腐令嬢、オショレ道を行く
他のクラスの遠泳は中止され、残り時間はそのまま海で遊んで良いということになった。ただし、海に入るのは浅瀬までという条件が設けられている。
普通の学校なら、あんな事故が起これば合宿自体が中止されるだろう。
しかし我らの学び舎、アステリア学園はそんな生易しいところではない。このまま残るか去るかの二択を生徒達に与えるのみで、後者を選んだ者はもちろん成績に響く形となる。アステリア学園随一のエリート校は、年に一度の学習行事をちょっとやそっとの出来事で潰すような甘い学校ではないのだ。
さすがに死者が出るほどの事態になれば中止も考慮されたかもしれないけれど、リゲルもステファニもあの後はケロッと元気にしていた。今は大事を取って、宿舎で休んでいる。
代わりにロイオンが思い出したように倒れたので、デルフィンが付き添い、二人も離脱した。
私はというと、悩んだ末に砂浜に残る道を選んだ。
精神的にとっぷりと疲れたし、あんな姿を皆に見られたのかと思うと恥ずかしくていたたまれなかったけれど、リゲルとステファニがどうしてあんなことになったのか、気にかかっていたからだ。
「いやー、いろいろと衝撃でしたなー」
「やめてくれる……? 二度と思い出さないでほしいし、思い出させてほしくもないんですけど」
アステリア王国の紋章がデカデカとプリントされたクソダセェパラソルの下で、私は隣に座るイリオスから目を逸らし俯いた。するとイシメリアが新たに部屋から持ってきてくれた、新たなサマードレスの胸元が目に映る。その隙間から、紐水着が嘲笑うようにチィースと言わんばかりに覗いた。
こっち見んな。とっとと消えろ。元の昭和スター半魚人水着に戻れ、クソが。
ペテルゲ様には『ア、アステリア王国のレディは慎ましやかな方が多いと聞いていたから驚いたよ……クラティラスはその、前衛的なのだな……?』と苦しすぎるにも程があるフォローをいただき、ディアヴィティには『お前、下着だけじゃなく水着の趣味も悪いんだな。さすがに引くわ……こんなのを好きだと勘違いしてた自分が可哀想になったわ……』と憐れまれ、お兄様には『いくら何でも限度というものがあるだろう! リゲルとステファニだけでなく私まで心臓が止まるかと思ったぞ! そんなあられもない格好で殿下を誘惑しようとするなんてズルいではないか! 抜け駆けは良くない!』などと叱ってるんだか羨んでるんだかよくわからない言葉を投げ付けられ…………とにかく散々だった。
でも一番効いたのは、デルフィンの『今度一緒に水着を買いに行きましょう?』っていう優しい言葉だったな……。デルフィン、まるで事故現場を見たような悲痛な目をしてたよね……。
この大事故な黒歴史については夜にでも枕に顔を埋めて泣くとして、今考えるべきはもう一つの事件の方だ。
「イリオス……何か知ってるんでしょ」
私はそっと顔を上げ、小さな声で尋ねた。
周りに人はいない。王国軍の護衛達は私達が二人きりになりたいと言ったら離れてくれたし、イシメリアにも医療の心得のあるアズィムと一緒にリゲルとステファニについていてほしいと伝えて二人のもとへ行かせた。何度も近付いてこようとしたお兄様は、ディアヴィティとペテルゲ様とクロノにお願いして顔だけ出して砂に埋めてもらった。
それでも声を潜めてしまったのは、『リゲル達を狙った犯人』に盗み聞きされるんじゃないかと思ったからだ。
「…………多分、クラティラスさんの想像通りなんじゃないかと」
イリオスはそう答え、視線だけを斜め後ろに一瞬向けた。釣られて振り向きかけたけれど、ぐっと堪える。そこにいる者に悟られてはならない。
我々のパラソルから数メートル離れた左斜め後ろには、ヴォリダの紋章が入ったパラソルが立っていた。そしてその中には、玉座めいたゴージャスなサマーベッドで寛ぐカミノス様がいる。
やっぱりあいつか!
