腐令嬢、あやす


 想像もしていなかった偶然に驚く私に、トカナはくちびるを歪めてみせた。



「クラティラス先輩が今も覚えているくらいですもの、イリオス様にだって存在を知っていただけたはずだわ。少なくとも、初めての恋にまごまごするばかりで手を振ることすらできなかった私よりはね。それで思ったの。この女は私を邪魔したいんだ。庶民に身を落とした私の方が王子様の近くにいることが許せなくて、こんな嫌がらせをしてきたんだ、と」



 皆に救助された元姉は、トカナを見付けると気まずそうに笑った。しかしそれが、トカナには嘲笑のように見えた。



「だから言ってやったのよ。『この恥知らず! どんなことをしても自分が一番でないと気が済まないのね! 庶民だと思っていつも人をバカにして、いい迷惑よ! 二度と私に近付かないで!』ってね。お姉様、途端に俯いてしまったわ。否定しなかったということは、やっぱり私のことをずっとバカにしていたのよ。五爵の身分でもマウントを取れる相手として、側に置いて優越感に浸りたかっただけだったに違いないわ。それからは、手紙も来なくなった。格下と見做していた私に図星をつかれて、余程悔しかったんでしょう」



 話し終えたトカナの表情を見て、私は悟った。


 そうか……この子が一番憎んで、一番欲して、一番望んでいたのは。



「トカナ、あなたが求めていたのは第三王子の寵愛ではないんじゃないかしら?」



 トカナが弾かれたように私を見る。眼鏡のレンズ越しに、潤んだネイビーの瞳が揺らぐ。しかし構わず、私はさらに続けた。



「誤解しないで、あなたがイリオスに恋したことを否定しているわけじゃないのよ。けれど彼が自分と同じ庶民だったら、たとえ好きになったとしても誰かから奪ってまで手に入れようとは思わなかったんじゃない? 相手の女の子を羨み妬むことはあっても、素直に諦められたと思うわ」



 トカナからの返事はない。ひどく戸惑った表情で、私を見つめ返すばかりだ。



「今でも、私からイリオスを奪いたいと思う? 私を憎たらしいと思う? 私もあなたのように演技で『優しいフリ』をしていただけで、心の中ではずっとバカにしていたと……リゲルや他の皆と一緒にいるのは、あなたがお姉様に感じたように『優越感に浸るため』だと思ってる?」



 トカナがゆるゆると、首を横に振る。ゆるゆるはふるふるへ、そしてぶんぶんへと強度と勢いを増し、それにつれて彼女の表情も変わっていった。懸命に維持していた意地の仮面が剥がれ、子どもの頃に置き忘れてしまった素の泣き顔に。



「ごめんなさい……ごめんなさい、ごめんなさい。私、どうしてもクラティラス先輩に謝りたくて、門前払いも覚悟でここに来たの。でも先輩は私を拒絶せず、受け入れてくれて……いつもそうだった。クラティラス先輩は出会った時から優しくて、こんな私をあたたかく迎えてくれた。他の先輩達も皆そう。貴族だから庶民だからと差別する人なんて、一人もいなかった」



 ものすごく涙を拭きにくそうにしていたので、私はトカナの隣に移動して眼鏡を外してあげた。ついでにハンカチを持ってきていなかったようなので、ポケットから取り出した自分のそれを手渡す。


 トカナは細い声でお礼を告げて受け取ったけれど、私のハンカチは使わずにぎゅっと握り締めた。



「蹴落としてやろうと近付いたのに、クラティラス先輩も他の貴族の皆様も自分の想像と全然違いました。本音で接してくれる先輩達を見ている内に、身分も何も関係なく皆、私と同じ女の子なんだとわかってきて……一緒にいるのが楽しくて嬉しくて。だからこそ、騙してることが辛くなりました。何でこんなことしてるんだろうと自分を責めても、何でこんなことしちゃったんだろうって悔やんでも、もう遅かった」



 その言葉に、私も泣きそうになった。


 トカナは我々と、嫌々付き合っていたわけじゃなかった。最初はそうだったかもしれないけれど、ほんの少しでも彼女にとって楽しいひとときはあった――それが、この上なく嬉しかった。


 けれどトカナには、楽しく感じたからこそ苦しかったんだろう。



「クラティラス先輩達は皆、良い人です。貴族だというだけで嫌悪していた私が間違っていた。だけど、それを認めたら私は…………エクサお姉様は!」


「トカナ、あなたはお姉様を恨んでいたのではないわ。貴族を憎んでいたのでもないわ」



 ハンカチを握り締めて震えるトカナの手を包むように握り、私は静かに告げた。



「あなたはお姉様が、自分と違う世界へ行ってしまうようで寂しかったのよ。お姉様が自分から離れていくことを恐れていただけなのよ」


「でも、私……私は……」



 涙を零しながら、トカナが言葉を詰まらせる。私は彼女を抱き締め、耳元に囁いた。



「お姉様の側にいたかったんでしょう? あなたはお姉様と同じものを見て同じものを感じて、お姉様と一緒に笑ったり泣いたりしたかった。でもどんどん話題が合わなくなっていって、このままお姉様と共有できるものが消えてしまったら、いつかお姉様に捨てられるんじゃないかと怖かったのよね?」



 腕の中で、トカナはしゃくり上げながら頷いた。そんな彼女の背中を、私は優しく撫でてあやした。全く、世話の焼ける後輩だ。



「あなたはイリオスのことが好きだった。それは本当でしょう。けれど、第三王子と結ばれればお姉様と同じ舞台に立てる……そんな考えがあったのではなくて? あなたはイリオスなんか以上に、お姉様が大好きだったのよ。誰よりも大好きなお姉様とずっと笑い合っていたい、それだけがあなたの望みだったのよ」



 ついに、トカナは大声を上げて泣き出した。


 嗚咽の合間に、お姉様ごめんなさいごめんなさいごめんなさいと、何度も何度も謝罪の言葉を述べながら。

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