腐令嬢、誓う
「…………あたしは」
少しの間を置いて、リゲルが静かに声を放った。
「あたしは……クラティラスさんのように、前世っていうものの記憶がありません。だから、その人なのかもしれないし、その人じゃないのかもしれない。だけど」
私が恐る恐る顔を上げると、リゲルは春の陽射しのようにあたたかな笑みで迎えてくれた。
「だけど……あたしが、その人だったらいいなって、そう思います。クラティラスさんが仲良くなりたかったその人があたしなら、こんな幸せなことありません。だってあたし、クラティラスさんのことが大好きですから」
ボワァっと涙腺が崩壊した。
「リゲルぅぅぅ……! お前って奴ぁ、天使かよぉぉぉう……!」
この世界の宗教観はよくわからないけど、天使という概念は一応あるらしい。確か攻略対象の誰かが親密度上がった時に『ボクの天使ちゃん』ってヒロイン・リゲルのことを呼んでたから。
あん時ゃ気持ち悪い奴だと思ってたが、今は全私が全同意だぜ! リゲルは天使、異論は認めない!!
「あたしは天使なんかじゃないですよ。それにあたしも……クラティラスさんに黙っていたことがあるんです」
涙を拭いてクリアになった視界に、金色の瞳を深い翳りに曇らせたリゲルが映る。
彼女は目を閉じると、右の人差し指を突き出した。
桜色の爪の先がふわりとオレンジに輝く。
その柔らかな光は彼女の指を離れるや、私のカップの中に飛んできた。
「お……おおう?」
すると何ということでしょう……冷めてぬるくなっていた飲み物が、アッツアツにあたためられたではありませんか!
「火炎魔法の一種です」
聞こえるか聞こえないかの小さな声で、リゲルはそう告げた。
「え、何これすごい、めっちゃ便利。このオイスターミカン鍋コーヒー、季節限定に釣られて買ったんだけどさ、元々大して美味くなかったのに冷えるごとにマズさ増して、正直後悔してたんだよね。おかげで何とか飲み切れそうだよー、ありがと!」
笑顔でお礼を言っても、彼女の瞳の曇りは晴れなかった。
「クラティラスさん、驚かないんですか? あたし……『魔法を使える』んですよ?」
そうそう、この国じゃ『魔法を扱える者は殆どいない』んだったよね。
でもわかるわー、人と違うってことにコンプレックス抱いちゃう気持ち。私も周りが誰それと付き合っただのチューしただの、ワイワイ楽しく恋バナで盛り上がってても仲間に入れなくて、かなり寂しい思いしたもん。
「別に驚かないよ。リゲルはリゲル、何も変わらないじゃん。それよりさ、お互い隠してたこと打ち明け合ったんだし、改めて乾杯しよ? てことで、私のこの飲み物と交換してみない?」
私が提案するとリゲルはぷっと吹き出し、笑いながら自分のカップをぎゅっと握った。
「やですよ。クラティラスさんのその飲み物、確実にマズいに決まってますもん。美味しそうな飲み物たくさんある中で敢えてそれ選ぶ? もしかして舌がバカなの? って軽く引きましたよ。何度でも温めてあげますから、責任持って一人で飲んでくださーい」
「お前、ヤベーと思いながら止めなかったのか? 薄情な奴だな!」
「だって、面白そうでしたしー。一口飲んだ瞬間のクラティラスさんの表情、最高でしたよ! トロールが早口言葉に失敗して頬肉噛んだ時より笑える顔して……ぶはっ! やだー、思い出しちゃったじゃないですかー!」
「笑いごとじゃねーわ! 何ならリゲルも同じ顔になってみればいいじゃないですかー! 仲良くオソロしましょーよー!」
「やですってばー! 変顔はクラティラスさん担当ってことで、あたしは勘弁願いますー!」
キャッキャと戯れてから落ち着いたところで、私達はカップを打ち付け合って乾杯した。
嘘偽りのない自分を曝け出した記念に、これからも本音で向き合える友情を誓って。
にしてもリゲルの奴め……意外と腹黒いところもあるんだな? ゲームじゃ完全無欠の清純どストレートな正統派ヒロインだったのに。
けれどこれが、『リゲル・トゥリアン』――定められた台詞のみを流すプログラムではなく、人格を持った生身の人間。これこそが、この世界で生きる本当のリゲルなのだ。
そして私も、ゲームのように高慢でプライドが高く、ライバルとして彼女を排除しようと策を巡らせていた『クラティラス・レヴァンタ』じゃない。
それからリゲルにせがまれて『
ここは、あのゲームとは違う。
舞台こそ同じだけれど、背景に描かれていたモブの一人一人にも人生があって、誰しもが皆今を精一杯生きているんだ。
なのに『これはゲームの世界』だなんて告げられたら、どう思う?
自分が何なのか、何のために生きているのかわからなくなって、存在意義を見失ってしまうかもしれない。
だから私は、このことを誰にも言わないでおこうと決意した。たとえ訪れる結末は同じでも、未来を夢見て生きる人々の希望を奪いたくない。
もし話すとすれば、私と同じ境遇の相手にだけ。
といっても――――『アステリア学園物語〜星花の恋魔法譚〜』をみっちりプレイした上で、この世界に転生した者がいれば、の話だけど。
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