腐令嬢、命拾いす


 しかし、その手が私の体に届くことはなかった。


 火花が散る有刺鉄線のような縛めが、青黒くんの全身を絡め取ってしまったからだ。




「クラティラスさん、大丈夫ですかっ!?」




 続いて視界に飛び込んできたのは、ブラウンベージュのボブヘアと金色の瞳。


 それが見慣れた親友の顔であると認識するまで、暫し時間がかかった。



「リゲル? どうして……」


「イリオス様に呼ばれて、一緒にクラティラスさんを探しに来たんです。一人でこの森に入るなんて……ああ、でも無事で良かった!」



 心ここにあらずといった私を抱き締めて無事を確認すると、リゲルはいつの間にやら泉に浮かび上がっていたサイクロプスに目をやった。



「あれ……きゃあ! ジョンさん!?」



 そして、慌ててサイクロプスの元へ駆けていく。


 やば……あいつ、リゲルの知り合いだったんか。し、死んでたらどうしよう!?




「…………クラティラスさん」




 青黒くんの背後から、イリオスが顔を出す。その指先から飛び散る火花じみた光を見るに、どうやら青黒くんを捕縛した魔法は彼が施したものだったようだ。


 無表情のままこちらに歩いてくるイリオスに、状況を説明しようとするや――左頬に、鈍い衝撃が走った。



 何が起こったのか、何をされたのか、じんと痺れる痛みを感じても理解できなかった。



「少しは自分の立場を弁えてください。あなたの勝手な行為がどれだけの者に迷惑をかけるか、わかっているんですか。万が一『第三王子の婚約者を死なせた』ともなれば、本日任務に就いていた北部警備隊全員、下手をすればその家族にまで重い罰が及ぶことになったんですよ。無事であったから良かったものの、それでも部隊長と引率の教師達は何らかの責任を取らされるでしょう。彼らに全く否はない、それにも関わらずです」



 イリオスに、魔法を使っていない方の手で頬を打たれたのだと気付いたのは、抑揚のない声で淡々と紡がれる言葉を聞き終えてからだ。



「僕の方から、彼らの罰を軽減してくれるようお願いしてみます。そうすれば減給程度で済まされるでしょう。なかったことにはできませんが、それもあなたが蒔いた種です。今回の件を踏まえて、今後は分別ある行動を心掛けてください」


「はい……」



 そう答えるだけで精一杯だった。


 私に向けたイリオスの紅の目は、他人を見る時と同じように光も温度もない無機物みたいだったから。



 あの接触嫌悪症のイリオスが、素手で殴ったんだ。相当頭に来たんだろう。


 三年間、喧嘩し続けた江宮えみやにだって、平手打ちなんてされたことはなかった。こんなにも、冷たい目を向けられたことはなかった。



 叩かれたことより、口を聞くのも憚られるほどひどく突き放されたことの方が私にはショックだった。



「あ、目が覚めました!? ジョンさんも無事で良かったー!」



 しょんぼりしょげていると、リゲルの明るい歓声が聞こえてきた。


 そうだ! 私、リゲルの知り合いにとんでもないことしたんだ!!



「リゲル、ジョンさん生きてた!? 目ん玉に思いっきりボールぶっ込んだんだけど、そっちも平気!?」



 泉の脇に身を横たえたジョンさんの傍らから、リゲルは私に満面の笑みを向けた。



「はい! 気絶してただけだったみたいなので、ほっぺに風魔法を連打で食らわせたらすぐに目覚めました。がっつりひしゃげてたおめめも、治癒魔法で治しておきましたよ! 全くジョンさんってば、懲りないんだから……可愛い女の子を見かけたら、いつも追いかけ回して嫌われるんです。ジョンさん、クラティラスさんはダメですよ? この国の王子様の婚約者なんですからね?」


「Мー、∑∝л†F†? x<<FяI……」


「ガッカリですって。確かにクラティラスさんは美人ですからねー」



 リゲルは、モンスターの言語も理解できるらしい。


 ちゃんと意思疎通ができている証に、身を起こしたジョンさんは私の方を向くと、治してもらったばかりの一つ目をじったりと笑みの形に細めた。



 うぅん……モンスターに見惚れられるって複雑な気分だなぁ。



 ちなみに青黒くんもリゲルの知り合いで、アレクくんという名前らしい。まだ少年だけど困った悪ガキで、最近ジョンさんの庭を荒らしてこっぴどく叱られたばかりだったそうな。


 私達を追いかけ回したのも悪戯のつもりだったようで、それと察したリゲルがイリオスにお願いしてお仕置きしてもらったんだって。



 そんなわけで反省したアレクくんにも詫びを受けて泉で別れ、ジョンさんとリゲル、そしてイリオスの四人……一体と三人といった方が正しいか? とにかく皆で女の子達を待たせている大樹に戻った。


 他のモンスターに襲われていないかと心配だったけれど、二人は身を寄せ合って眠っていた。私の約束を守って、耳を塞いだまま。



 その愛らしい姿を目にした刹那、前世でこの上なく可愛がった妹達のことを思い出して――視界が揺らいだ。



「あ、あれ? おっかしいな、泣くつもりはなかったんだけど……」



 溢れる涙を拭いながら、私は起こさないように細心の注意を払って彼女達を一人ずつ外に出した。



「双子……」



 木の幹に並んで凭れる二人を見て、イリオスが小さく呟く。



「クラティラスさん……もしかして、この子達を助けるために森に入ったんですか? 自分の危険も顧みずに?」



 リゲルの問いかけに頷き、私は二人のあどけない寝顔を見つめた。

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