腐令嬢、事前調査す
窓から仰ぐ空は、薄い雲に覆われているものの明るい陽射しが窺える。今日は梅雨の時期には珍しく、雨の降る心配はないらしい。
ネフェロに再び会いに行くという日に、好天にまで恵まれるなんて、私って日頃の行い良すぎ〜? うん、知ってた〜。
「クラティラスさん、クラティラスさん」
ニヤニヤと外を眺めていたら、後ろから名前を呼ばれた。振り向けば、イリオスが笑顔で手招きする姿が目に映る。
仕方なく、私は椅子を傾けて彼の机に身を寄せた。
「放課後、部活の前に時間を作ってほしいのですぞ。すごいことを発見したのですぞ」
浮き立つ心を隠し切れないといった弾む口調で、イリオスは私の耳に囁いた。
えっと……こいつがこんなにご機嫌で私に話しかけてくるって、初めてじゃないか?
「いいわ、私もちょうど話したいことがあったの。だから時間は作ってあげるけど、私の期待を裏切らないでよね?」
上から目線な物言いをしつつ至近距離から不敵に微笑んでみせると、イリオスの嬉しそうな笑みがさらに蕩けた。
「萌ぇ……じゃなくて、もちろんです。期待していてください。僕がクラティラスさんを裏切るなんて、ありえません。いやはや、クラティラスさんは今日も美しいですなー幸せですなー萌え萌えですなー」
私の悪役令嬢な表情に萌え散らかすのは今に始まったことじゃないが、ここまでゴキゲンになったことってある? ないよね? 誇大表現なしに、今にも歌い出しそうな雰囲気なんだけど。
ほ、本当にどうしたんだろ?
いつもキモいキモいと私を貶してばかりのイリオスがあんなにニコニコだと、逆に怖い。クラティラスの死亡エンドを回避する、すっごく良い案を思いついた、とかかな? それにしちゃ緊張感なさすぎな気がするし……。
イリオスの浮かれっぷりは凄まじく、その後も常にスマイル、BGMには鼻歌、移動はスキップといった状態だった。
主に合わせなくてはならないと思ったのか、ステファニも無表情でスキップしてた。おまけに、いつもは避けるばかりのお兄様にランチに誘われても快く応じたとくれば、これはただ事じゃない。非常事態、いや異常事態だ。
事前調査が必要だと考えた私はリゲルとステファニに断りを入れ、イリオスのことをよく知ってそうな奴に声をかけてランチタイムに二人きりになる時間を作ってもらった。
「んー……俺にもわかんないんだよねぇ。昨日の夜から、ずっとあんな感じなんだぁ。でもゴキゲンなのっていいことじゃない?」
クロノはそう答えて、深い碧の瞳を細めて人懐こく笑った。
黙っていると凛々しすぎて怖く見えるけれど、笑うと可愛い系に転じる。シベリアンハスキーを思わせるこの顔立ち、実は嫌いじゃない。むしろ好き。
でも本人には言わないし、言いたくない。だって……。
「それよりぃ、あーんして食べさせてよ。俺、これでも王子様なんだからね? 王子様の命令には、ちゃんと従わなきゃなんだからね? クラティラスと二人だけでランチなんて、初めてじゃん? しかもここなら、誰にも見られる心配ないじゃん? イリオスにもヴァリティタにも怒られる心配ないじゃん? ごはん終わったら膝枕だからね?」
クロノがへらへらしながらクソみたいな行為を催促してくる。ああ……早くも頭が痛くなってきた。
私が彼と二人きりになる場所として選んだのは、紅薔薇の部室。確かにここなら、人に見られることはないし、話を聞かれる心配もない。
しかしそれを、クロノはチャラ脳で都合良く受け止めてしまったみたいだ。
恋をしたら少しは落ち着くかと思っていたのに、相も変わらずチャラくてウザいところは変わらないんすね。王様ゲームならぬ王子様ゲームをやろうってか? お前しか勝たんやんけ。誰がそんな負け確ゲーやるものか。
こちとら、ただでさえ死亡エンド確定キャラなんだぞ!
「やってあげてもいいけど、全部チクるわよ。イリオスにもお兄様にも、リゲルにもね!」
「ええー! それは困るー! 皆に嫌われちゃうじゃーん! こっそりやろーよぉー!」
「こっそりすんな。こっそりしようとするってことは、アカンことってわかってるわけじゃん。王子様なのに、一人でご飯も食べられないんでちゅかぁ? 恥ずかしいでちゅね〜? リゲルちゃんにも呆れられちゃいまちゅよ〜?」
私が赤ちゃん言葉で煽ると、クロノは渋々といった感じで長く伸びたウルフスタイルの髪をピンで留め始めた。お食事の際は、邪魔にならないようにこうして前髪やサイドの髪をまとめるらしい。
クロノのピン留めヘアは何度か目にしたけど、実際にピンを扱うところを見るのは初めてだ。この手慣れてる感じが、ぐっとくるわね? ヘアピン男子の日常を覗き見しちゃったみたいで、結構萌えるわね?
