腐令嬢、閃く


 怒りに任せて二発もボディブローを叩き込んでしまったが、江宮えみやが何故ステファニを自らの元から引き離したのか、その理由は私にも痛いほど理解できた。


 前にも聞いた通り、奴は『ゲームに登場する女の子達を出来る限り幸せにしたい、誰も不幸にしたくない』のだ。


 イリオス様を見送った後、パーティーの参加を辞退して部屋に引きこもってしまったステファニ・リリオンもその一人。



 彼女は後に、悲惨な末路を辿る。



「彼女は僕の側にいない方がいい。自分だけの道を模索し、自分のために生きるべきなんです」



 帰りの車に乗る直前、私の耳元で囁かれた言葉は、江宮とイリオス王子、両方が強く願っていることなのだろう。



 今のステファニには、何もない。


 しかし空虚に見える器には、イリオスという存在が見えない気体となって満ちている。これが一気に昇華し固体化した時に――あの悲劇が起こるのだ。


 だからそうなる前に、彼女の中に別のものを詰めてあげたい、彼女自身で見つけた大切なもので心を埋めて、刷り込みじみた幻想から解き放ってやりたい……というのが、江宮並びにイリオス様の望みなのである。



 私も、彼らの意見には賛成だ。


 なので強引に押し付けられたとはいえ、そのお手伝いを請け負うことに異論はない。



 けれども。



「ここが庭です」


「そうですか」


「今日は良い天気ですわね。少し肌寒いけれど、風が気持ち良いわ」


「そうですね」


「王宮とは勝手が違うので、戸惑うことも多いでしょう。困ったことがあれば、何でも聞いてくださいね」


「そうします」



 翌日、私は死ぬ気で早起きしてステファニと共に朝食を摂り、家の中を案内すると言って強引に手を引いて連れ出した。だって、こうでもしないと部屋から出て来ないんだもの。


 で、距離を縮めようと頑張っている。


 頑張ってはいるものの……これ、どうしたらいいん? 何を話しても何を聞いてもワンフレーズ・キルなんだけど。


 こんなことなら、仲良くなれるコツを教えてもらっとくんだった。


 ったくイリオス江宮の野郎、肝心なとこで役立たずなんだから。イラネオス萎江宮なえみやに改名しろ、クソが。



 そこで私は、はっと閃いた。



「ステファニ、私の部屋でお茶しません? 新しい学校での授業についてもお教えしたいですし」


「わかりました」



 眉一つ動かさず、ステファニは例の如く機械音のような声で了承した。


 うーん、この砦を崩すのは難易度高そうだ……が、やるしかない!


 侍女に飲み物を用意してもらい、私は早速ステファニを部屋に招き入れた。そしてソファに彼女を座らせ、学校の教科書を目の前のテーブルに置く。といっても来期からは新学年、六年生の教材は届いていないため五年生のものばかりだが、少しは参考になるだろう。



「ゆっくりご覧になって。私は趣味の絵を描いていますから」


「わかりました」



 そう言うとステファニは教科書を手に取り、ページを捲り始めた。


 っておいおい、すげースピードで読んでるな?

 イリオス様と一緒に王家専属の教師に学んでるって聞いたけど、もしかしなくても五年生程度の学問なんて余裕終了してますよ的な感じか?


 あー、それ、ありえそうだなー。だってこの子なら、何としても王子のレベルに付いていこうとすると思うもん。ゲームのイリオス様も賢くていらっしゃったけど、江宮だって難関大学に一発合格した頭脳の持ち主だし。



 焦りながらも私は懸命に手を動かし、目の前のステファニをスケッチすることに集中した。


 姿勢も表情も殆ど動かないから、モデルとしては最適。でも、私が描いているのは模写ではない。



 あっという間に全教科書に目を通し終えたステファニは、膝に手を置いて待機状態となった。まるで次の命令を待つロボットみたいだ。



 オッケイ、それなら私が命令を下してやるよ……表情筋を動かしてみせろとな!



「どうかしら?」

「え……」



 完成した絵を掲げ手向けると、ステファニは琥珀色の美しい目を見開いた。


 うむ、『表情筋を動かす』という指令はクリアしてくれたようだ。



 白い紙の上に濃淡ある鉛筆の線が紡ぐは、モノクロで写し取ったステファニ――と、彼女に寄り添うイリオス王子。


 飾り気のない簡素なワンピースとギブソンタックでまとめ上げた髪型まで同じだが、目の前の実物と違う点が一つ。


 絵画の彼女は、やや口角を上げているのだ。おかげで隣で微笑むイリオス様とは仲の良い兄妹……というよりむしろ、恋人同士のように見える。



「こ、こんなものをお描きになってはいけません。これではまるで、イリオス殿下が私と……」


「じゃあ、捨ててちょうだい」



 狼狽える彼女に向けて、私はさっくりと言い放った。



「イリオス様と離れ離れになって、あなたが寂しい思いをしてるのではないかと心配していたのよ。お二人が仲良く過ごした絵姿でもあれば、少しは癒しになるかもしれないと考えて描いたのだけれど……余計なお世話だったようね。不要でしたら、破り捨ててくださって構いませんわ」



 ステファニはテーブルに置かれた絵を見つめたまま、動かない。


 恐らく、逡巡しているのだろう――イリオス殿下への冒涜だと突っ撥ねるか、それとも受け取るか。




「…………クラティラス様」




 待つこと三十分。彼女は漸く、小さな声で私の名を呼んだ。



「こ、この絵を……本当に頂戴しても、よろしいのでしょうか?」



 俯いて顔隠してるけど、耳まで真っ赤になってるからわかりやすいー! やだー、可愛いー!


 デュフッと漏れかけた声をおさえ、私は笑顔で頷いた。



「ええ! 何ならもっと描いてさしあげてよ? ああ、前に描いた絵もあるわ。見てみる?」


「み、見たいです! 見せて……いただけますか?」



 勢い良く、ステファニが顔を上げる。



 頬を赤らめ、軽く眉を顰め、琥珀色の瞳をうるうると揺らめかせて乞う彼女の姿は、もう人形でもロボットでもなく――――ただの女の子だった。

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