腐令嬢、尻を埋める



 私がパスハリア家を訪れたのは、お兄様に依頼を受けた翌々日の午後二時過ぎだった。


 同級生だからといって、パスハリア家に関しては気軽に訪れるわけにはいかない。同じ一爵家とはいえ、あちら様は名門中の名門。おまけに私には第三王子殿下の婚約者という肩書がある。


 そんな奴が『ヤッホー遊びに来たよ!』なんて突撃したら、どうなるか?


 礼儀知らずだと罵られるだけならまだしも、不意討ちのお宅訪問で恥をかかせに来たのかとまで勘繰られる可能性もある。何かいろいろと面倒臭いのよ、高尚なお貴族様って。



 執事のアズィムとお父様が相談、お父様からパスハリア家に連絡、そしてパスハリア家から了承の旨を得られるまで丸一日かかったが、これでも早い方だ。お相手の準備を待って、一週間後とか一ヶ月後とかになることもザラらしいので。


 てなわけで私は余所行きの服を着て身嗜みをしっかり整え、さらにお付きにはネフェロではなくアズィムを伴った。本格的なバッチリご訪問スタイルである。


 やれやれ、これならイリオスのお城に行く方がまだ気楽だよ……連れて行くのは侍女でいいし、相手はオタイガーだし、国王陛下はお父様のマブダチだから多少やらかしても大目に見てくれるし。



 花言葉やら組み合わせやらまで調べて作った無難な花束を手土産に、私はドドーンとビッグでゴージャスなパスハリア邸に足を踏み入れた。


 まずね、ドアを開けた瞬間、ズラァァァッと並んでた使用人達の列に圧倒されましたわよ!


 普通に怖えよ! サプライズ企画のフラッシュモブかよ!



「ようこそいらっしゃいました、クラティラス様」

「お待ちしておりましたわ、クラティラス様」



 続いて登場したるは、パスハリア一爵閣下とパスハリア一爵夫人。


 パスハリア一爵閣下はお父様より十歳以上も年上だと聞いているが、かなりファットなせいか、それほど老いては見えなかった。が、夫人の方は昔美人だったんだろうな、という面影をそこはかとなく残しているものの、白粉の粉浮きがデンジャラス。寝不足のお母様の化粧ノリより酷くて、笑うと目尻の皺部分にヒビが入ってたもん。あそこまでいくと、もはや化粧じゃなくて塗装だな。


 二人はだらだらと挨拶を続け、仕舞いには応接室にまで誘われたが、そこはアズィムが『クラティラス様もまだ本調子ではありませんので、長居するとお体に障るかもしれません』といった内容を嫌味にならない程度に柔らかく伝え、うまく回避してくれた。うん、この芸当はネフェロじゃ無理だったかもしれない。



 こうして私は閣下と夫人からやっと解放され、ようやくサヴラに会いに行けることになった――のだが、その前に二人は、気になる言葉を口にした。



「クラティラス様、娘がおかしなことを言うかもしれませんが、どうか受け流してください」


「まだ熱が下がっていないせいで、奇妙な譫言を口走ることがありますの。全く、お恥ずかしい限りですわ」



 何となく、嫌な予感がした。


 なので私は案内役の侍女とアズィムに外での待機を命じ、一人でサヴラの部屋に入った。



 内部は想像していた通り広く、天井に煌めくシャンデリアから設置された家具、また飾りの小物に至るまで贅が凝らされていた。私の部屋のように寝室は別になっておらず、広々とした空間の奥に天蓋付きのベッドがある。何というのか、日本でいうと高級ホテルのスイートルームって感じ。泊まったことなんかないから、想像でしかないけれども。


 サヴラはベッドではなく、バルコニーに続く窓の近くに置かれたソファに腰掛けていた。


 何とこの部屋、ソファが四つもあるんですよ。しかも、どれもデカイ。ベッド含めて日替わりで寝たら、楽しそうだなー。



「……何か御用?」



 冷ややかな声で、サヴラは私に問うた。


 遠目からではあるけれども表情はしっかりしているようだし、髪から服装まで身支度は完璧だ。私が来るという知らせを受けて整えさせられたのかもしれないけれど、とても熱で譫言を漏らすような雰囲気には見えなかった。



「通りすがりに遊びに来たのよ。何故かパスハリア家には、いつ来るかバレていたようだけれどね。もう熱は下がったの?」



 冗談半分嫌味半分の軽口を返すと、私は彼女の向かい側のソファに座った。お、意外と固めでいいな、これ。貴族の家のソファは沈み込む系が多いから、なかなか新鮮な座り心地だわ。



「ええ、おかげさまで。両親はまだ熱があると信じたいようだけれど。頭がおかしくなったとは、さすがに思いたくないのでしょうね。パスハリアの恥になりますから」



 淡々と答えて、サヴラは顔を背けた。



「ええと、それってどうして? 私には、サヴラがおかしいとは思えないけれど?」



 正直、聞きたくはない。けれど、ここまで来たからには聞かねばならないと思った。


 サヴラがゆっくりと細い首を動かし、私の方を向く。翡翠色の目には、強い意志が宿っていた。




「だったら、あなたからもあたくしの両親に言って。あたくしは正常な判断をしていると。真剣に『ヴァリティタ様との婚約を解消したい』と訴えていると」




 その言葉を耳にするや、私はやっぱり、と脱力した。

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