腐令嬢、踊る


「ヒャッホゥですぞ〜、クラティラスさん。授業お疲れ様でした。お荷物をお持ちしましたぞ、そちらの教科書と筆記用具もお持ちしますぞ。さささ、行きましょう行きましょう。そうだ、ついでに購買に寄ってイチゴ牛乳を買っていきませんか? もちろん僕が奢りますとも、是非とも奢らせていただきたい。しかも今日は大サービスして、いつもなら一つのところを何と二つおまけしちゃいますぞ!」



 不安を抱えたまま教室を出るや、イリオス第三王子殿下による熱烈なお出迎えを受け、私はいよいよ吐きそうになってきた。わざわざ移動教室まで迎えに来るなんて、これも初めてのことである。


 おいおい、どうしようにさらにどうしようが加算されたよ……どうしよう、この男、超キモい。


 ホップ・ステップ・ジャンプの要領で飛んで歩くゴキゲンイリオス、略してゴキオス。

 果たしてこのキモ変ぶりは、本当に恋のせいなのか。


 それを見極めようと、私はキモい無理見たくないと拒絶する脳と目を叱咤してゴキオスを観察した。


 恋と変は字が似てるし、恋すると変になってもおかしくはない。でもおかしくはなっても、ここまでキモくなるもんなの?

 ふえぇ……恋のせいだとしても、こんなにヤバい浮かれ方する奴、変態だらけのギャグBLものでしか見たことないよぉ。あれはフィクションだから笑ってられたけど、リアルじゃ笑えないよぉ。でもこんなキモい奴に奢ってもらっても、イチゴ牛乳は美味しいよぉ。



「クラティラスさん、ちょっと待っててもらえます? 僕が先に入室するんで、そのイチゴ牛乳を飲み終わったら入ってきてくだされ」



 旧音楽室の前まで来ると、イリオスは笑顔でそう告げて一人で中に入っていった。


 よし、今の内に逃げよう……じゃない! 逃げてどうする? キモさに負けてはならぬ。イリオスがああなった原因を突き止めなくちゃ。


 しかしそこで私はふと、もしかして中にカミノス様がいらっしゃるのでは? なんて恐ろしいことを考えてしまった。

 今日も登校されてなかったようだけれど、この学校の生徒なんだから来ようと思えばいつでも来られる。で、二人で中で何か準備してて、私が入ったところでサプラーイズ! とばかりに交際宣言かましてくるつもりなんじゃ……?


 途端に、美味しく飲んでいたイチゴ牛乳が無味無臭になった気がした。そしてまたどうしようで頭がいっぱいになる。


 だ、大丈夫。落ち着いて、クラティラス。婚約破棄されるのは、きっと卒業式。イリオスが今私を捨てることは、『世界の力』が許さない。

 でもどうせならここで婚約破棄された方が、エンディングに変化が出るかも……でもでも、『世界の力』が…………ええい、もう面倒臭い! 来るなら来やがれ、婚約破棄!!


 グズグズとした思考をぶん投げる勢いで、私はイチゴ牛乳を一気飲みして力任せに音楽室の重い扉を開いた。


 すると、重々しい調べが耳を打つ。ピアノの奏でる音色だ。


 呆然とする私の目に、イリオスが優雅にグランドピアノを演奏する姿が映った。

 この曲、知ってる。どこかで聞いた覚えがある。確かこれは……。



「どうです? 自分のテーマ曲で出迎えられる気分は?」



 嬉しそうに笑いながらイリオスに言われて、思い出した。

 そうだ、これはクラティラスが登場する度に後ろで流れていた曲だ。タイトルまでは知らないけど、落雷を思わせる重いピアノの音が印象的な――全体の調子は暗いのに妙に慌ただしさのあるこの旋律は、やけに耳に残ったものだ。



