腐令嬢、寄り添う
「アンドリア、お見舞いに来たわ。具合はどう?」
許可を得て部屋に入ると、アンドリアはベッドから身を起こして苦笑いした。
「ええ、アステリエンザではなかったから安心して。もう熱も下がったわ」
しかし答える声には覇気がない。
「それなら良かったわ。ネフェロがゼリーを作って持たせてくれたんだけど、食べられそう?」
そこで私は、ベッドサイドの椅子に腰掛けるや、持参したバスケットを掲げてみせた。
「ハァァイッ、ヨロコンデー!」
途端にアンドリアは水を得た魚……というより萌えを得た腐女子を体現するが如く元気に叫び、目を爛々と輝かせて鼻息荒く私に迫ってきた。本当にこいつ、単純だなー。
だが単純だからこそ、複雑な事象に遭遇するとショートしてしまうのだ。
本日は学校が終わった後、部活を休んでアンドリアのお宅にお邪魔した。彼女が病欠したと聞いて、居ても立っても居られなくなったからだ。
「本当に体が弱いと嫌ね。ちょっと深く物事を考えただけで、熱が出てしまうんだもの。クラティラスさん、ゼリーのお代わりをちょうだい。ネフェロ様成分がまだまだ足りないの。もっと摂取しなきゃ、元気になれないわ」
アンドリアー、それ体が弱いんじゃないよー。頭だよー。俗に言う知恵熱、知恵熱ー。
てかあんた、どれだけ流行しようとアステリエンザに一度も罹ったことがないっていう超健康体の猛者ですやーん。
おまけに病み上がりなのにモリモリ食ってるし……うわ、四個目に突入したよ。そろそろ止めとこ。
「アンドリアったら、食べ過ぎよ。またお腹を壊したらどうするの」
「うるさいわね! 食べなきゃやってらんないわよ! おいネフェロだ、早くネフェロを寄越せ!」
酔っ払って酒を求めてクダを巻くオッサンみたいな調子で、アンドリアが声を荒らげる。気圧されて五個目を渡してしまったものの、これがラストだ。
少しは落ち着いて、話を聞かせてくれると良いのだけれど。
「ふぅ……そこそこネフェロ様成分で満たされたわ。どうしようもなく悩んだ時は、やはりネフェロ様に癒していただくのが一番ね」
私の食べかけの分まで横取りして、アンドリアはやっとスプーンを置いた。
「…………悩みというのは、ファルセのことかしら?」
頃合いを見計らって尋ねると彼女は小さく頷き、溜息を落とした。
「とても良い子だと評判みたいですわね。それに私と同じ、二爵家のご子息だとか」
私はうんうんと頷き――かけて、彼女の声に憂いが滲んでいることに気付き、首の動きを止めた。
「だけど……良い人だと言われれば言われるほど、困るのよ。会ったことも話したこともないのに、彼はどこが良くて私を選んだの? 私の方も彼を全く知らないのに、どう対応すればいいの? もう悩んで悩んで、頭がパンクしそうになっているのよーー!」
ブルーアッシュの縦ロールを振り乱し、アンドリアは本音をぶち撒けた。
皆が口を揃えて褒め称える素敵な男子が、並み居る女子の中から自分を選んでくれたのだ。嬉しくないはずがない。
またアンドリアには今、好きな人に相当する者もいない。ずっとヴァリ✕ネフェ一本で腐妄想し続けてきてはいるものの、二人はあくまで萌えの対象。以前はヴァリティタお兄様を相手に、受けのネフェロの中に自分を重ねるという夢妄想じみたこともしていたようだが、お兄様の婚約をきっかけに萌え対象への公私混同はすっぱりやめた。
なので、もしかしたら萌えとは別に、ファルセを一人の男子として好きになることだってあるかもしれない。
しかし、そんなどうなるかもわからない可能性に賭けて、彼の申し出を受けて良いものなのか?
