出会いイベント各種総殲滅

腐令嬢、数える


 心地良い陽射しが、欠伸を誘う。珍しく早起きしたせいだ。


 昨夜は緊張してなかなか寝付けなかった。でもだがしかし、今日というこの日のために死ぬ気で頑張った。いつものようにイシメリアが起こしに来たんだけど、まさか私が先に目覚めてるとは思わなかったらしくて、驚いて滑って転んで泡吹いて大変なことになったよね。記念すべき一日が、イシメリアの『ぎええ!』という悲鳴から始まることになるとは。


 そんな朝の騒動がまるで嘘のように、穏やかに凪いだ春の空気が私を優しく包み込む。時折楽しげな笑い声が通り過ぎていったけれど、私の睡魔を打ち払うほどの威力はなかった。

 おまけに、柔らかに舞い落ちる桜の花弁がさらに眠気を催させる。これではいけないと、私は懸命にBL妄想をして持ち堪えようとした。


 そういえば春になると、いろんなBL作品でいろんな受けちゃんが桜にさらわれてたよな。一体、毎年何人の受けちゃんが行方不明になってたんだろ? もしかしてこの桜の花弁一つ一つが、さらわれてしまった受けちゃんの魂なのではあるまいか?


 ひらりひらり、淡い薄紅の欠片がゆるやかに降下していく。受けちゃんがひとーりー、受けちゃんがふたーりー、受けちゃん、が……さんにーん……受けちゃん……が……。


 魔性の桜に魅入られた受けちゃんを数えている内に、私の意識もさらわれるように遠退いていった。


 ああ、私は秘密を知った者として連れて行かれるのだな……構わぬ、桜が擬人化した麗しき攻め様と眷属として選ばれし受けちゃんのためならこの身、喜んで養分として差し出そう……。



 などと考えてうっとり身を委ねようとした私だったが、緩んだ顎に強烈な衝撃を受けて現実へと引き戻された。



「あんが!」



 不意打ちのアッパーカットに涙目になりつつも、私はキッと真下を睨んだ。



[何すんの、イリオス! せっかく桜の化身でいらっしゃる攻め様と受けちゃんの愛を繋ぐエネルギーの一部になれるところだったのに! 二人の永久に続く恋路の邪魔しないでよね!]



 私の顎をどついたらしいバッグを銀の髪の頭上に掲げたまま、イリオスは冷ややかすぎるほどに醒めきった赤い瞳を向けた。



「へー、こんな時までBL妄想ですか。さすがはクラティラスさん、最底辺レベルのバカでいらっしゃると同時に最凶最悪レベルの気持ち悪さですなー。でもここで寝るのはやめてくださいねー。ヨダレの雨を浴びせられるのは御免被りたいのでー」



 すっかりゲームと同じに成長した端正なお顔が、嘲りと嫌悪に歪む。


 相変わらずクソ腹立つ表情してくださるなー。せっかくイケメンに育ったというのに、この性格で全て台無しだ。



「だって、早起きしすぎたんだもーん。おまけに入学式でお腹が鳴ったら恥ずかしいと思って、たくさん朝ご飯を食べてきたし、眠くなるのは仕方ないじゃなーい」



 ふああと欠伸からの伸びをしつつ言い訳するも、イリオスは心底呆れたように溜息をつくだけだ。けれど私の健闘を讃えてくれる者も、ちゃんといる。



「イリオス殿下、クラティラス様がこんなに早い時間に学校にいらっしゃるなんて奇跡に等しいのです。寝汚さに関しては、アステリア王国ナンバーワン……いえ、全世界のどれほど寝起きの悪い者であろうと引けを取らないでしょう。ですからどうか、うとうとなされても許してさしあげてください。クラティラス様が寝落ちかけましたら、私がこれで叩き起こしますので」



 私のことをフォローしてるんだかしてないんだかよくわからない言葉を吐き、無表情のまま己のバッグを掲げたのはイリオスの側近であるステファニ・リリオン。


 って待って? 何だそのジュラルミンケースみたいなバッグは! そんなもんであんたのバカ力でぶん殴られたら普通にお亡くなりにあそばせますわよ!


 ステファニに脳天をかち割られ、花吹雪が血飛沫によって紅色に染まる想像で私の眠気は一気に吹っ飛んだ。これはこれでありがたい……のかな。



 そんなやり取りをしつつも、我々はすぐに陣形の配置場所に戻り、再び監視作業を開始した。私達三人は現在、とある人物の到来に備えて待機している。一番下には屈んだイリオス、次に中腰の私、そして一番上には視力の良いステファニと縦に三つ首を並べて、高等部の正門の影に潜み、その時を今か今かと待っているのだ。



「それにしても、こんな稚拙なドッキリにリゲルさんが驚いてくれるでしょうか?」



 私の上から、ステファニが静かに零す。



「ここから飛び出て驚かすなんて、ありきたりすぎます。どうせやるならもっと策を練った方が良かったのでは? 殺人鬼に変装した私がハンマーを振り回して追いかけるとか、クラティラス様とイリオス殿下の中身が入れ替わったという設定で、殿下が怒涛の勢いでBL妄想を話しまくるとか、そのくらいしなければリゲルさんは引っかからないかと」


「おっ、私とイリオスが入れ替わるやつ面白いね! ねえイリオス、今からやってみない!?」


「やるわけないでしょう! ステファニ、余計なことは言わずにちゃんと見張っててください。クラティラスさん、あんたは静かに大人しく、できれば永久に黙っててください。全く、口を開けば気持ち悪いことしか言わないんだから」



 いつものように私にだけキツイ言葉を投げつけると、イリオスはステファニに気付かれないよう、ひっそりとこちらに目配せをした。私も小さく頷き返す。


 ステファニにはリゲルへのサプライズドッキリ計画だと伝えてあるけれども、私とイリオスの本当の目的は違う。


 今日は、アステリア学園高等部入学式。正門の向こうに目をやれば、一目で新一年生とわかる真新しい制服に身を包んだ生徒達のやや緊張した面持ちや明るい笑顔があちこちに咲いている。



 そう――――いよいよ始まるのである。『乙女にこどももおとなも関係ない! 誰でもキュンキュンできる乙女ゲーム♡』というコンセプトの乙女ゲー、『アステリア学園物語〜星花せいかの恋魔法譚〜』が!



「あ、リゲルさんです。今曲がり角から出てきました」



 ステファニの声に、私の体は緊張で強張った。同じく、手を置いていたイリオスの肩も軽く揺らぐ。


 これから私達は、とある大きな仕事を成し遂げなくてはならない。それは、ゲームのヒロインと全攻略対象との間で起こるフラグ折り。


 入学式の日に、ゲームのヒロインであるリゲル・トゥリアンは七人の攻略対象者達と出会う。そのシーンを、全部ゲームとは違うものに塗り替えてやるろうとしているのである!

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