腐令嬢、暗示にかかる


「実はねぇ……セリニ様が亡くなられるよりも前から、あの人は僕のことを特に避けていたんです。本人は隠そうとしておられたようですが、物心ついた時から、いえ、出会った時からずっと、ディアス様は僕と一定の距離を置いていました。なのでディアス様は、『イリオスという存在そのものを拒絶している』のではないかと思っていたんですよね」



 確かに、ディアス様が『イリオスを特別に避けていた』のだとしたら、そう理由付けするのが最も適切に思える。


 何故ならディアス様は、前宰相に加え、多くの国政権力者を輩出している超名門ドリフォロ一爵家から嫁いだ第一夫人、スタフィス様から生まれた血統書付きの王子様。


 また第二王子であるクロノ様の母上は、公妾ではあるものの、扱いとしては第二夫人に近い。全国各地を周るダンサーとして奔放にご活躍されていらっしゃるところを見初められ、国王陛下と深い仲になられたそうだけれど、その正体は放蕩が行き過ぎて勘当された二爵家の令嬢だったというからね。思えば、すごいシンデレラストーリーだよ。


 なのでどこの馬の骨とも知れず、公妾としても認められなかった母親を持つイリオスのみが、兄弟間でハブられるのはわからないでもない――んだけど。



「もしかしたら、同族嫌悪ってやつだったりするかもよ? ディアス様って、子どもの頃から勉強でもスポーツでも芸術方面でも大活躍し続けて、世界にもその名を轟かせてたっていうパーフェクトヒューマンじゃん。そんな人なら、江宮えみやの記憶が覚醒する前から人嫌いだったオタイガーの気配をイリオスの中に感じたっておかしくないんじゃね?」



 ランチの締めを飾るイチゴ牛乳を味わいつつ、私からも別の意見を提言してみた。



「だとしたら、やはり注意するに越したことありませんな。初めて会った瞬間に、僕から異質なものを感じ取ったのなら……婚約者であるあなたを誘導尋問して、何か聞き出すつもり、ということも考えられます」



 うわ、怖っ!


 ひええ……兄弟同士の確執から、何かヤベー方面に話が飛んだぞ。大丈夫か、私?



「わ、わかった。そんな話になったら、頑張って白を切る。でもなぁ……ディアス様のヴィジュアルがなぁ〜」


「兄上のヴィジュアル? 何か問題ありますかね?」



 不思議そうにイリオスが尋ね返す。



「大ありだよぅ……ディアス様ってば、私の初恋の君であらせられる壇上だんじょう神之臣かむのしんにすっごく似てるんだよぅ。見つめられたら、妄想の世界に飛んじゃって会話どころじゃなくなるよぅ……」



 両手で顔を覆い、私はクネクネフニャフニャと身を捩らせた。だって、お姿を思い返すだけで悶えちゃうんだもん!



「あー、アニメから実写化して人気が再燃した『キュンプリ』の。そういえば、似ているような気もしますねぇ。僕は何といっても、彼の妹の鏡水かがみせいら推しですなー。クールな外見を裏切る内面のドロリとした愛憎が、堪らなく良い!」



 なのにイリオスはこちらの気も知らず、呑気に推しメンを語り始めてきた。


 こいつ、『キュンプリ』じゃサブヒロインのせいら推しか。


 わかるわー、せいらってクール系のヤンデレで百合まで患ってたもんなー。性悪な女の子好きだったオタイガーにとっては、どストライクだったんだろう。クラティラス・レヴァンタも含めて。



「てめーの推しなんざどーでもいいんだよ。ちょっと、ディアス様と上手く話すコツとかないの? イリオスメソッド、伝授してよ」


「んなもんあったら僕だって苦労しませんよ。相手を棒だとでも思えばいいんじゃないですか?」


「ぼう……」



 イリオスの言葉で、私の頭に昨日お子様のステファニには内緒でアズィムにこっそり披露したディアス✕クロノの萌エロ絵が浮かんだ。



『あっ……兄上、何をなさるのです!? 俺達は血の繋がった兄弟なのですよ!?』


『そう言いつつも、こんなにも肌を火照らせているではないか。私に抱かれたかったのだな? 体は正直だ』


『や、やめてください。誰があなたになど……っ!』


『外でおおっぴらに遊び呆けているのは、私への当て付けなのだろう? フッ、可愛い奴だな、お前は』


『う、自惚れるな! 俺は……俺は……っ!』



 ヤバババーン!

 ヤバババーン!

 ヤバババ、ヤバババ、ヤバババー! ヤバババ、ヤバババ、ヤバババー!


 ヤバババッ、バッ、バーーァァン!!



 ベートーヴェン交響曲第五番ハ短調、日本では『運命』と呼ばれていたあの楽曲に合わせ、ディアス様の腕に絡め取られて禁断の愛に堕ち行くクロノ様の姿にヤバみを叫んだところで――イリオスもまた叫んだ。



「だ、大丈夫ですか、クラティラスさん! 鼻血出てますよ!?」



 差し出されたハンカチを受け取って血潮を垂らす鼻を押さえると、私は息も絶え絶えに答えた。



「うぉ……すまん。ちと妄想が捗りすぎた。棒はダメだ。棒は危ない。別のものにしよう……」


「棒という単語だけで、よくそこまで興奮できますね……。ウルのそういうところ、本っ当に気持ち悪いです。気持ち悪すぎて、見てるこっちが貧血になりそうですよ」



 その言葉通り、ドン引きを超えて蒼白した顔でイリオスは頬を引き攣らせていた。



 それからすぐに予鈴が鳴ったため、注意喚起をいただいたものの具体的な対応策は見付からず、ただただ不安ばかりを煽られた状態で話し合いは解散となった。




 ホームルームを終えると、私は歩幅より早く高鳴る鼓動を押さえつつ、高等部生徒会室へと向かった。


 今回は、イリオスも同行を拒否した。向こうが何を考えているかわからない以上、あまり警戒する姿勢を見せては逆に危険だということで。


 昨日訪れたから、生徒会室の場所はわかっている。しかし扉の前に辿り着いても、なかなかノックする勇気が出なかった。



 膝が震える。


 もし、ディアス様がイリオスの中の人に気付いていたら。それを、私に問い質そうとしているのだとしたら。



 ならば私は何としても、全力で知らぬ存ぜぬを押し通さなくてはならない。


 前世の記憶があるとバレてしまえば、ここが『アステリア学園物語〜星花せいかの恋魔法譚〜』の世界だということも知られてしまうかもしれない。それだけは、絶対に避けなくちゃ。



 だってそれは『未来が既に確定している』ことを意味する。


 そしてその事実は、ディアス様を含め、今を生きる皆の希望を奪いかねないのだから。



 棒……棒、棒、棒。


 ディアス様は棒。神之臣似のイケメンじゃなくて棒。棒だ、棒なんだ、そこらへんにあるただの棒なんだ。



 頑張れ、大神おおかみ那央なお。負けるな、クラティラス・レヴァンタ。


 妄想はお前の得意技だろう? 今こそ、その能力を発揮する時じゃないか。



 ディアス様を、棒に変幻させてしまえ!



 目を閉じて頭に浮かべたディアス様の姿に意識を集中し、私は全妄想エネルギーを注ぎ込んだ。



 ディアス様、イコール棒。

 棒イコール、ディアス様。



 その図式が完全に成立したところで、私は躊躇いが生まれる前にドアをノックした。

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