腐令嬢、積む


「……フン。あなた、なかなかやるじゃない」



 鼻血を手の甲で拭いながら、トカナが不敵に笑う。



「……ああ、お前もな。いい勝負だった」



 頬にできた擦り傷を撫で、ディアヴィティも笑う。



 まるで殴り合いから友情に目覚めたような雰囲気だが、二人はお互いに指一本触れていない。軽く怪我をしているのは、倒れた本を顔面に浴びたせいだ。


 あの後、トカナとディアヴィティは生き残った方が勝ちというサバイバルデスマッチな肉弾戦――ではなく、仰向けになった状態で眼鏡の上に本を乗せていき、倒壊してレンズが割れたら負けという訳のわからないゲームを始めた。


 本当に意味がわからないよね!

 どうして眼鏡の耐久性で競い合うのかな? 眼鏡者同士がぶつかったら眼鏡で戦わなきゃならないっていうルールでもあるの?


 申し合わせたように二人は同時にそのゲームを提案を口にし、紅薔薇支部の全員で本を眼鏡の上に積む作業に強制参加させられた。私も一体何をさせられているんだろう……と遠い目をしながら、ジェンガよろしくトカナの顔面に本タワーを築いたよ。


 結果はどちらのレンズも割れることなく、ドロー。


 しかし二人は、この戦いにとても満足しているようだった。



「庶民だと侮って悪かった。今度、お前の御用達にしている眼鏡屋を紹介してくれないか? ええと……」


「トカナです。トカナ・ヴラスタリ。私の行きつけのお店は、安くても耐久性が高い眼鏡の品揃えが豊富ですよ。是非今度、覗いてみてください。それと……これからは同じ部員としてよろしくお願いしますね。フェンダミ先輩」



 改めて自己紹介し、トカナは花が開いたように可憐に微笑んだ。



「えっ……あ、ああ、こちらこそ。その……ディアヴィティ、でいい」



 ディアヴィティが、何故か戸惑ったように狼狽えながら答える。



「わかりました、ではお名前の方で呼ばせていただきますね。ディアベチ……じゃなくてデアベテ……ジアべ……ドアブォインぐわっ!!」



 トカナが叫んで口を押さえる。舌を噛んじゃったらしい。

 確かにディアヴィティって、呼びにくいもんね。噛みやすいトカナには、拷問みたいな名前かも。



「だ、大丈夫か!?」


「うぇぇ……らいじょーぶれす。わらし、噛みやすいんれ、慣れてまひゅ。お名前、早くちゃんと呼べるようにがんぶぁりますれ、りあひちーせんぷぁい……」



 最早音感しか合ってない名を口にして、トカナが力無く笑う。するとディアヴィティは吐息をついて、彼女にハンカチを差し出した。



「無理するな、ディアと略してくれて構わない。全く、君って奴は何てお間抜けなんだ。……放っておけなくなるじゃないか」



 ほんのり紅を帯びた頬を隠すように、さっとトカナから目を逸らしてぼそりと漏らした言葉は、彼が最大にデレた時にヒロインへ放った台詞とほぼ同じで。


 ゲームと違って、現実ではステータス確認はできないけれど、私には見えた――爆上がりしたディアヴィティの好感度ゲージが。



 ウソでしょ……トカナ、やりよった。


 難易度レベル中の上、攻略対象ディアヴィティ・フェンダミを、罵詈雑言な初対面からの眼鏡かち割りゲーム経由、名前噛み噛みルートって特殊テクニックで攻略したぞ!!



