雨と油と涙の中の再会
腐令嬢、ぶっ込む
六月になって夏服に変わると、やって来たるは梅雨のシーズン。
雨に抱かれた紫陽花が、淡くけぶる視界の中で鮮やかに目を射る様は、私が前世の日本で見た風景そのものだ。
ここが乙女ゲームの異世界だということを忘れそうになるほどジャパニーズテイスト満載な状況であるが、これにはわけがある。
「あれっ? レインコートがない。おかしいなぁ、一昨日はちゃんと着てきた記憶があるんだけどな?」
昇降口で私とステファニが靴を履き替えたところで、雨具置場をうろついていたリゲルが困ったような声を漏らした。
一昨日はって……昨日今日の記憶はないんかい。
ちなみにこのツッコミは、前世のゲームでプレイした際も同じシーンに差し掛かる度、毎回毎回させていただいていた。ヒロインの天然っぷりを表現したんだと思うけど、頭が良いって設定なのにこれじゃアホの子すぎやしませんか。
でもリゲルがアホの子なんじゃなくて、設定がご都合主義なだけなんだろうね。異世界なのに、梅雨ってクソシーズンを取り入れたことも含めて。
さて、このような舞台装置が揃えられたのは、この後すぐに起こるイベントのためである。
「リゲル、クラティラス、どうしたのだ?」
「困っているようだな。何があったんだ?」
まず最初にやって来たのは、お兄様とディアヴィティだ。
ディアヴィティは私が部長を務める紅薔薇支部と、お兄様が所属する剣術部の二つの部活を兼部している。今日は剣術部の方へ行っていたので、お兄様と一緒に現れたという次第だ。
「お、君達も帰りか。奇遇だな」
続いて現れたるは、ペテルゲ様。
聞けば彼も、お兄様達と同じ剣術部に所属なさっているという。ペテルゲ様の剣技も、お兄様に負けず劣らず見事なんだそうな。
二人が試合してるとこ見たいなぁ。きっと格好良いのであろうなぁ、ゲヘゲヘ。モエモエ。
「リゲルちゃあん、置いてかないでよぅ! 何で先に行っちゃうのさあ!?」
お次はレオ。
置いてくも何も、一緒に部室を出たのに気付いたら消えてたんじゃん。靴紐が解けて直してる間に取り残されたり、カエルを見付けてキャッキャと遊んでてはぐれたり……置いてかれたくないなら、付いてくる努力もしてほしい。
「おいっす! 皆様、お集まりでどうしたど? 何ぞ、格闘戦でも開催するんかいや?」
「何か騒がしいと思ったら、クラティラス先輩っすか。こっちの昇降口まで声が聞こえてましたよ。相変わらず騒々しいっすね」
さらにデスリベ、ファルセも登場。
格闘戦なんかするか、アホめ。まあ、これから争奪戦が起こるわけだから、あながち間違ってはないけれども。
それよりファルセよ、相変わらず騒々しいとは何だ? 私は貴様をアンドリアと出会わせてやった縁結びの神だぞ? もっと敬意を払え。ひれ伏せ
「うわ……えっと、これは? えらく人口密度が高いことになってますな?」
そして最後にやって来たイリオスが、紅の瞳を軽く瞠って立ち竦む。
私も同じ気持ちだよ……ゲームじゃ攻略対象者達のイラストカードをセレクトするだけだったけれど、現実ではこんなにも目にうるさい状態になるんだね!
ここから始まるイベントは『ヒロインの相合傘相手選び』。
雨具を忘れたヒロインに攻略対象者達が声をかけ、紫陽花の花道を一緒に歩きながら会話をして好感度を上げるのである。
信じられるか……?
このイベント、梅雨の間に雨が降った日は毎回起こるんだよ! しかも三年間きっちりとな!!
今日はその相合傘イベントの初日。リゲルが誰を選ぶか、興味はあるけど……ここは安全に、ゲームにはない相手をぶっ込ませていただくわ!
「お騒がせしてごめんなさいね。何でもないのよ。リゲル、私が送っていくから大丈夫よ。はーい、皆さん解散ですよー、かいさーん!」
呆然とするリゲルに声をかけると、私はパンパンと手を叩いて団子状になっている攻略対象者にとっとと散れと促した。
ペテルゲ様とデスリベとファルセは、別れの挨拶をしてすぐに立ち去ったのだが。
「リゲルを送っていくのか。まあ我が家の車なら、一人増えても問題ないだろう。リゲル、せっかくだから家に寄っていくか? アズィムは何故かお前のことがお気に入りらしくて、会いたがっているようだったぞ?」
が、お兄様がリゲルに話しかけるのを見て、肝心なことを思い出した。
そうだよ……私と一緒に帰るということは、お兄様と一緒に帰るも同然じゃないの!
