、自分が嫁に行く! なんて言い出すとは思わないよね。うんうん、理解できないのも仕方ないよ。私もどうしてそこにいったのか、いまだにわからないもん。



「アホとは何だ、失礼な。クラティラスはイリオス殿下を愛している、私はクラティラスを愛している、殿下は我々二人を愛する、これぞ皆が幸せになる最善の方法ではないか。ふむ、三辛はちょっと物足りぬな。次は四辛、いや五辛にしよう。すまないが、もう一度行ってきてくれ」



 そう言ってお兄様は護衛にお金を渡し、再びレオの店までパシらせた。アゲアゲチキンが大層お気に召したようで、もう一つの目玉商品である辛チキにまで手を出しちゃったのだ。

 お兄様ったら激辛もいける口なのね。見てるだけでお尻が痛くなってくるわ……一辛でも相当辛いじゃないの、これ。新メニューのノリノリチキンの方が私は好みだわ。揚げたチキンを海苔で巻いちゃうって発想がいいよね。歯にくっつきやすいのが難点だけど。


 私もお兄様と一緒に、この際だからと様々な種類のアゲチキを食べ比べさせていただいている。しかし二人の会話には混ざらず、黙々と食べていた――のに、ネフェロは私にまで怒りの矛先を向けてきた。



「クラティラス様も、食い散らかしてばかりいないでお兄様を説得なさい! その口は食うことと屁理屈を垂れることにしか使えないのですか!? 口紅でなく脂でくちびるを輝かせている令嬢など、あなたくらいですよ!?」



 明らかな八つ当たりである。


 ちょっとー、どうしてここまで私が言われなきゃならないのー? 怒るなら、お兄様に対してじゃない。あーあ、ネフェロは相変わらずお兄様贔屓なのね。クラティラス、悲しラス。



「ああ……一爵令息ともあろうお方の将来の夢が、まさか王子の側妃だなんて。やはり私の育て方が悪かったのでしょうか? 私は一体どうしたら……レヴァンタ夫妻に何とお詫びしたら良いのか……!」



 ネフェロが項垂れ、震える己の身を抱き締める。


 やっぱりネフェロの真骨頂って、こういう表情よね! 笑えばイケメン、泣けば美人、嘆く姿は薔薇の花!! はい、新しい諺が生まれましたー、流行れ!!



「お父様もお母様も諦めて応援する方向にシフトしつつある。だから気にするな。それよりネフェロ、アゲチキを上手く作れるようになったら私の専属シェフとして共に王宮入りしないか? 無理そうなら、お前もイリオス殿下の側妃に」


「なるわけがないでしょうっ! バカなことを仰ってないで、しっかり考え直してくださいっ! 妹君と離れたくないというなら、宮廷の仕事に就くという方法もあるでしょうがっ!」



 お兄様が笑顔でお誘いすると、ネフェロは今度こそブチ切れて一刀両断した。



「なるほど。確かに、在学中に目的を達成できるとは限らない。別口で王宮に入る手を用意し、卒業後もイリオス殿下にお近付きになるための方法を考えておいて損はないな。さすがはネフェロ、お前に相談して良かった!」



 しかしお兄様にはちっとも効かない。むしろ良きアドバイスをいただいたと喜ぶ始末。


 ネフェロ、また泣きそうになってんじゃん。いやー、絶望しかけてギリのところで踏み留まってる顔、萌えるわー。バカティタにはうんざりだけど、今だけはもっとやれって言いたくなるわー。



「とにかく、今日はそろそろお帰りください。いつまでも休憩していては、またクビにされかねませんので。それにここにいたらあなた達、いつまでも食べ続けそうですからね!」



 もう返す言葉も尽きたらしく、ネフェロに追い立てられるようにして我々は停めてあった車に叩き込まれた。あーあ、すっかりオカンに戻っちゃったよ。


 見慣れたネフェロの姿に、安心しつつ少し残念にも思っていたんだけれど。



「…………クラティラス様、ありがとうございます。私もあなたをお慕いしております。これからもずっと」



 扉を閉める時に、ネフェロは小さな声でそっと告げた。


 何……だと? デレた……? ネフェロが、デレた……!?



「えっ、何、待って! ネフェロ、もう一回言って! おかわりプリーズ!!」


「おいコラ、ふざけるな、ネフェロ! 私に断りなく、クラティラスに愛を告白しただろう!? 許さんぞ! この七辛チキンでその口を塞いでやる!」



 お兄様にも聞こえていたらしく、私と一緒になって窓から顔を出して吠える。


 押し合いへし合いしながら喚く私達に、ネフェロは優雅に頭を下げた。



「ではまたお会いしましょう。ごきげんよう、クラティラス様、ヴァリティタ様」



 彼の言葉が終わるのを待ち構えていたかのように、車は発進した。


 おかわりは叶わなかったけれど、デレネフェロなるレアネフェロをペロネフェロできたので良しとしよう。


 帰ったら、忘れない内に絵にして残しておかなくちゃ! そうだ、イリオスへのお礼菓子と詫び菓子も作らないといけないんだっけ。


 今夜は忙しくなるぞー!!

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