腐令嬢、焦る


「ヅラでもなければ手品でもないし! こうなったのは、イリオスのせいなんじゃないの!?」


「僕の……? 何の話です?」



 私の髪の毛を握り締めたまま、真顔になったイリオスが眉をひそめる。



「イリオスが私に防御か何かの魔法をかけたせいで、こんなことになったんだと思ってたんだけど……違うの?」



 私も同じく眉をひそめつつ問い返した。


 髪を切る案を思い付いたのは、実はこの生まれながらにして意地悪く釣り上がった眉のおかげだったりする。昨晩までは、超絶嫌だったけれど指を切ってみせる方法を考えていた。


 憂鬱な気持ちで出かける支度をしながら本当に悪役顔だなぁと鏡を眺めていたら、不意に眉毛を整えたらマシになるんじゃないかと閃いたのだ。


 で、即実行した。が、見事に失敗した。


 左右を同じにしようとして、気付いたら眉毛がなくなっているって女子のあるあるだよね……。


 マロ眉になった私の顔と言ったら……ただの悪いマロだった。悪役貴族平安バージョンって感じだった。眉毛どうこうの問題じゃなかった。


 それより、この顔じゃ外に出られない。こうなったら描くしかないとアイブロウペンシルで頑張ったんだけど、今度は海苔を貼り付けたみたいになった。だって自分じゃメイクなんてしたことないもん! 前世だって、眉毛は妹達か兄貴の嫁のお義姉にお任せだったもん!


 いやー、新しく世話係になったばかりのイシメリアにこんな姿を見せるのは気が引けたんだけど、泣く泣く部屋に呼んでお願いしたら激しくビックリされたよね。驚きのあまり、ふくよかまんまるボディがひっくり返って転がって、部屋の中の家具全て網羅する勢いでぶつかって、人間ビリヤードみたいな大惨事になったよね。



 満身創痍のイシメリアによって目の上の海苔を擦り落としてもらったところ………何と、我が意地悪眉毛が形状記憶合金よろしく元通りになっていたのである!



 そこでどうやら私の体には治癒能力ではなく、復元能力みたいなものがあるらしいとわかったのだけれど―――。



 脱・意地悪眉毛失敗の件はさておき、私はお兄様の目の前で飛び降りを図ったことについてもイリオスに詳細を話した。


 イリオスはひどく厳しい表情でいつのまにか髪束がきれいに消えた床を見つめ、何事かを思案している。ちなみに、私の髪はまだ握ったまんまだ。そろそろ離してほしい。首、動かせなくて辛い。


 イリオスの様子から察するに、この形状記憶ラティラス現象は彼が魔法をかけたせいではないようだ。


 それにあんなに驚いてたし、こんなに悩ましい顔をしてるんだから、江宮えみやも知らなかったってことよね? ラノベにも載っていなかったのなら、これはもしかしたら『新要素』……?



 随分と近い距離で、いつまでも動かないイリオスのくちびるをじっと見つめていた私は、そこで思い出した――一年生の時に、この音楽室でイリオスと顔面接触した時のことを。



 同じくらいの勢いでぶつかったはずなのに、イリオスはくちびるが盛大に腫れて明太リオス化したのに対し、私の方は大量出血したもののすぐに治った。あの時は王室御用達のリップバームのおかげだと思っていたけれど……考えてみれば、私は生まれてこの方、怪我らしい怪我をしたことがない。


 アステリエンザに罹った時だってそうだ。他の者への感染を危惧して長いこと学校を休んだけれど、医者も驚くほど回復は早かった。



 気付かなかっただけで、この能力はずっと私の中にあったのだとしたら――。



「イリオス」

「クラティラスさん」



 緊迫感が滲んだ私の声と、思い詰めたようなイリオスの声が重なる。そして、少しの静寂。


 私達は相手の次の言葉を待ち、互いの瞳に映る己を確かめるように、暫し見つめ合った。



「あ……えっと、ね?」



 無言の圧に耐え切れず、沈黙を破ったのは私の方だった。イリオスもほっとしたように小さく吐息を漏らす。その呼吸が前髪を揺らし、私は思わず仰け反った。



「ぎゃー!」

「あ、すみません……」



 頭皮の激痛に叫ぶと、イリオスはやっと髪から手を離してくれた。



「ったくもう! いつまでも人の髪の毛掴みくさってからに、ハゲたらどうしてくれるの!? ハゲティラスになったらお前の金で植毛させるからね!?」


「その心配は、今のところなさそうですけどね……」



 冗談のようで冗談になっていないイリオスの言葉に、私も頷くしかなかった。



「この通り、私は髪を切ってもすぐに戻るし怪我をしてもすぐに治るの。しかも多分、私が気付かなかっただけで、最近になって始まったことじゃないみたいなんだ。いつの間にか私は『死なない』……ううん、『死ねない』状態になっていたわけだけど、でも」