「でもイリオス、どうして今になってピアノなんて……レッスンしたの?」



 そっと尋ねると、イリオスはピアノを弾く手を止めずに答えた。



「レッスンなんてしてないです。ピアノを触る機会すらありませんでしたから」


「へ? じゃあどうして……あっ!」



 イリオスが答えるより先に、私はその理由がわかった。


 この旧音楽室は、イリオスがリゲルと二人きりになる時に使われる場所。

 ここでゲームのイリオスは、リゲルによくピアノを弾いてみせるのだ。



「もしかして……高等部に入って、弾いてみたら弾けた的な?」

「その通りです!」



 食い気味レベルの即答だった。


 まじかよ。これも『世界の力』のせいか? そんな細けぇこたぁどうでもいいだろうがよ……イリオスがピアノ弾けようが弾けまいが変わんないじゃんか……。


 がっくり項垂れかかって、私はそういえばと室内を見渡した。誰もいない。私とイリオスだけだ。



「えっと……カミノス様が隠れてる、なんてことはある?」


「はあ? どうしてあの方の名前が出てくるんですか? それより大神おおかみさん、聴いてくだされ! これこれ、この曲!」



 ニッコニコの笑顔でイリオスがお次に披露したのは、奴が前世で最愛だった百合アニメ『リリィユリィ』第一期のオープニング曲『リリカルぱにっく』だ。



「うわ、すっげー! え、何? 記憶してる曲なら弾ける感じ? やば、これはアガる! 一期エンディングの『プチっTOラブっちゅ』も弾いてよ! 私、まだフリ覚えてるから踊れるよ!!」


「そうでしょうそうでしょう! これに昨日気付いてから、大神さんに披露したくて披露したくて堪らなかったんですよー! お次はプチトラですね、了解ですぞ!」



 私のリクエストを意気揚々と受け、イリオスは前世では二人で何度もアニメを網羅し、嫌というほど耳にした曲を奏で始めた。


 …………ん?


 ヒロイン二人が仲良く踊るエンディングの映像を思い出しながら、ノリノリで体を動かしていた私はそこで我に返った。


 江宮えみや、さっき何て言った?

 昨日気付いて……?

 私に披露したくてしたくて……?


 ――すごいことを発見したって、まさか……!?



「大神さん、他に聞きたい曲はありますか? 僕が覚えてるものなら、何でもいけますぞ!」



 プチトラを演奏し終えると、イリオスが興奮冷めやらぬといった表情でまたリクエストをせがんできた。このお顔、もうすっかり百合萌えする江宮である。



「ねえ……江宮が私に伝えたかった、すごいことって」


「はい、このように僕がピアノを弾けるようになったことです。いやー、前世じゃ楽器は全然でしたからなー。中学で音楽の時間にやらされたリコーダーは、今思い出しても拷問でしたよ……ピーとかプーとかしか鳴らないのに、あんなもんでどうやって曲を奏でろというのか!」



 当時の嫌な記憶が蘇ったらしく、イリオスがピアノの鍵盤を乱暴に叩く。


 あ、これ『アステリア学園物語〜星花せいかの恋魔法譚〜』のオープニング曲だ。うわー、ものすごく可愛くてポップな曲だったのに、ピアノ演奏になると上品で凛々しい雰囲気になって新鮮だなー!


 なんて感心してる場合じゃ……いや、感心してていいのか。



「なぁんだぁ……んもー、『リリィユリィ』の限定タペ当選した時ぶりくらいにウキついてるから、カミノス様に恋の魔法でもかけられたのかと思ったじゃないのー」


「ないない、ありえないです。僕の方が魔力は高いですし、それに昨日はあの方をフルボッコにしてきましたんで」



 安堵で脱力しかけた私は、しかし江宮の言葉で飛び上がった。



「フルボッコといっても、暴力を振るったわけじゃないですよ。それに戦いを吹っ掛けてきたのは、カミノス様からでしたし」


「戦いって……あ、ピアノで!?」



 できる子の私はすぐに何があったかを悟り、江宮もイリオスマイルで頷いた。

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