腐令嬢、想像に恐怖す
午後からの授業は、周りに知り合いが一人もいない。
というのも午前中は選択制の一斉授業なんだけど、午後に行われる授業は体育を除き、テストの順位でランクが振り分けされ、それに応じた指導を行うというものだからだ。
ええ、他の皆様は最上位クラス、私だけが最下位のクラスですよ。
最下位といってもやる気のなさは微塵も感じられず、焦りに満ちた必死さが強く漂っている。
そりゃそうだ、年度末までここにいたら留年確定だもの。下手したら、学力不足と見做されて退学処分を受ける鬼畜ルートにも繋がるんだから、皆必死にもなるわよね。
さすがは国内一の名門・アステリア学園、バカには容赦ないのだ。
何としても次こそはランクアップせねばと皆がピリピリとしたムードで殺気立つ中、私は顔だけ教壇に立つ教師に向けて、頭では別のことを考えていた。言うまでもなく、イリオスについてだ。
カミノス様と会ったそうだから、そこで何かあったことは間違いない。
でもクロノが言っていたように、カミノス様に諦めると言われたとして、あんなに上機嫌になるものかな? ものすごく嫌がってはいたけど、安心はしても踊るほど喜ばないと思うんだよね。それにイリオスはものっすごく警戒心が強いし、カミノス様の言葉をそう簡単に信じるとは考えにくい。
カミノス様が、この人と付き合うことにしたのーって男を紹介してきたとしても、イリオスならきっと当て馬なんじゃないかと疑う。
そんなイリオスが浮かれるとしたら何だろう?
そもそも前世でだって
奴の部屋で一緒にゲームしてたら『リリィユリィ』の限定グッズ当選のメールが来たらしくて、しかもそれが当選者一名の原作者サイン入りタペストリーで、あの時は江宮も奇声上げてブリッジして頭打って腰傷めて、大変なことになってたわ。
しかしこの世界には、『リリィユリィ』なる江宮最推しの百合アニメはない。
他に浮かれるっつったら何だ?
うーん……BLなら、心を閉ざして生きていた攻めが受けを見付けた瞬間、モノクロだった世界がカラフルに輝き始めるのを感じた時とか? 薄幸受けがずっと信じきれていなかった攻めの愛を、彼の生死を賭けた行動によってやっと確信して、『僕で……いいの?』からの『お前がいいんだ』の返答を聞くや、火傷しそうなほど熱い涙が溢れて愛される喜びを初めて噛み締めた時とか?
そこで私ははっとした。
浮かれるといったら、やっぱり恋! イリオスの奴、きっと誰かに恋したんだ!!
思わず、私は椅子から立ち上がった。が、教師と生徒達の白い目線を受けてすぐにすとんと座る。いけない、授業中だったわね。
イリオスが恋……となるとお相手はペテルゲ様か? ペテルゲ様なのかよ、おい!
盛り上がってイリオスがペテルゲ様に恋する瞬間のシーンをノートに描こうとしたところで、私は我に返った。
……うん、ないわ。死ぬほどBLを嫌ってるイリオスが、いきなり男への愛に目覚めるなんて……まあなくもないだろうけど、希望的観測を捨てて現実的に考えるとちょっと無理あるよね。
となるとやっぱり、お相手はカミノス様……なのかなぁ?
そこで私は、カミノス様のお姿を思い返してみた。
性格はよろしくない。しかしそこを差し引いても余りある美女だ。イリオスは彼女からのアタックに辟易していたようだったけれど、最後に見せた弱々しい後ろ姿にはそれまでの強気な態度とのギャップも相まって大きく心を動かされた。
あれがカミノス様の本当の姿なのだとしたら、イリオスが彼女を守ってあげたいと考えるようになっても頷ける。
そう思わせるような出来事が、昨夜あったのだとしたら? カミノス様が心を入れ替え、愛される努力をするようになったのだとしたら?
もしくは――――ペテルゲ様が懸念していたように、カミノス様が密かに魔法を使って、イリオスに自分を想うように仕向けたのだとしたら?
ぞっとした。
私は魔法について詳しく知らない。それなりに文献では調べたみたけれど、魔法が禁忌とされているこの国には大した情報は仕入れられなかった。だからどんな魔法があるかもわからないし、どんなことまで魔法でできるかなんて想像もできない。
ペテルゲ様はカミノス様が魔法の力で私に危害を加えるのではと心配していたけど、それよりイリオス本人に使った方が効果的だ。これは盲点だった。
いやいや、落ち着こう。魔法でイリオスを惚れさせることができるなら、カミノス様はとっくにやってるって。
――でも、できなかったことができるようになったとしたら? 様々な訓練を経て、幾度も挑戦し、ついに念願叶って魔法による魅了を成功したのだとすれば……?
仮にカミノス様が魔法でイリオスの心を射止めたとしても、二人が恋人同士になるのは悪いことじゃない。いや、逆に私にとってはそっちの方が都合が良いはずだ。
死亡エンドについてはさておき、悪役令嬢の役割を交代すれば卒業式で行われる断罪イベントは免れ…………ないじゃん!!
もう一度、私は椅子から立ち上がった。が、再び教師と生徒達の白い目線を受けてすとんと座る。忘れかけてたけど、まだ授業中なんだった……皆様、何度もすみません。
心の中で詫びてから、私は思考の世界に戻った。
魔法とかそんなの関係なく、イリオスがカミノス様と恋に落ちれば、カミノス様が悪役令嬢になる必要はなくなる。だって好きな人に愛し愛されてるなら、いちいちリゲルに嫌がらせをする意味がない。
けれどあの二人がくっついても、悪役令嬢は私のまま。
イリオスについても『幼い頃に無理矢理婚約させられた相手がいるせいで、好意を抱いた相手と無闇に仲良くできない』って原作設定の通りで、何も変わらない。
脳裏に、卒業式の断罪シーンが蘇る。皆の前でリゲルに全力で糾弾された挙句、イリオスに婚約破棄を宣告されて地面に崩れ落ちる『私』の姿を、生々しいほど鮮明に思い出してしまった。
変化があるとすれば、リゲルの役割がカミノス様に代わるだけだ。そしてカミノス様には、リゲル以上に私を追い詰める力がある。
もしかして、『世界の力』がカミノス様に加担した……?
悪役令嬢交代ではなく、ヒロインの交代に動いたのかもしれない。だって『世界の力』はリゲルの恋の成就なんかより、『クラティラス・レヴァンタの死』を願っているようだから。
だとしたら、どうすればいい?
どうしよう、どうしよう、どうしよう!?
頭に浮かぶのはそればかりだ。
唯一の味方だった江宮がカミノス様と共に『世界側』に寝返ってしまったんだとしたら、これからは私一人で戦わなきゃならなくなる。たった一人で、何をどうすればいいのか。何ができるというのか。
今の私は、この最下位クラスの中の誰よりも強い焦燥感に襲われているに違いない。それこそ、恐怖すら覚えるほどに。
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