腐令嬢、勘違いす


 何が起こったかわからないようでキョロキョロしているデスリベの元へ、私は転がり寄った。



「もがもも、んごがうご!?」



 デスリベ、大丈夫? と言ったつもりだが、轡を噛まされたままだったので言葉にならない声しか出ない。おかげでデスリベはビビッて大きく仰け反り、マットレスから転がり落ちた。



「ひい!? な、何だ……ク、クラティラスさんかぁ。巨大イモムシかと思っ……てってってってってっ、ええ!? ボクも縛られてる!? そ、そうだ、ボク達、変な奴らに襲われたんだったよね!? ははは早く逃げなきゃ!!」



 びっくりしすぎて、デスリベから素のロイオンに戻ってしまわれたようだ。必死に身をよじって両腕両足の縛めを解こうとしていらっしゃるが、非力な彼にどうにかできるなら私がとっくにやってる。


 てなわけで、ロイオンはすぐに諦めて私の方にイモムシみたいに這いずってきた。



「クラティラスさんは無事? あいつらに何もされてない?」



 真剣な目で尋ねられ、私は頷いた。



「それなら良かった。ごめんね、クラティラスさん……助けてあげられなくて。ボクが弱いせいだ……!」



 ヘーゼルの瞳が潤んだかと思ったら、ポロポロと涙が零れ出る。私は首を横に振って、そんなことないよと意思表示した。


 だってロイオンは果敢にも彼らに立ち向かおうとした。弱っちいのに、私の髪飾りを取り返そうと頑張ってくれたんだもん。



「そうだよね、泣いてちゃダメだよね。泣いたって、何も解決できない。ボクはデスリベリオン……どんな苦難をも憤怒の業火で灼き尽くす反逆の使者だっちゃ!」



 マットレスに顔を埋めて涙を拭くとロイオンは忽ちデスリベに戻った。ついでに己を鼓舞するつもりなのか、オラヒャヒャヒャという謎の笑い声も披露してくださりましたよ。


 あーあ、これならか弱いロイオンの方が可愛くて良かったなー。



「クラティラスさんは意識があったんだわな? 密室のようであるが、ここはやはり、大声で叫んでも誰も助けに来てくれそうにない場所なりか?」



 ウザみ溢れるデスリベ節に早くもうんざりしつつも、私は頷いてみせた。



「うーんと、それじゃあ……クラティラスさん、ちっと失礼」



 そう言ってデスリベは、息がかかるほど近くに顔を寄せてきた。


 ちょいちょい待って待って、近い近い近い!


 ひえぇ……至近距離で見ると、やっぱりこの子、美形だなぁ。まだ中三だってのに、伏目がちの表情なんてぞわぞわするくらい色っぽいじゃないの。


 こいつは絶対に襲い受け! 異論は認めるから、彼の属性について思う存分語る会を開こう!!



「ほむほむ、粘着テープで留められてるだけどすな。クラティラスさん、ちょいと我慢するでげすよ」



 すると何と!

 デスリベの奴!

 私の頬に! くちびるを寄せてきたじゃないでげすか!!



 ウソウソ、何で何で何で!?


 我慢って、粘着テープ越しにキスさせろって意味だったの!? 死ぬかもしれないなら、ファーストキスだけでも体験しておきたい的な!?



 ダメダメダメダメダメ! そういうのは好きな人とやらなきゃ!!


 ロイオンほどの魔性の受け様なら、私みたいな腐女子じゃなくて普段はお調子者だけどいざとなるとヘタレで煮え切らないワンコ系攻め君を襲って、色香で屈服させるべきだよ!!



