腐令嬢、泣き落とす


「な、何とか誤魔化せましたぞ……」


「ビビったぁぁぁ……江宮えみやが大きな声出すからだよ」


「人のせいにしないでくれます? 大神おおかみさんの方が大きな声を出してましたよ」


「違いまーす、オタイガーの方がうるさかったでーす」


「違いませーん、ウルの方がうるさかったでーす」



 ヒソヒソ声で罵り合いながらも、私達は協力してシーツをベッドにかけ直した。



「で、何でここで寝るんですかぁぁぁ? もう眠気は覚めたでしょぉぉぉ? 部屋に戻ってくださいよぉぉぉ……」



 シーツを整えるや即座にゴロンと横になった私を見下ろし、イリオスが肩を落としてうんざり仕立ての脱力ボイスを放つ。



「だって、サヴラには戻らないって宣言しちゃったもん。行ったところで、部屋に入れてくれないに決まってるもん。この時間じゃ皆もう寝てるだろうし、無理矢理押しかけて叩き起こすなんて申し訳ないもん。ここ追い出されたら、廊下で寝るしかないんですけど? あーあ、クラティラス可哀想……いじめに遭ってると勘違いされるかもなー。どうしましょう、お母様とお父様を悲しませてしまうわ……」



 よよよ、とわざとらしく泣き真似をしてみせれば、もうこっちのもんだ。


 誰だって最推しには逆らえぬのじゃ。たとえ中身が前世からの宿敵であろうともな。



「あーもう、わかりました! ベッドは譲ります。その代わり、早起きして出てってくださいね?」



 よし、推し押しパワーで寝床を勝ち取ったぞ!


 あっさり折れたイリオスは、すごすごとベッドから離れた。ダブルサイズだから二人くらい余裕で寝られるけど、接触嫌悪症と寝相極悪人じゃ添寝の相性は抜群に悪いからね。



「あれ、寝ないの?」



 私が思わず声をかけたのも無理はない。イリオスはベッドの次に寝やすそうなソファには向かわず、窓際に椅子を持っていって月明かりを頼りに本を開き始めたのだ。



「寝付きが、ひどく悪いもので。眠るのが嫌いというか……怖い、んですよね」



 青白い月光が、力無い微笑みを私の瞳に映し出す。



 そういえば、と私は軽く息を飲んだ。


 思い返してみれば、江宮が寝てるところを一度も見たことがない。奴の部屋に遊びに行く度、私は眠くなったら好き勝手に寝落ちていたけれど、目を覚ませば江宮は必ず起きていた。



「ね、ねえ……まさか、前世でも寝てなかった、とか?」


「んなわけないでしょう。大神さんが寝過ぎなだけで、ちゃんと寝てましたよ。ベッドを占領されてるから、いつも床でねぇ。誰かさんのせいで、折畳みマットレスを買う羽目にまでなりましたし」



 厭味ったらしく前世の恨み辛みを垂れてから、イリオスは溜息をついた。



「とはいえ、江宮えみや大河たいがも睡眠が苦手でした。でも生まれ変わって記憶が戻ってからは、さらに余計なことを考えるようになってしまって」



 江宮が何故睡眠を苦手としていたかは知らないが、彼が言う余計なことというやつには思い当たる節があった。


 私だって、どうしても想像してしまう時がある。考えたところで、仕方ないというのに。



「それって、前世の家族のこと、かな……?」



 恐る恐る尋ねると、イリオスは私から目を逸らして窓の方を向いた。



「……母さんには、ずっと心配かけてばかりでしたから。僕がいなくなってどうしているのか、自分を責めたんじゃないか、前を向いて生きることができたか、僕の死が足枷にならなかったか……とまあ、いろいろね」



 江宮の家は、リゲルと同じで母一人子一人だった。父親については、聞いたことがない。離婚したのか亡くなったのか、その辺の事情は知らない。


 苦労することも、きっとたくさんあったと思う。でも江宮のお母さんは陰気臭さ炸裂の息子とは大違いで、明るくて優しくて、ちょっと抜けてるところが可愛くて面白くて、日向のようにあたたかい人だった。


 家に遊びに行く度に、那央なおちゃん那央ちゃんと私を笑顔で歓迎してくれた。私も朋絵ともえちゃんと呼んで、母親のように……というより女友達みたいな感覚で接していた。


 看護師という仕事柄、夜勤が多くて息子との時間をあまり取れなかったようだったけれど、朋絵ちゃんはどれだけ疲れていても家事には一切手を抜かない主義らしく、一戸建てのお家はいつもピカピカに磨かれていた。遊びに行けば嫌な顔一つせず、私の分まで食事を作ってくれた。


 母親がいる前でも、平気で大喧嘩するようなクラスメイトにもあれだけ良くしてくれたんだ。朋絵ちゃんが心から息子を大切にしていたことは、私だってよくわかっていた。



 そんなお母さんを一人残して死んでしまったんだから、思い出せばさぞ心が痛むだろう。



 しかし江宮は、そこから想定外の言葉を吐いた。



「少しは親孝行をしてあげたかったけれど……でも、母さんが僕という重荷から解放されるためにも、結果的には早めに死ねて良かったと思います。母さんの幸せを、僕が奪い続けていたから」


「ちょっと江宮、そんなこと……」



 私は慌てて飛び起き、江宮の不穏な発言を止めようとした。



「そんなことない? あるんですよ。大神さんが知らないだけで、母さんはずっと僕の犠牲になっていたんです」



 こちらに冷たい一瞥を寄越した紅の瞳には、江宮特有の絶対不可侵領域を感じた。



「怖いのはね、『この世界が自分の妄想なんじゃないか』と思うことなんですよ」



 やけに愉しそうな口調がひどく不気味で、私はますます何も言えなくなった。



「この世界は僕の妄想の産物でしかなくて、本当はあの事故から生き延びてしまったんじゃないかと。意識が戻らない植物状態の中、こんな夢を見ているだけなんじゃないかと。次に目が覚めたら、『あの世界』に戻っているんじゃないかと…………そう考えると、怖くて怖くて、眠れなくなるんです」



 同じ状況を、私も妄想したことがある。



 最期に目にしたのは、このゲームのパッケージと動かなくなった江宮。


 その二つがこの脳に強烈に焼き付けられたせいで、こんなバカげた世界を夢想しているだけなのかもしれないって。



 だけど、怖くなんてなかった。むしろ、夢であってほしいと思った。


 なのに江宮は私とは正反対に、自分が生きた世界に逆戻りするのを心底恐れている。



 何故かなんて知らない。聞かれたくないだろうし、聞く気もない。



 でも、違う。ここは、夢なんかじゃない。



 江宮は私を、NPCと同じ中身のない幻だと疑っているのかもしれない。けれどこの通り、私には意思も意志も確かにある。



 それに私なら、こんな世界を夢見ない。


 江宮を王子になんてしないし、自分を悪役令嬢になんてしない。大体、この私がBLのない世界を妄想して寝くたれ続けてるとか、どう考えたってありえないよ!

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