 喜びにダンシングオールナイトしたい衝動を堪え、私は笑顔で二人の肩を叩いた。



「それじゃ仲直りの証に、イチゴ牛乳を飲みましょう。ディアはイチゴ牛乳好き? この部では、ぶつかり合う時があったらイチゴ牛乳で解決するのよ」


「ああ、イチゴ牛乳は嫌いじゃない。ニンニク牛乳スカッシュの次に好きだ」


 お前、購買自販機のイチゴ牛乳の隣にあるあの謎ドリンクを愛飲してるんかい。味については私も悪くないと思ったけどさ、飲んだ後の臭いがスメハラ通り越して臭撃兵器で、学校の自販機に置いたらアカンやつやん……。


 くれぐれもボタンを押し間違えないようにと言い聞かせ、私はトカナとディアヴィティの二人に部員分のイチゴ牛乳を買いに行かせた。



「クラティラスさん、いつの間にか成長しましたよね」



 二人を見送ると、散らかった本を片付けていたリゲルが私を見て小さく笑う。



「うん、背も胸も大きくなったでしょ? 出会った頃はリゲルと同じくらいだったのにね〜?」



 キヒヒと笑い返し、私は推定Bカップのリゲルの胸を人差し指で軽くつついた。



「んもう、やめてくださいよぅ! 体もですけど、心の方の話をしてるんですっ!」



 一緒に片付けをしていたレオが『リゲルちゃんの胸に触ったね! 俺も触ったことないのに!』といった顔で殺意のオーラを放ってくる、けれど、ぷくっとマシュマロみたいな頬を膨らませて怒るリゲルの方が可愛かったので、レオの方は華麗にスルーした。

 でも面白いから、もっと見せつけてやろーっと。お次は、ほっぺつんつんだ!



「心の成長? そんなのわかるの?」



 指先で柔らかな感触を堪能しながら問う私に、リゲルは頷いた。



「だってクラティラスさん、ディアヴィティさんがトカナさんに好意を抱いたと見抜いて、二人きりにしてあげたんでしょう? これって、すごいことですよ。中等部の頃は、リコさんの気持ちに全く気付けないほど超絶鈍感だったのに」


「そんなこともありましたね。全くクラティラス様ときたら、恋愛面のみならずあらゆる方面で鈍すぎました。おかげで私も、どれほどやきもきさせられたかわかりません」



 リゲルを独り占めされるのに堪えきれず、私をぶん殴ろうと本を振りかぶったレオを膝カックンで軽くいなし、ステファニも会話に加わる。



「やっぱり、イリオス殿下のおかげですかね? ゆっくりと、けれど着実に愛を育んでる感じですもん。人の恋心に敏感になったのは、自分も恋をしてるから……ってことかな?」


「そうでしょうとも。最近はカミノス様という当て馬女が現れたせいで、殿下への愛をさらに強く意識するようになったと思われます。当て馬女はクソほどド鈍感でイラつくアホにも効く、BLでも特効薬的な恋のスパイスですからね」


「あー、わかりますわかります! 当て馬の存在って、二人の絆をより強固にしますよねー! 当て馬がムカつく奴であればあるほど、愛のカタルシスが深く大きくブチ上がる!!」



 明後日の方向に流れていった二人の話題に、私は曖昧に相槌を打つしかできなかった。



 ごめん、二人共。成長を喜んでくれたのは嬉しいけど、多分私、そっち方面は初等部からほぼ成長してない。


 ディアヴィティのトカナへの好意に気付いたのは、ゲームの決め台詞を吐いたから。


 アンドリアに恋したファルセの時もそうだった。彼らが攻略対象者達だから、私がゲームで攻略したことがあるから、好感度が上がった時に放つ台詞を覚えているから、わかるというだけなんだ……。



 トカナとディアヴィティは新校舎の購買所への往復という短い間に随分と打ち解けたようで、私の男体化クラティオスとお兄様のヴァリティタの違いについて熱く議論を交わし合いながら戻ってきた。


 ディアヴィティはもう、トカナを庶民のくせにだなんて見下すことはないだろう。きっと彼女をきっかけに、家柄に対するコンプレックスを克服していけるはずだ。ゲームのヒロインが導いたように。トカナ自身も、勇気を出して乗り越えたように。



 だからといって、油断はできない。


 ディアヴィティがやっぱりリゲルが好き! って言い出さないとは限らないし、攻略対象として監視は続けなくちゃ。


 それにトカナは大切な後輩であり、妹みたいな存在。嫁にやるなら、私も認める素敵な相手じゃないとね。



 そんな決意を胸に、新たなメンバーを加えて皆と一緒に飲んだイチゴ牛乳は、何だかいつもより甘く感じた。

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