弟とお揃いの銀の髪をピンで無造作に留めれば、耳が見えないくらいのピアスが目を射る。皆で歩いてる時に雷に遭遇したら、真っ先に落ちそうだな……などと妄想し、私は萌えを堪えた。
今はクロノ萌えに走って余計なことを考えている余裕はないのだ。
「ねえ、イリオスは昨夜からゴキゲンになったって言ってたけど、それまでは違ったの? 何か変わったことはなかった?」
気を取り直し、私は王室特製ゴージャス弁当を食べるクロノに尋ねた。
「変わったことっていうか……うーん、クラティラスに言っていいのかな? 別にやましいこともないからいいよね。イリオスは昨日、ミノちゃんにお呼ばれして、彼女が暮らしてる王宮側の別邸で一緒に夕食したんだ」
ミノちゃんとは、クロノ語でカミノス様を指す。久々に出てきた名前に、私は小さく息を飲んだ。
私とイリオスのイケナイ痴態を目撃して以降、カミノス様はずっと学校を休んでいる。恐らくペテルゲ様の訴えを義兄上が聞き入れ、皇帝陛下から直々に注意を受けたせいだと思われる。
ペテルゲ様は私に、カミノス様が皇帝陛下の命を受けて大人しくなった場合はさらに警戒するよう告げた。逆上した彼女が、この国では使用を禁止されている魔法を使って恋敵である私に嫌がらせをしかねないから、という理由で。
学校に来ないからといって、油断していいわけじゃない。とはいえ、どう気を付けたらいいのかもわからないんだよね。
そんな状況で、カミノス様はイリオスに接触した。何もないはずがない。
「そ、そんな怖い顔しないで。ステファニは同伴させていなかったけど、ペテルゲも一緒だったらしいから安心していいよ! 大丈夫? 不安を和らげるために俺が抱っこしたげよっか?」
「いらん。話を続けろ」
手短に答え、私はウインナーをフォークで突き刺してクロノを睨んだ。
私のガン付けに軽く怯みつつも、クロノはおずおずと口を開いた。
「続けるも何も、俺にはそれしかわかんないんだよ……イリオスは死にそうな顔で出かけたんだけど、帰ってきたらすごい笑顔だった。多分、その席で何かあったんだと思う」
イリオスがあまりにも嬉しそうだったので、クロノもディアス殿下も気になって問い質した。
しかし彼は『べっつに〜? 何でもないでぇ〜すっ!』とウキウキトーンで返事し、くるくる踊りながら自室に引っ込んでしまったという。
「ついにミノちゃんから、すっぱり諦める宣言されたんじゃないかな? ミノちゃんってずっとイリオス一筋だったし、一途すぎると逆に怖いってところもあるじゃん? それで解放された気分になってるのかも」
クロノから聞いた状況のみでは、私もそれしか考えられない。
あーあ、人選ミスったわ。そんなイベントがあったと知っていれば、こんなクソの役にも立たないクソノじゃなくてペテルゲ様をお誘いして、事情をお伺いするという名目で萌え萌えランチができたのに!
もうこいつに用はない。なので私は掃除機みたいに吸引する勢いでランチを平らげ、席を立った。
「じゃ、私行くから。鍵はちゃんとかけといてね」
「ええー!? ちょちょちょっとクラティラスーー!? 膝枕はあ!?」
クロノが慌てて私を呼び止める。縋るような瞳が小動物みたいに可愛くて、不覚にもまた萌えが呼び起こされた。
くっ……しょげる耳と尻尾の幻覚まで見えてしまったじゃないか。
でもまぁ詳細までは掴めなかったけど、いろいろ教えてくれたんだし、ちゃんとご褒美あげないとだよね。
「鍵の返却はリゲルにお願いしていい? 次の移動教室は、クロノもリゲルと一緒だったわよね? 私は別の教室だから、放課後に用事があって部活に顔を出すのが少し遅れるってことも伝えてくれると助かるわ」
部室の鍵をクロノの目の前に置き、私は微笑んだ。
「クロノも少し時間ができたら、部活に来てね。忙しいのは知っているけれど、数分だけでも顔を出してくれればリゲルも喜ぶわ。だってクロノは、リゲルのBL一番弟子だもの」
「クラティラス……」
クロノの碧い瞳が、うるうると潤んで輝く。思わずナデナデしたくなる衝動に見舞われた私を、さらなる衝撃が襲った。
「クラティラス、大好きっ! リゲルちゃんの次に好き好き! クラティラスも俺のこと、イリオスの次に好き好きになっていいよ! ヴァリティタには黙っとくから、ね!?」
抱き着いてきたクロノに押し倒されかかったが、可及的速やかにゴールデンボールズを蹴り上げることで事なきを得た。
こんな奴に情けをかけた私がバカだったよ!
そんなにDT捨てたいならクロノ棒をぶった切って、てめえのケツにでもぶっ刺しとけ!
もしくはシスコン迷惑野郎なお兄様を誘惑してア~ンなことしちまえ!
そうなった時は私にもお知らせしてくれ! こっそり壁と同化するから、ア~ンな行為を隅々まで見せい!
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