腐令嬢、踊らず


 江宮えみやが顔を上げる。泣いてはいなかったけれど、この上なく悲愴な表情をしていた。



「私は死んでなんかない。私は燃えてなんかない。いや、萌えはあるけどそれは置いといて、とにかく『大神おおかみ那央なお』は生きてる。今は死なない体だし、十八歳の期限が来ても絶対に死なない。絶対に、生き延びる!」



 力強く、私は宣言した。



「ど、どうしてそう言い切れるんですか……絶対、なんて」



 江宮が弱々しい声をこぼす。目を逸らそうとする彼に顔を寄せ、私はニッと笑って告げた。



「お前がついてるからじゃん、江宮!」



 江宮は何度か瞬きして、それから気が抜けたように吐息を落とした。



「……大神さんって本当に、どこまでも能天気ですよね」



 この野郎、この期に及んでバカにしてんのか?


 ギリギリと奥歯を噛んで威嚇音を発し、拳を握ってファイティングポーズを取ってみせると、江宮はやっと口元を綻ばせた。



「でも大神さんのそういうところ、嫌いじゃなかったです。大神さんみたいになりたいと、思ったこともあったりなかったり……」


「あるのかないのかはっきりしろや! 大神那央のようなパーェクトヒューマンに、憧れないわけがないだろ!」



 思わず突っ込んだのには、照れ隠しもあった。



「そうですね。ナオピッピに憧れないわけないですよね」


「バカにしてる! 超バカにしてる! ナオピッピの可愛さはまじで神ってたんだからね!」


「はいはい、大神だけに神ってたんですね。わかりますわかります」



 私の文句を軽く受け流し、江宮は椅子から立ち上がり窓を開けた。蒸し暑かった部屋に、涼やかな秋風が流れ込む。

 私も江宮の隣に行き、茹で上がりかけていた身に新鮮で清涼な空気を浴びた。



「大神さん、ありがとう」



 江宮は真っ直ぐに前を向いた状態だったけれど、横顔には柔らかな笑みが浮かんでいた。



「僕のしたことは、許されないし許されてはいけない。だから大神さんに許すと言われても、きっと受け入れられなかったと思います。でも、半分こしようって言葉のおかげで少し胸が軽くなりました」


「それなら良かった。殺し合いの末に、刺し違えたみたいなもんだからね。どっちが悪いとかどっちのせいとか、そういうのナシにしよ。憎むなら、あの時に車を運転してた奴だよ……毎回前髪を三センチ切りすぎる呪いか、毎日靴の中に小石が入る呪いか、毎度炊飯器の保温が勝手に切れてご飯が固くなる呪いにかかればいいんだ!」



 フンスと鼻息を吐き出して、私は恨み節を吐いた。そんなことでも言ってないと、何だか恥ずかしくてまた顔が熱くなりそうだったので。


 江宮に真剣にお礼を言われるなんて、初めてだったから。



「うわ、地味に嫌な呪いですね。さすが大神さん、根性悪いだけあって人の嫌がることをさらっと思い付きますなー。さて、そろそろ戻りましょうか」



 窓を閉めて、江宮が笑顔でこちらに手を伸べる。戸惑って、私は立ち竦んだ。が、江宮は何事もなかったかのようにすたすたと扉の方向に歩いて行った。


 ああ……おいでのポーズだったのね。

 クソ、手を繋ごうとしてるのかと勘違いしたじゃん! 紛らわしい真似すんな、バカ!



「大神さん、どうしました? いつもより眉が釣り上がってますけど」


「どうもしねーよ! 元々こんな眉毛だよ! 意地悪顔で、すみませんね!」



 八つ当たり気味に吠えると、江宮は左肩を軽く開いて胴と脇の間にスペースを作ってみせた。



「今の時間で、仲直りしたことにしません? いちいち言葉で説明するより、行動で示した方がわかりやすいかと……」



 恥ずかしそうに口ごもる彼の様子で、私にも意味がわかった。腕を組んで皆に見せ付けようと、江宮は提案しているんだ。



「あっ……そ、そうね。うん、そうしよっか」



 私も同じようにしどろもどろに答えつつ、そっと江宮の開けたスペースに手を滑り込ませた。



「ところで、わかってると思うけど」


「はい、ナオピッピのことですな。これからは神と崇めますぞ」


「そうじゃない! ナオピッピの件はもう忘れろ! ナオピッピいじりは禁止!」


「はいはい、わかってますよ。カミノス様には、後で丁重に謝罪します。大神さ……じゃなくてクラティラスさんに知られたくない一心で、我を忘れてひどいことを言ってしまいましたからね」



 音楽室を出てしまえば、もう前世の名前で呼び合うことはできない。少し寂しく感じた気持ちを、私は笑い飛ばして振り切った。



「もう知られたんだから、ちゃんと誠心誠意謝ってきてよ? とばっちりでバスケットゴールによる物理攻撃を食らうなんて、もう懲り懲りだしー?」


「そうですね……カミノス様がバラしてくれたおかげで、気持ちを吐露できたんですよね。だったら謝罪だけでなく、感謝もすべきなのかもしれませんなー」



 そんなことを話しながら、私達は腕を組んで歩いた。


 江宮の体はとても熱かった。でも、私の体はもっと熱かったと思う。


 今日は、十月とは思えないほど気温が高い。

 最高気温を記録する時間帯は過ぎたといっても、風がなければ立っているだけで汗が噴き出すような暑さだ。


 なのに互いの熱を共有し合うようなこの行為を、嫌だとは感じなかった。

 叶うなら、いつまでもどこまでもこうしていたい――何故かそんな気持ちが湧き上がって、振り払えど振り払えど止まらず、さらに体が熱を帯びる。おかげで腕から染み込む自分の体温で、江宮が溶けるんじゃないかと本気で心配してしまった。我ながらアホである。


 イリオスに戻ったものの、江宮は溶けも消えもせず、しがみつく私の手を逞しく成長した腕でしっかりと受け止め続けてくれた。



 けれど体育祭後の恒例イベントとなっているペアダンスは、やっぱり彼とは踊らなかった。



 別に残念だなんて思ってないし?

 イリオスは接触嫌悪症なんだから仕方ないことだと理解してるし?

 それよりリゲルが誰とも踊らないように牽制したり、一緒に踊ろう踊ろうと迫ってくるお兄様を撃退したり、ダンスが苦手だというレオにクロノが手取り足取りで教える姿に萌えたりするので超絶忙しかったし?

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