腐令嬢、諭す


 確か婚約後に、面食いアンドリアにせがまれてプライベートのイリオス様を何枚か描いたはずだ。


 私は溜まったスケッチブックの中から最近のものをテーブルに広げ、ステファニと一緒にイリオス様の肖像を探索した。


 あ、エロ絵は描いた側から切り取って、クローゼットの床板を外して作った秘密基地に隠してるから大丈夫。あれをステファニに見られたら、その場で悶絶死エンドにゴーですよ……。



「クラティラス様は、絵がお上手なのですね。先の絵画展でも受賞されたと伺っております」



 イリオス一本釣り効果は絶大で、昨日は目も合わせてくれなかったステファニが自ら話しかけてきてくれた。



「描くのが好きというだけよ。ああ、これなんかどうかしら? うんざり呆れ顔をしたイリオス様」



 絵を差し出す度に、ステファニは凄まじい勢いで奪い取る。


 これがとにかく面白いんだ。懐かないくせに餌をあげる時だけは寄ってくる、我が家の飼い猫プルやんそっくりで。



「これもまた素晴らしいです……何でしょう、この胸から湧き上がる熱い思いは」


「それは、萌えというのよ」



 リゲル達と同様に、私は絵を見つめるステファニにもその尊き感情の名を教えてあげた。



「萌え……ですか。初めて聞く言葉です。辞書は全て記憶しましたが、そんな単語は見たことがありません」



 何気にサラッとすげーこと抜かしたな? こちとら辞書なんざ、殆ど開いたことがありませんよ? 肘置きとか踏み台とか肩叩きとかちょい寝枕とか、そんな便利グッズ扱いですよ?



「そうでしょうね。だって、私が広めようとしている言葉だもの。この思いに名があれば、皆と共有しやすいでしょう?」



 そう言って微笑んでみせると、ステファニは溜息をついて俯いた。



「すみません……共有したいという気持ちは、私には理解できません」



 それから彼女は、自分の周りに並べたイリオス様の絵を見渡して淡々と胸の内を語った。



「クラティラス様に、こうして私が知らないイリオス殿下の姿を見せていただいているというのに……有り難いと思う反面、劣等感のようなものを覚えるのです。殿下は、私の前では決してこんな表情をなさらなかった。長くお側に仕えさせていただいていたにも関わらず、心を開いてくださらなかった。それを痛感して、寂しいのか悲しいのか悔しいのか……何といったらいいのか、この気持ちを表現する言葉が思い付きません」


「あー、同担拒否みたいなものかな? 安心して、そういう人もたくさんいるわよ」



 私はあっさりと答えて、次なるイリオス餌をステファニに与えた。



「自分だけがこの萌えを感じていたい、誰にもこの萌えを渡したくない、願わくばこの萌えを独り占めしたいと思っているんでしょう? 別におかしいことではないわ。私にもそういう対象があるもの」



 暗黒微笑イリオス絵を受け取ったステファニが、無表情のままこちらを見る。



 実は今密かにハマっている暗黒ネフェロ✕イケ渋オジ学院長カプを思い浮かべながら、私は彼女に尋ねた。



「どうしてあなたは、自分の萌えにそんなに卑屈なの? 萌えるものは萌える、好きなものは好き、嫌なものは嫌でいいじゃない。確かに、あなたとイリオス様には身分差という縛りがあるわ。でも、心は自由でしょう? なのにどうして心まで縛ろうとするの?」


「し、しかし……イリオス殿下は、クラティラス様とご婚約を」


「婚約したから何よ? だからといって、あなたはイリオス様への萌えを止められるの? それができるなら、最初から手の届かない相手に萌えたりしないでしょう?」



 ステファニが黙る。



 やべ、ちょっと言い過ぎたかな?


 私は向かいのソファで項垂れるステファニの隣に座り、なるべく優しい声で囁いた。



「誤解しないで、責めているわけではないのよ? 私はむしろあなたを歓迎しているわ。ただ、自分の萌えを否定してほしくないだけなの」


「……お嫌では、ないのですか? ご自分の愛する人が、私のような卑しい女におかしな目で見られているのですよ? しかも、分不相応に嫉妬心まで抱いているのですよ?」



 いや、少しも全くちっとも毛ほども愛してねーし。

 おかしな目? カモンバッチコイだわ。何ならどんなこと妄想してんのか、詳しく聞かせてくれよ。



 さすがにそれを口にしたら引かれそうなので控えることにし、私はステファニの肩を抱いてこちらを向かせた。



「嫌どころか嬉しいわ。それに、あなたは卑しくなどない。萌えという尊い感情を知る、私の『同志』よ」



 どうも考え方に大きな違いがあるせいか、私の言葉をうまく飲み込めないらしい。ステファニはぼんやりとした眼差しを注ぐばかりだ。



「んー、わかりやすく言うと、あなたの心の中のイリオス様はあなたのものだから好きにしてどうぞってことよ。それと、さっき共有と言ったわよね? あれはね、同じ萌えを分かち合うというだけじゃないの。あなたと私みたいに萌えが違う者同士が、『協力』し合ったり『利用』し合ったりできるって意味もあるのよ」


「協力……利用……?」



 私は彼女を取り囲むイリオス絵を一枚手に取り、掲げてみせた。



「現にあなたは、こうして私に絵を見せてもらっているでしょう? 私はあなたの萌えに『協力』して、あなたは萌えのために私を『利用』している。利用と言うと聞こえは悪いけれど、私の方から進んで協力しているのだから気に病む必要はないわ。あなたの萌えのために私も出来る限りのことをするから、これからもどんどん利用してちょうだい」



 イリオス絵に熱い視線を向けていたステファニは、再び私に向き直り、もう一度確認した。



「よろしいのですね? 私が、イリオス殿下に萌えても。心の中で、あの御方を自分のものにしても」


「ええ、存分に萌えなさい。心の中では、あなたの好きなようになさい!」


「…………ありがとうございます」



 と、ここで何と!


 ステファニたんが微笑んでくださったではありませんかーー!!



 ウヒョーーーー!


 鋼鉄の美少女がデレたぞーー! 萌えっ、萌え萌え萌え萌え萌えぇぇぇぇぇ!!

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