リゲルを連れて帰れば、執事のアズィムは片眼鏡を弾き飛ばす勢いで泣いて喜ぶだろう。何たって彼は六十歳を超えてBLに目覚め、そのきっかけとなった小説を書いたリゲルを神と崇める、この世界初の腐男子なのだから。でも……。
「あっれー、俺も雨具忘れたみたいだなー? てことで、リゲルちゃんを連れて行くなら俺も連れてけ! だって俺の家、リゲルちゃんの家の近くだし? 友達なのに俺だけ仲間外れなのって、絶対おかしいし!?」
さらに面倒臭い奴が面倒臭くごねてきよった。言わずと知れたレオだ。
「しかし家の車では、二人を乗せるのは無理だ。前もって連絡しておいたなら、大きめの車を用意してもらうことも可能だっただろうが……」
「はあー!? 俺はトランクでも足元でもいいですしー!? 何なら車の上にしがみついてでも行きますしー!?」
真っ当な意見を口にしたお兄様に、レオがガウガウ噛み付く。
ううむ、どうしたものか。
リゲルを置いていけば他の攻略対象者に相合傘られる可能性があるし、相合傘の権限を奪った私が抜けるわけにもいかない。つまり今、お兄様かレオかを選ばなきゃならないってことよね?
思案する私に気付いたようで、レオがたたっと駆け寄ってこっそり耳打ちした。
「俺を乗せてってくれたら、アゲアゲチキン十個プレゼントしちゃうよ。送るついでに、揚げたてのやつ食べればいいじゃない?」
「お兄様、レオも送るからここで待ってて。二人を家まで送り届けたら、すぐに戻ってくるわ」
一にも二にもなく、私は即答した。
ち、違うし? アゲアゲチキンに釣られたんじゃないし? レオは元々リゲル大好きだから、このイベントで好感度が上がっても問題なさそうだと考えただけだし?
「うむ、それが妥当だな。こういう時は、女の子を優先するものだ。私は明日の予習でもしながら、のんびり待っているよ」
お兄様……やけにあっさり引き下がったと思ったら、レオのこと、女の子と勘違いしてたんだね? だから私に接近して耳元で囁く姿を見ても、何も言わなかったのか。
まあそれはそれで、話が進みやすいからいいや。
「ヴァリティタ、良かったら俺の家の車で送ろうか? せっかくだから、お茶でも飲んでいくといい。ずっとお前を萌え対象……いや、友として、家人に紹介したいと考えていたのだ」
ここぞとばかりに、ディアヴィティが擦り寄る。
本音がちょろっと漏れてましたよ……良かったね、お兄様が私と同じ鈍感なおかげで聞き返されなくて。
「それは助かる。だがまず、ディアの家の者に迷惑でないかどうか、確認してからだな。もし大丈夫そうなら、菓子店に寄らせていただいてもいいか? 初の訪問となるのだから、手土産を購入したい。そぉだっ、お店までイリオス殿下もご一緒にどうですか!? チョコレートが美味しい隠れた名店を知ってるんですよ〜う!」
キュピーンという音がしそうな閃きの輝きを蒼い瞳に宿し、お兄様がガラリと口調を変えて背後に佇むイリオスを振り向く。
「アー、サーセン。僕は用事があるので帰りマース。ステファニ、早く行きましょう行きましょう」
空気と化していたイリオスだったが、その瞬間思い出したように慌ただしく動き出し、同じく静物と化していたステファニに駆け寄った。
「クラティラスさん、本当に本当にお疲れ様です……明日からも、頑張ってくださいね……」
そして私の前で一旦立ち止まり、労いの言葉と心底申し訳なさそうな視線を寄越すと、ステファニと共に昇降口を出て行った。
イリオスも攻略対象者の一人だもんね。何とかしたくてもどうにもできないのは、致し方ない。
どうかお気になさらず。そこはちゃんと理解してますから。
これからも精一杯頑張って悪役令嬢らしく、皆様のお邪魔をさせていただきますよ……トホホ。
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