「おごー! んももん、ぐがーー!!」


「ちょ、ちょっとクラティラスさん! 暴れずに大人しくしんしゃい!!」



 デスリベのくちびるから逃れようと、私は転がり回った。が、デスリベはしつこく追い縋ってくる。ついには上に乗っかられ、身動きを封じられてしまった。



「クラティラスさん、すまぬなり……少しの間だけじゃけえ、堪えてけろ」



 切なげに眉を寄せ、非常に悩ましい表情でデスリベが囁く。不毛な追いかけっこのせいで乱れた彼の吐息が、私の前髪を揺らした。


 デスリベが身を落として迫ってくる。


 私は思わず固く目を閉じた。柔らかなくちびるの感触が、左頬を滑る。そして――。



「おーい、暑いだろうから冷えた飲み物を持ってきてやったぞ……っおおおおーー!?」


「っ!? ぎょごおおおおおーー!!」



 扉を開けて入ってきた男にワンテンポ遅れて、私も盛大に雄叫びを放った。


 だってデスリベのアホ、ビックリしたんだか何だか知らないけど、思いっ切り私のほっぺに噛み付いたんだもん!



「ゴロク、何の騒ぎだ?」

「どうした、何かあったのか?」



 向こうから声をかけられ、ゴロクなるモヒカン頭の男は慌てふためきながら扉を閉めて答えた。



「ななな何でもない! 縛って転がした二人が巨大イモムシに見えただけだから! すぐに戻るから!」



 それから彼は運良く落とさずに済んだグラスの乗ったトレイを床に置き、デスリベと私の前に膝を付いた。



「なあ……パニックになるのはわかるけど、早まった真似しちゃいけねえよ」


「は、はあ……?」



 私に振り落とされたせいで仰向けに引っくり返ったデスリベが、不思議そうに問い返す。するとゴロクは、愚鈍にも見える岩のような顔を生真面目に引き締めて告げた。



「君、身分の違う相手に恋をしているんだろう? でもこんな時こそ冷静になって、相手の気持ちを思いやらなきゃダメだ」


「えっ……わ、わかるんかいの?」



 デスリベが目を大きく瞠る。


 恐らく彼は、会ったばかりのオッサンに己のリア恋を即座に見抜かれたのだと思ったのだろう。でも多分……というか間違いなくそうじゃない。いろいろと勘違いしてるだけだと思いますぞー?



「ああ、わかるさ。とにかく縛めは解いてやるから、まずは冷たいものを飲んで頭を冷やしな。俺らは君達をさらったが、危険な目に遭わせるつもりはないんだ。せっかくの機会だと思って、その間に二人でゆっくり語りなよ、な?」



 ゴロクは気持ち悪いほど優しい声音で諭すと、その言葉が嘘ではない証にデスリベの手足のテープを外した。次いで、私の口の粘着テープも剥がしてくれた。


 が、その時にゴロクは、デスリベに気付かれないよう小声で囁いた。



「お嬢ちゃんの気持ち、理解してやんな。あんたも男なら、身分なんかに囚われず受け止めてあげなよ。女の子なのに、恥を忍んで自分から迫ったくらいなんだぞ? お嬢ちゃんは本気なんだ」



 ええ…………完っ全っに誤解してますよね!


 もう何がどう間違っているのかを説明する気力も失せたので、私は白けながらも適当に頷いておいた。


 ゴロクが出て行くと、デスリベは私の顔を見て申し訳なさそうに肩を落とした。



「クラティラスさん、本当にすまんかったやん……何とか口で粘着テープを剥がそうとしたんじゃが、うまくいかんかったわい。大切なお顔に歯型なんぞ付けてもうて、イリオス様にも何と詫びたら良いか……」



 それを聞き、私はさらに脱力した。


 あらまあ、そっちも勘違いでしたかぁぁぁ。

 だよねぇぇぇ……普通に考えりゃ、いくら切羽詰まったってデスリベが私にキスしようとするわけないじゃん? 奴にはちゃんと好きな人がいるし、私は彼が百合王と崇める第三王子殿下の婚約者だし……ああもう、マジでキスされるかと思った自分が恥ずかしい!



「それにしてもあの男の人、すごいでござらっしゃる。ボクが恋に悩んでるとすぐに見抜いたがな。クラティラスさんと久々に二人きりになれたで、こんな状況でなければ恋バナできたのに……なんて思っていたことまで察してくれたぞよ。もしかして恋のエキスパート、否、恋の神様やもしれないんご」


「アー、ソウカモネー……スゴイネー……驚きダネー……」



 男が出ていった扉にキラキラの眼差しを向けるデスリベに私は気のない返事をし、ひっそりと自己嫌悪の沼に浸った。

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