腐令嬢、妹欲す


 彼女が泣き止み落ち着くのを待ってから、私は笑顔で提案した。



「トカナ、今からでも遅くないわ。エクサ様にお手紙を書きましょう!」


「えっ……でも」



 私の用意した便箋に真っ赤に泣き腫らした目を向けるも、トカナはペンを取ろうとしない。



「いいからとっとと書く! 気持ちを伝えないと、何も始まらないよ!」


「始まるも何も、私が終わらせちゃったんですけどね……」



 しょぼんと項垂れる彼女の頭に私は隣から手を伸ばし、ナデナデしながら微笑みかけた。



「エクサ様がお返事をくださらなかったら、私がトカナのお姉様になるわ。年齢も同じだというし、ちょうどいいでしょ?」


「あの……すみません。こんなに汗臭いお姉様はちょっと……」



 トカナがそっと身を引く。


 やっば、忘れてた! 私、まだ入浴してないんだったよ!!



「ちちち違うよ!? いつもはこんなヤバかりし悪臭を放ってないからね!? これはダンスレッスンのせいなの! 魔物も泣いて逃げ出すほど恐ろしい極悪ババア二人に散々しごかれ倒した後だから……!」



 焦り狂いながら必死に言い訳すると、トカナはふふっと吹き出した。



「冗談ですよ! クラティラス先輩がお姉様になってくださるなんて、とっても嬉しいです。こんな素敵なお姉様ができるなら、エクサお姉様に許してもらえなくてもいいかも?」


「まじか。じゃ、手紙書くのやめよ。私、妹がとてつもなく欲しいんだ。妹という存在に、ずっと飢え散らかしてるんだよね」


「許してもらえなくていいっていうのも冗談ですよ……クラティラス先輩、何故こんなに冗談が通じないんですか? 冗談という言葉の意味、わかります?」


「な、何をう!? わ、私だって冗談で言ったんだもんね! 手紙は書かせるもんね! まーどうしても書きたくないっていうなら、妹になっていただきますけれど!?」


「…………クラティラス先輩って、本当に嘘が下手ですね。リゲル先輩の言った通り、悪役の演技はすごかったのに」



 それは生まれながらに、悪役令嬢だからです……。


 私が引き攣り笑いで誤魔化している間に、トカナはやっと決心したようで恐る恐るペンを取った。


 何度も手を止めては考え込み、思いをうまく言葉にできず便箋を何枚も使って書き直していたけれど、しかしゆっくり時間をかけて、彼女は愛する姉への思いを文字にしてしたためめていった。


 私は窓際の勉強机に移動して、絵を描いていたよ。隣で監視されるとトカナはさらに気が散るだろうし、何より中身を見るべきじゃないと思ったからね。


 書き終えたと声をかけてきたトカナは、清々しい表情をしていた。随分と苦心したようだけれど、きっとお姉様に伝えたかった思いの丈をしっかり書けたに違いない。



 手紙はイシメリアに託し、すぐに投函するようお願いした。トカナに預けると、また迷って送るのを躊躇ってしまうかもしれないので。



「クラティラス先輩、これを」



 そろそろ夕暮れも近付いてきたので帰宅を促すと、トカナは一つの封書を私に差し出してきた。退部願だ。



「あっ……そ、そうね。BLに興味がないというのに、無理して付き合わせていたんだもの、仕方ないわよね」



 狼狽えつつも、私はそれを受け取った。


 やっぱり辞めませんという言葉を期待していなかったといえば、嘘になる。けれども、元々トカナが入部したのは私を通じてイリオスに近付くためだった。全てを打ち明けた今、好きでも何でもなかった私――の男体化に萌えているフリを続ける必要はない。


 それに彼女は二年もの間、BLに触れ合ってきた。私とのいざこざが解決したのに、それでも退部願を出すというのは、つまりそういうこと。結局彼女はBLを好きになれなかった、というわけだ。



「トカナ、いつでも部室に遊びに来ていいからね? イチゴ牛乳、また皆で飲みましょう」



 落ち込む気持ちを振り切って必死に笑顔を作り、私はトカナにそう伝えた。


 トカナは、紅薔薇の皆といるのが楽しかったと言ってくれた。たとえBLに興味がなくても、紅薔薇メンバー達と一緒に過ごせる居場所を彼女のために残したかった。それが可愛い後輩のために、自分ができる精一杯のことだと思ったから。


 私に続き、トカナも笑顔になった。そして、背後に隠していたらしい封筒をまた私に差し出す。



「クラティラス先輩、これも受け取っていただけますか?」



 驚きのあまり、声が出なかった。


 見覚えのある封筒だと思ったら、それは私が先程トカナのためにテーブルに用意した便箋セットのものだった。エクサ様への手紙を書いている間に、これもこっそり書いたんだろう。



 封筒の表には、トカナの筆跡で『入部願』と記されていた。



「で、でもあなた、BLなんて……クラティオスは……」



 言いたいことがまとまらず、言葉にならない声を漏らす私に、トカナは急に表情を引き締め、真顔で向き直った。



「…………私っ、クラティラス先輩みたいになりたいんでぬぎゅっ! んあぁー! また噛んだー! 今度こそはと思ってたのにー!」


『はっきり言いますとですね! 私っ、レヴァンタ様みたいになりたいんでぐぬっ』



 それは、彼女が入部の動機を語った言葉と同じだった。


 あの時も盛大に噛んでいた。何てアホ可愛い子なんだと思った。おまけにリベンジしようとして、またやらかしてる。


 本当に、どこまでアホ可愛い子なんだろう。可愛くて可愛くて、愛おしさと共に涙までこみ上げてきたじゃないか。



「ドガナーー!」



 堪らず、私は汗臭いと言われたことも忘れて再びトカナに抱き着いた。トカナは嫌がらず、さっきとは逆に私の頭や背中を撫でてヨシヨシしてくれた。



「ずっと騙していて、本当にごめんなさい。嘘をついて第三王子殿下の婚約者に近付き、その人を蹴落とそうと目論んでいた卑劣なトカナ・ヴラスタリは退部します。代わりに、心からクラティラス先輩が大好きでクラティオス最推しな私を、どうか入部させてください。今の推しカプは、リゲル先輩男体化のリゲルグ✕クラティオスです。リバもいけます。ですからクラティラス先輩、またご一緒させていただくことをお許しくださいますか……?」


「もぢろんだよぉぉぉ……ごれがらも紅薔薇をよろじぐだよぉぉぉ……!」



 トカナの身をへし折らんばかりに強く抱き締め、私は号泣しながら首の筋どころか骨までイカれる勢いで頷きまくった。



 私を、貴族を、そして実の姉を恨んだトカナはもういない。


 長らく見失っていたようだけれど、最も大切なものが何かをやっと見付けた彼女は、本当の自分に戻ることができた。


 今のトカナなら、紅薔薇支部のメンバー達と共に仲良く部を盛り上げていってくれるだろう――――いずれ、私がいなくなろうとも。

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