真相カミングアウト
腐令嬢、躱す
陽射しが柔らかな温もりを帯び始めると、根雪もすっかり溶け消えた。
アステリア王国は急速に春の粧へと移り変わり、心配されていた桜の開花も例年通り訪れ――アステリア学園の敷地は昨年と変わらず、薄紅の花弁が織り成す優しい色合いに彩られていた。
本日から、私は中等部三年生。
勉強嫌いのせいで成績が奮わず、いつ退学にされるかと不安視されていたものの、何とか最高学年まで進級できた。非常に喜ばしいことである。
「おはようございます、クラティラスさん」
共に家から登校してきたステファニと『ヘタレ攻めと襲い受けの場合、左右逆表記はアリなのかナシなのか』といった議論を繰り広げていたところ、挨拶の言葉をかけられた私は、嫌々そいつを振り仰いだ。
「おはよー、イリオスー。……いや絶対ナシだよ。ヘタレでも攻めは攻め、襲っても受けは受けだって。ノマでも女が襲ったからって、男は妊娠しないでしょ?」
「おはようございます、イリオス殿下。……でも攻めているのですよ? 受け身から脱しているのですから、逆表記の方が理に適っているはずです。それに攻め受けという言葉は、性別とは異なります」
愛しの殿下が現れたというのに、ステファニも素っ気なく返すのみで、すぐ私との話題に戻ってきた。
表情こそデフォルトの無表情のままだが、機械音のように無機質な声は明らかに熱を帯びている。それだけ彼女がこの議題に熱中しているということだ。
「そうは言っても、肉体の営み的にさあ」
「そもそもまず、攻め受けという名称が」
「……あの!」
が、またもや話を堰き止められる。
今度という今度こそ許さん! とばかりに、私とステファニは揃って殺意すら滲ませた目で割り込んできた狼藉者を見上げた。
現婚約者と元側近、二人から発せられる失せろ消えろ邪魔すんなオーラに圧されながらも、イリオスはほとんどゲームと変わらない長さにまで伸びた銀の前髪を指先で軽く払い、そこから覗いた紅の目で真っ直ぐに私を見た。
「クラティラスさん、休みの間に何度かお手紙を出したんですけど、一度もお返事くれませんでしたよね? もしかして、届いてなかったですか?」
クソ……いきなり嫌なところに突っ込んできよった。できたら顔も見たくなかったというのに。
「あーあー、手紙ねー? うんうん、届いてたよー。忙しくて返事を書く暇もなかったんだー。本当にごめんねー?」
内心ヒヤヒヤしながらも、私は平静を装って答えた。
「忙しい、というと?」
しかし、イリオスは引き下がらない。
そうですか〜はい納得〜と言ってくれるのを期待したけど、やはりそうはいかないようだ。だよねー、手紙をしつこく送ってくるようになったのはあんなことがあった後だもんねー。
「べ、勉強してたの。ほほほ、ほら私、進級できたのが奇跡って言われてたじゃん? こうなったら卒業試験こそ楽々クリアして、自分を小馬鹿にしてた奴らを見返したろーと思って?」
「…………本当に?」
机に手を付き、イリオスが顔を寄せてくる。睨むに等しい目付きには、明確な猜疑心が灯っていた。
ちょっとちょっと、何でこんなに疑うの? 私が勉強するってそんなにおかしい? うん、おかしいな! 疑われるのも仕方ないな!
「イリオス殿下、嘘ではありません。クラティラス様は、本当にずっと勉強なさっておられました。私が教えていたのですから、間違いありません。恐らくクラティラス様は、成人を前に心を入れ替えたのだと思われます。今のようなアホアホのダメダメのゲヘゲヘでは、殿下の隣に立つ者として相応しくないと考えて」
ステファニがすかさずフォローしてくれたおかげで、イリオスの視線はやっと私から外れた。
良かった……あのままガン付けられ続けたら、顔に穴が空いてたかもしれない。にしてもアホアホダメダメはさておくとして、ゲヘゲヘって何よ?
「ゲロい屁を略してゲヘゲヘです。どうしようもないという意味です。私が今適当に考えました」
首を傾げる私の様子を察し、心を読んだかのようにステファニが解説を入れてくれた。そーかいそーかい、どうせ私はゲ
「へえ……心を入れ替えた、ねぇ」
まだ物言いたげではあったけれど、イリオスは身を引いてくれた。
「そうだ、クラティラスさん。今日、放課後に時間をいただけませんか? 久しぶりに二人でお話したいんです」
ところがほっとしたのも束の間、最後っ屁とばかりに彼が放った申し出に、私は再び固まった。
仕方なしに目を向けてみれば、通称イリオスマイルと呼ばれる、王子様らしい美麗な仮面でで本心を包み隠した偽物の笑顔が迎え撃つ。
「そ、そうねー、今日は無理だねー。部活で新歓活動の話し合いするし、帰りは図書館にも寄りたいからねー。ついでに最近はやたら夢見が悪くて、寝不足気味なんだよねー。てなわけで、また今度ねー」
けれど私は騙されない。
奴が私にあのスマイルを向けてくるのは、何か企みがある時だけだと知っているからだ。その手には乗るものか。
「今度って……」
思惑を見破られ、イリオスの仮面が剥がれ落ちる。
その下から覗いたのは、彼の偽りなき本当の素顔――この上ない不安に満ちた暗い表情だった。
「おはようございまーすっ!」
思わず揺らぎかけた私だったが、明るい声に救われた。
声の主は薄茶のボブヘアに金の瞳の美少女――リゲル・トゥリアン、我が心の友である。
「リゲル、おはよう! ちょうど良かった。今さ、ステファニとヘタレ攻めと襲い受けの表記について話してたんだよねー」
「あ、それ大事ですよ。アフェルナ様……いえ、覆面作家A様からの寄稿もまとめたいし、本として出すためにも明確にしておく必要があると思っていたんです」
話を振るとリゲルは即座に飛び付き、定位置である私の隣に座って怒涛の勢いで持論を展開した。
視界の端に、所在無さげに佇むイリオスが映る。やがて諦めたようにステファニの隣の席に消えても、その姿は私の瞳に残像みたいに焼き付いていた。
ごめん、と一言、心の中で私は詫びた。
手紙にも、会って話したいという旨が綴られていた。縦読み斜め読み炙り出しでも、いつもの悪口や嫌味は検出できなかった。なのでイリオスは真剣に、私との話し合いを望んでいるのだと思う。
だからこそ、応じられなかった。『未来を知る』彼が、何を伝えようとしているのか嫌でもわかっていたから。
『お前は私の妹ではない。お前はこの家の……』
お兄様が最後に告げたあの言葉の続きは、バカな私にも想像がつく。だから、聞く必要はない。
いや、本当はきちんと聞かなくてはならないのだけれど――でも、ごめん。心の準備ができるまで、もう少し待ってほしい。
今、他の人から真実をきっぱりと告げられたら、知らぬフリを装うこともできなくなりそうだから。
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