「はい、クラティラス・レヴァンタは不死身じゃありません。だって彼女は」



 私に続き言葉を止め、イリオスは沈痛な表情を隠すように顔を背けて私から目を逸らした。



 そう、ゲームではどのエンディングを辿ろうとクラティラスは死ぬ。正確には、何者かに殺される。不死身なら、殺されたって死なないはずだ。



 ――――ということは、つまり。



「『死ねない』のは期間限定、なんじゃない? 今の私はゲームのために、無理矢理死なないようにさせられてるんじゃないかな……?」



 この世界は、クラティラスの死をきっかけに乙女ゲームから戦記物へと大きく変わるらしい。だから私達はクラティラスの死亡ルート回避しようと、何度かゲーム本編に至る前に方向を逸らそうとした。


 けれど変えられた要素もあるものの、元の軌道に戻されることの方が多かった。


 どうやらこの世界は、戦乱の未来を望んでいる。そのために必要なのはクラティラスの死だとばかり思っていたけれど、それだけでなく死ぬタイミングも重要となるのでは? だからその時まで、クラティラスは絶対的な力で生かされるんじゃないか―――と私は考えたのだけれど。



「髪に関してはそうかもしれませんが…………『死なない』ことについては、別の理由があるんじゃないか、と僕は思います」



 しかしイリオスは、あっさりと私の案を否定した。



「ちょっと、別の理由って何? これまでも、散々『世界の力』っぽいのに邪魔されてきたじゃん! 続編にだって、クラティラスがこんな摩訶不思議ボディだってことは書いてなかったんじゃないの!? まさかあんなに驚いてみせたのは、演技だったってのかー!? 答えろ、オラー!!」



 こんなにも激しく抗議したのは、またはぐらかされそうだと思ったからだ。


 イリオス……いや、江宮にはきっと『思い当たる節』がある。私が死ねない体になったのが世界の力じゃないと彼が考えた理由は、恐らく続編に何か匂わせるような描写があったせいだ。


 私と目を合わせようとしないところも含めて、暗く沈んだ表情が何よりの証拠。


 今日は続編のことをちらりと話したんだ。押して押して押しまくれば、何か聞き出せるかもしれない。それに私だって、もう知らないままでいるのは嫌だ。情報さえもらえれば、私にだってできることがあるはず。



大神おおかみさん、焦る気持ちもわかります。でもどうか落ち着いてください。大丈夫、大丈夫ですから」



 鼻息荒く迫る私にやっと紅の瞳を向けると、イリオスは優しい声音で諭した。


 言われてようやく、私は自分が焦っていることに気付いた。皮肉にも死ねない体だとわかった瞬間、この身に迫る死を強く感じてしまったようだ。来年から、ついにゲーム本編が開始する。いよいよ最期の瞬間が現実味を帯びてきたことに、気が急いていた。


 勇み足に任せてイリオスを問い詰めたって、どうしようもないのに。江宮が黙っているのは、私のためだ。私に何もかもを教えてうまくいくなら、とっくにそうしてる。


 なのに私は……。



「ごめん……どうしていいかわかんなくて、ちょっと混乱した。やっぱり江宮が違うって思った理由も、私が知らない方がいいことなのかな? だったら聞かない」



 今度は私が目を逸らす番だった。『ふんだ、もういいもん!』と拗ねたんじゃなくて、自己嫌悪のズンドコに陥った顔を見られたくなかったからだ。


 けれどイリオスの次の言葉に、私はすぐに首を上げざるを得なくなった。



「驚いたのは、演技じゃないです。というのも、ラノベは最新刊でもまだ『未完』だったから、僕にもわからないことだらけなんですよ」



 今ならもう完結してるかもしれませんが、とイリオスは申し訳程度に付け加えた。

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