腐令嬢、絶つ
「偉そうなことを言っているが、お前こそお父様とお母様のことを蔑ろにしているだろう! 真実を知った上で尚、イリオス殿下の元に嫁ごうとしているのだからな! 正当な跡継ぎはお前であるというのに、だ! それこそ、お父様とお母様の築いてきたものを踏み躙る行為に他ならないのではないか!?」
思わぬお兄様の反撃に、私は一気に劣勢へと追い込まれた。
「だって相手は王家だよ!? こちらから婚約取消を申し出るなんてできるわけないじゃん! そんなことしたら、レヴァンタ家が危うくなることくらいお兄様だってわかるでしょ!?」
必死に訴えたけれど、お兄様は冷ややかな笑みを浮かべるのみだった。
「達者な御託だな。わざわざ私にレヴァンタ家へ戻るよう懇願しに来たのは、心置きなく愛する人と結ばれたいからだろう? お父様とお母様のことまで持ち出して、家族として受け入れてほしいなどと心にもない言葉まで吐いて……お前という女は、目的のためなら手段を選ばないのだな。全く、見下げた根性だ。王子に見初められただけある。それだけ強かなら、王宮でもやっていけるであろうよ」
お兄様から放たれる罵倒混じりの痛烈な言葉を、私は否定もせずに黙って聞いていた。もう反論する気にもなれなかった。
お父様とお母様を愛しているというのは、本当なんだろう。けれど私が、邪魔をしている。私という存在がある限り、お兄様は家族の輪に戻れないのだと思い知ったから。
かといってお兄様が求めるように、イリオスとの婚約を白紙にすることはできない。そうしたいのは私だって同じ、だからこそ簡単にはいかないと知っている。万が一、婚約を解消できたとしても、私がレヴァンタ家の跡継ぎになれば、お兄様の居場所はますますなくなる。
私がいるから。いいや、私さえいなければ。
――実は密かに、これまでも何度か想像したことがあった。後に戦で乱れるという世界を確実に救うためには、この方法しかないんじゃないかって。
震える息を深く吐き出し、私は再度お兄様に問うた。
「では……どうすれば、皆が幸せになれるのです? お父様とお母様にご迷惑をかけず、お兄様がレヴァンタ家に戻って家族で仲良く過ごすためには、一体どうしたら良いのですか?」
「そんな道はない。お前が生きている限り、私は生涯苦しむのだ。お前にとっては、どうだっていいことだろうがな」
――――私が生きている限り。
これが、決定打だった。
ほとんど無意識に、私は元来た窓に向かった。
「何だ、帰るのか? だったら玄関から……」
すぐ近くにいるはずのお兄様の声が、やけに遠くに聞こえる。
「…………いいえ、帰るのではありません」
己の喉から発した自分の声も、他人のように感じた。
私を暗殺するのはお兄様かもしれないと考えた時にも、思ったのだ――――殺されるより先に死んでしまえば、お兄様の手を汚さずに済む。
――――『クラティラス・レヴァンタ』が、ゲーム本編よりも前に、そう今消えてしまえば、破滅の道に進もうとしているらしい世界を救えるかもしれない。そちらは可能性でしかないけれど、苦しんでいるお兄様だけは確実に救える。
私が消えたら、悲しむ人もいるだろう。
私だって、たくさんの未練がある。しかし、大切な人達の未来を守るためにはもうこうするしかないのだ。
けれど今回は違う。私は自分の意志で、終わらせる。お父様、お母様、リゲル、ステファニ、仲良くしてくてた友達、そしてお兄様――皆の幸せのために。
窓枠に立つと私は最後に振り向き、肩越しにお兄様へと微笑みかけた。
「どうか、お幸せに……」
うまく笑えたかどうか、わからない。二度目とはいえやっぱり怖くて、声もくちびるも手足も、震えていたから。
それでも、私は最後の一歩を踏み出した。この身を叩き付ければ生命を奪ってくれるであろう、固い地面に向かって。
全身が浮遊感に包まれた瞬間、
大神那央の時はたくさんの推しカプに見送られたというのに、今回はこいつだけかよ……と思ったけれど、悪い気はしなかった。
脳内に現れた江宮は、無表情だった。何の声も発さず、静かに私を見つめていた。
今度は、私が置いていく番になっちゃった。私が死なずに済むよう頑張ってくれたのに、全部台無しにした。奴にとっての最推しを、私が殺してしまった。
だけどそれを詫びるより、これまで感じたこともないほどの深く大きな悲しみが広がった。
墜落する私の目の前に、登ってきた朝顔の鉄柵が迫る。先端は槍のように尖っているから、これが突き刺されれば確実に死ぬだろう。
なのに死への恐怖すら、悲しみに塗り潰された。鉄柵に全身を貫かれるより前に、詰まる思いでもう息ができなくなっていた。
江宮とは、もう会えないのかもしれない。いや、かもしれないじゃなくて、もう会えない。だって、江宮はここで生きていく。だからたとえ私がまたどこかに転生しても、そこに江宮はいない。江宮とは、二度と会えない。
最期に、彼の声を思い出したかった。
イリオスを担当した有名声優のイケボなんかいらない。低くくぐもって、イライラするほど聞き取りにくかったあの声を。嫌そうに私の名前を呼ぶ、江宮の声を。
『大神さん』
切望した声が言葉が耳に蘇ると、私の全身から力が抜けた。続いて、鉄柵が胸を突き抜ける熱い感触が走る。
凄まじい激痛を覚えたのは一瞬で――――私はやっと安堵して、目を閉じた。皆のために死ぬという目的を果たせた以上に、死よりも辛い悲しみを終わりにできた、そのことにこの上ない安らぎを覚えながら。
こうしてクラティラス・レヴァンタはゲームとは異なる形で――――否、ゲームが開始する前に最期を迎えた。
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