腐令嬢、困惑す


「どうなされたのですか、クラティラス様」



 ソファに飛び乗り、突然テーブルに手を付いてブリッジを始めた私に、ステファニが不思議そうに尋ねる。



「ご、ごめん……ステファニの笑顔に萌えちまってな。気持ちを落ち着かせてただけ。気にしないで、いつものことだから」


「いつものこと……なのですね」



 ここで再び!


 ステファニたんのキラースマイル・フラーッシュ!!



 これから一緒に暮らすというのに、笑顔一つで心臓に大きなダメージを受けるんだが……こんなんで大丈夫なのか、私!?


 フラグ待たずに死にかねねーぞ!?



「……こちらの方は?」



 萌えブリッジのせいで床に落ちたスケッチブックを拾っていたステファニが、散らかった絵の一枚を取り、私に示す。


 そこには、イリオス様やお兄様やネフェロのようなイケメンではなく――――伸ばしっ放しのボサボサの髪に覆われた陰鬱な輪郭の中、無駄にスタイリッシュな眼鏡から何も見えていないような虚ろな目を覗かせ、無精髭に周囲を彩られた薄いくちびるを不敵に釣り上げる男の姿が描かれていた。



 生前の、江宮えみや大河たいがである。




 うわ、やば!


 リゲルにせがまれて嫌々描いてた途中のやつだ!!




 どうしよう……『やだー、クラティラス様ってこんなキモい奴にも萌えられるんだー』なんてステファニに勘違いされたら私、オタイガー殺して自分も死ななきゃなんない!



「ち、違うの! これは友達に頼まれただけで、萌え対象じゃないの! いくら私でもここまで守備範囲広くないから! こいつだけはマジでねーから!」



 必死に弁明したものの、ステファニは無反応だ。じっと絵を凝視したまま、微動だにしない。


 も、もしや、イリオス様の中の人だと気付いた?

 まさか、江宮が自画像を描いてみせたとか?


 いや、だとしてもわかるはずねーよ。あいつ、クソほど絵が下手だもん。



「あの、ステファニ……?」



 恐る恐る話しかけると、ステファニは生きていることを思い出したように長い睫毛を瞬かせた。



「す、すみません…………つい、見惚れてしまって」


「そ、そう、見惚れ…………は!? 見惚れた!?」



 目ん玉飛び出るかってくらいビックリして、目ん玉落ちるかってくらい瞼をカッ開き、私はステファニに問い返した。



「この方は、どういった人なのですか? お名前は? 年齢は? お住まいは? 家族構成は? 身分については追及いたしませんが、お会いすることは可能でしょうか? いえ、こっそり遠くから御姿を拝見するだけでも良いのです! 生の御本人を、この目で見てみたいです!!」




 ちょ……ちょっと待てぇぇい!




 ステファニ、何か瞳がキラキラしてない? してるよね!?


 イリオス様の絵を見た時と同じくらい、むしろそれ以上にキラッキラのピッカピカな目をして、耳どころか首まで赤くして、明らか萌え散らかしてる雰囲気だよね!?



「え、えっと……この人は、もうこの世にいないの」


「亡くなられたのですか!? そんな……」



 ステファニがヘナヘナと床に崩れ落ちる。


 ところがすぐに彼女はシャキッと顔を上げて、強い目付きと口調で訴えてきた。



「いいえ、亡くなられていても構いません。どうかこの方のことを、お教えください!」



 ねえええええ!

 何でそんなに食い下がるの!?



 どー見たって、小汚いクソブスでしょーが!



 よもやのB専に覚醒?


 だとしても、敢えてオタイガーに萌えるこたぁねーだろーー!!



「ご無理なようでしたら、この絵を……せめて彼の形見に、いただけないでしょうか」



 さっきまで煌いていた琥珀色の瞳が、今にも泣きそうに揺らいでいる。



 マジかよ……本気で江宮がいいの?


 筋金入りのイリオス様ファンだから謎の感知能力が働いて、中の人を嗅ぎ分けたとでもいうの?



「絵なら……何枚でも描いてあげる。あなたと二人の」


「いえ、彼のお隣にはイリオス殿下をお願いします!」



 食い気味にステファニが答える。あら、そっちにいっちゃったのか。


 夢女子属性かと思っていたけれど…………おやおや、何気にこの子も才能がありそうね?



「わかったわ。江宮とイリオス様のツーショね」



 答えてから、しまったと私は口を押さえた。



「エミヤ……エミヤ様と仰るのですね。ああ、クラティラス様、私の我儘を聞いてくださって、本当にありがとうございます!」



 もちろん聞き逃してなどくれず、ステファニは床に頭をつけて感謝の言葉を述べた。


 それを見ていた私も、膝の力が抜けて彼女の前にへたり込んでしまった。



 へへっ、やっちまったなぁ、私。もうこうなったら、笑うしかないや……。




 その日から、ステファニはすっかり普通の女の子に……なんて、世の中そううまくいきませんって。



 無愛想で無表情で必要最低限のことしか話さず、動作も正確かつ的確で機械じみて見えるため、私達兄妹と同様に世話係をすることとなったネフェロを始め、家の者達は皆扱いに困っているようだ。


 けれど家に来た初日のように閉じこもったりはせず、私にくっついて行動を共にするようになった。


 おかげで愛しの妹を取られたとお兄様は大層ご立腹なされ、あの手この手で彼女に悪戯をお仕掛けになられた――が、そんなもん通用する相手じゃない。



「またヴァリティタ様にプレゼントをいただいてしまいました。何をお返しするのが適切でしょう?」



 部屋に放り込まれた五匹のネズミの尻尾をまとめて掴んで、それを眼の前に突き付けられながら問われた時はどうしようかと思ったよ。全部生きてる状態だったから、もぞもぞ暴れ狂ってるし。あれはまさに、小さい地獄だったね!


 で、私の助言に従って倍の数のネズミを捕まえ、プレゼントボックスに詰めてお贈りしたらしい。


 しかし、負けじとお兄様もあの手この手でやり返す。リゲルの時みたいに諦めるつもりはないようで、お兄様の幼稚な嫌がらせは何度も繰り返され、ステファニも果敢に応戦した。


 おかげで、彼らの静かなる戦闘はレヴァンタ家の名物イベントとなった。



 決して仲良さげではないけど、これもある意味ではお兄様なりのコミュニケーションなのかな?


 第二の妹として、あれはあれで可愛がってるつもり……なのかもしれない。

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