「それって相手に期待を持たせて、条件の良い男をキープするということにならないかしら? 彼の思いに対して半端に応えるのは、卑怯だと思うの。でも彼を傷付けたくないし、皆も背中を押してくれるし……私、どうしていいかわからなくて。いっそアステリエンザに罹ってしまえば、体育祭を休めるのに……とまで考えたほどよ」
アンドリアらしくない弱気な発言だったが、それほどまでに追い詰められていたんだろう。
憔悴した様子の彼女を見て、私は今更ながらに深く反省した。
自分も『ダンスをきっかけに仲良くなってみるのも良いのでは?』などと言ってゴーゴームードに加担した一人だ。ファルセがアンドリアとくっつけば、未来が変えられるかも……なんて個人的な望みを押し付けて。
ファルセはゲームの攻略対象になるくらい魅力的な人物だし、アンドリアだってきっと恋するはず……と勝手な幻想を抱いて。彼女がこんなにも悩んでいるとも知らずに。
ファルセから手紙をもらったことに、アンドリアは喜びを感じつつも深い憂慮を抱いたのだろう。勇気を出して好意を示してくれたからこそ、半端な態度で接してしまっては彼に申し訳ないのではないか、と。
彼の真摯な想いに報いるためには、こちらも真剣に応えなくてはならないのではないか、と。
ああ、私って本当に恋愛偏差値低すぎだ。今回の件で痛感したわ。こんなんじゃ、
そうだよね、恋は誰かに背中を押されて落とされるものじゃない。自分の心が導くままに進んだ先で、気が付いたら落ちてるものなんだ。
私だって何人かイリオスに勧められたけれど、恋に落ちるまでには至らなかった。会って話して人柄を知って、悪い奴じゃないと理解しても、だ。
本当の恋は、簡単じゃない。
素敵なBL物語の始まりみたいに、いきなり理想の攻めと理想の受けが出会って互いに恋をするなんて奇跡みたいなことは現実じゃ滅多に起こらない。
アンドリアはそれをわかっていたからこそ、そんな高難度の壁を乗り越えて恋ができるのかと悩み、同じく高難度の壁を乗り越えて自分に恋心を抱いてくれた相手に、誠実でありたいと思ったのだ。
「…………ごめんなさい、アンドリア。私のせいね。あなたの心を蔑ろにして、こんなにも苦しめてしまったわ」
なので私は心からアンドリアに謝り、彼女の手をぎゅっと握った。
「あなたの言う通りよ。彼の想いに、半端な気持ちで応えてはいけなかったのよね」
するとアンドリアは私の手を握り返し、微笑んだ。
「いいのよ、クラティラスさん。アステリエンザに罹れば良かったなんて、今はもう思ってませんから。私は経験したことがないのだけれど、去年アステリエンザにやられた侍女に『沸騰した湯の中で全身に針を刺されてから急速冷凍されるような感じ』と聞いて震え上がりましたわ。そんな思いをするくらいなら、体育祭で中等部全男子と踊り狂って魂まで燃え尽きる方が余程マシよ」
その侍女が罹患したのは、恐らくB型だな。ステファニも去年同じタイプに罹って、地獄を味わってたから。私の方は長引くものの、症状は比較的軽いA型だったけど。
「それより、どうすべきかしら……体育祭は、今週の日曜日よ。気が重いわ」
明日は金曜日、もう残された時間は僅かだ。
私は不安に曇るアンドリアのグレーの目を見つめ、言い聞かせるようにして告げた。
「どうすべきか、ではなくて、大切なのはどうしたいか、よ。アンドリア、あなたはどうしたい?」
「わ、私……? 私は……」
改めて問うとアンドリアは口籠り、俯いてしまった。私は椅子から立ち上がり、縒れた縦ロールの髪を撫でて優しく囁いた。
「もうあなたの気持ちを無視して、勝手に盛り上がるような真似はしないわ。これからは、あなたの心に寄り添うと約束する。アンドリアがどうしたいかを最優先して、最善の方法を一緒に考えましょう」
「クラティラスさん! ありがとうーー! そ、それじゃ一つ……お願いを聞いてくださる?」
私の腰に抱き着き、アンドリアが小さな声を漏らす。恐る恐るこちらを見上げたグレーの瞳に、私は力強く頷いてみせた。
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