私はギリギリと歯を噛み締め、殴り倒しに行きたいと訴える衝動を懸命に押し殺した。
カミノス様がビーチから海に注いでいた目は、好きな人を見つめるそれじゃなかった。たとえ応えてくれなかった相手に憎しみを抱いたとしても、あんなにも冷たい表情はできない。好きだった人を見限ったならともかく、彼女は今もまだイリオス好き好き大好きなのだから。
カミノス様は、イリオスを見ていたんじゃなかった。見つめていたのは、イリオスの側で笑い合う女の子達。彼女達を排除しようとあの時、遠隔で魔法をかけていたんだ!
イリオスが分析したところによると、カミノス様は麻痺の魔法で二人の意識を奪い、続けて瞬間移動の魔法を使用したらしい。本当はもっと遠くへ移動させたかったのかもしれないが、術者と触れ合わない遠隔からの魔法ではあれが精一杯だったんだろう。また本気で二人を消したいと考えたのなら他にも方法はあったはずだから、殺すつもりまではなかったんじゃないか、ともイリオスは言った。
しかし実際、リゲルとステファニは死にかけた。
殺すつもりはなかったのだとしても、二人が生き延びようと死んでしまおうとどちらでも構わなかったんだと思う。カミノス様にとって、あの二人はモブでしかないのだから。
だけど、私にとっては違う。二人共、大切な友達だ。
まだ死ぬ運命にないとはいえ、二人に苦しい思いと怖い思いをさせて、危害を加えたことは許せない!
「よくも私のリゲルとステファニを……あのクソアマ、必ず泣かす……殴る……しばく……いわす……」
静かに呪詛の言葉を漏らしていると、イリオスが体を寄せて耳元に囁いた。
「クラティラスさん、気付いてなかったんですか? あの方、あなたにも魔法をかけようとしていたんですよ?」
「え?」
思わず、私はイリオスの方を向いた。すると奴の顔が至近距離に迫る。
オイコラ、近い近い! もうちょい離れておくんなまし! ……と叫びそうになったが、これも我慢した。
我々は今、とてつもなく人に聞かれてはいけない話をしているのだ。絶賛内緒話中なんだから仕方ない。
「今も、あなたに向けて魔法が放たれてます。何か感じますか?」
前髪が触れ合うくらいの距離だというのに、イリオスは少しも全くちっとも気にしてないようで、とても冷静な声で尋ねてきた。
おかげで焦ったのがバカらしくなり、私も平静を取り戻した。
「そういえば、いつもより暑いかも? あと喉乾いた。お腹も空いてきた。朝ごはんたくさん食べてきたのに……くっ、私の身を苛む諸症状はあの女のせいだったのか!」
「うん、全く影響してないみたいですな。ちなみに彼女があなたにかけようと頑張っているのは、あの二人にかけたのと同じ、瞬間移動の魔法です。全然動きそうもないんで、やっぱり効いてないんですね。心配して損しましたがな」
イリオスは渋々といった感じで、側にあった水筒からカップに水を注いで手渡してくれた。勝手に心配しといて、勝手に損した気持ちにならないでほしい。
「じゃあ、用意してきた水着がミス着にチェンジした件もカミノス様とは関係ないの? これ、元はすごくいい感じの水着だったんだよ? お母様が買ってきてくれたんだけど、クラティラスの美しさを存分に発揮するデザインでね……」
説明しながらチラリと胸元を覗いてみると――驚くべきことが起こっていた。水着が元に戻っていたのだ!
私はいそいそとサマードレスを脱ぎ、イリオスにそれを披露した。
「これ! これよ、これ! ね、すごく良いでしょ!? 海のお姫様をイメージしたらしいんだけど、ちょいとレトロなスター感にミステリアスなウロコみが加わって、煌めきと妖しさのマリアージュなの!」
さらに前世の雑誌でよく見た水着のグラビアアイドルの写真を真似て、片手で頭を支えて横向きに寝転がりつつ片膝を立てるというポーズをキメてみせる。
うろ覚えだけど、こんなんだったよね! 今の私、間違いなく誰よりも輝いてるはず!
「…………すみません、クソほどダサいです。ニートの半魚人オヤジにしか見えません」
しかし鼻息荒く笑顔でドヤるも、イリオスは冷ややかな目でさっくりと一刀両断した。
――――何がいけなかったというのか?
私、やっぱりお母様に似てオショレになりつつあるのかな……いよいよ自分のセンスに自信なくなってきた。
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