腐令嬢、引っかかる


「気持ち悪くておどろおどろしい沼とは何だ、失礼な! ここは心地良くて華々しい泉なの! いい加減、百合以外は認めないっていう頑固な姿勢を改めたら? そんなだから、影で百合豚族長なんて呼ばれるんだよ!」



 へっと鼻で笑って返すもイリオスは怯まず、紅の瞳をさらに釣り上げて私を睨んできた。



「改めなきゃならないのはあんたの頭ですよ。それより何ですか、百合豚族長って! あんたの方が失礼じゃないですか!」


「はぁぁ〜? 私は失礼なことなんてしてませんけどぉ〜? あなた様に百合豚族長ってコードネームを付けたのは、他でもないこの世界のヒロインでいらっしゃるリゲルですしぃ〜? リゲルたんがせっかく名付けてくださったんだから、これからは皆にも百合豚族長と呼んでいただいたらどうかしらぁ〜?」



 わざと嫌味ったらしい口調で、私は残酷な真実を打ち明けた。


 嘘なんかじゃない。悪意満載で性癖をディスっただけのコードネームを付けたのは、ゲームヒロインから腐沼に堕ちたリゲル・トゥリアンである。ちなみに私にはステファニが『変態妄想クレイジージャーニー』というクソふざけたコードネームを付けてくれやがったが、わざわざ教えることではないのでそちらは秘密にしておくことにした。



「リゲルたんがそんな辛辣なことを言うようになったのも、あんたのせいじゃないですか! ゲームのリゲルたんは可愛らしく微笑んで『イリオス様♡』と呼んでくれるのに……あんたのせいであんたのせいであんたのせいで…………!」



 呪詛のように繰り返すとイリオスは椅子から立ち上がり、私に詰め寄ってきた。



「クロノのバカニキが深夜に寝ぼけて自分の部屋と間違えて僕の部屋に侵入したのも、あんたのせいです! ディアスのアホニキが運悪くそれを見付けて『二人は兄弟仲良しなのに自分だけ仲間外れにされた!』と泣き喚いて大騒ぎになったのも、あんたのせいです! おかげで目を覚ましたアフェルナ様に『つわりでしんどい中、やっと眠れたいうのに嫌がらせか!?』と数時間説教されたのも、あんたのせいです! 今朝父上が高等部入学祝いだと言って、ご自分の髭を編んで揉んで握り締めて作ったとかいう不気味な塊を手渡そうとしてきたのも、スタフィス王妃陛下がそれを新種の虫と勘違いして、悲鳴を上げながら扇で父上の手を何度も叩いて危うくへし折りかけたのも、何もかもあんたのせいです! 反省して謝罪してください、クソウル!」


「王宮、いろいろとすげーな!? てか王族、全員やべーな!? いやいや、ほぼほぼ私のせいじゃないじゃん! 難癖つけて人のせいにしてんじゃねーよ、オタイガー!」



 凄まじい剣幕に仰け反りつつも、私はオタイガーこと江宮えみやに必死に言い返した。



 そう、この世界に転生したのは私だけじゃない。


 イリオスの中の人は、江宮えみや大河たいが。私とは高校の同級生で、仲良しフレンドならぬ仲悪エネミーだった男だ。


 というのも江宮という奴はキス未満のピュアな百合しか愛せない奴で、BLをこよなく愛する私のことを心から嫌悪していた。私は一番はBLだけど、萌えれば百合もノマも何でも美味しくいただける。なのに江宮がとにかく頑固でさー……高校一年で同じクラスになったその日に互いにヲタバレしてからというもの、三年間ずっといがみ合っていた。そのまま卒業して、GWに帰省したら偶然再会して――で、その時に事故に巻き込まれて、二人揃って一緒に死んだ。


 そして何という運命の悪戯か、私は死亡確約の悪役令嬢に、江宮はヒロインがどの攻略対象を選んでも婚約破棄して悪役令嬢を断罪ルートに叩き落とす死神みたいな王子に生まれ変わり、再会からの再会を果たした。


 前世と変わらず、顔を合わせればケンカばかりの私達だけれど、江宮がいてくれて良かったこともある。実はゲームには続編があって、それがライトノベルという形で世に出ていたらしいのだ。

 私は知らなかったけれど、江宮はラノベもしっかり読んでいて、そのおかげでクラティラスは自死するのではなく、何者かによって暗殺されることがわかった。


 さらに便利なのが、江宮の王子様という立場。そいつを最大限に利用して江宮は禁書の類を漁り、クラティラスが後に大聖女となるリゲルとは別の『もう一人の聖女』であり、そのことが暗殺される理由に関係している――というところまで突き止めたのだけれども。



 手にしたノートをめくり、全ページに目を通し終えると私は溜息をついた。


 何の変哲もない普通のノートに見えるが、これには重要事項がたらふく詰まっている。江宮が前世の記憶をかき集め、思い出せる限りのゲームイベントとそれが起こる時期、また攻略対象者ごとのイベント発生条件や印象的だった選択肢などが記された、『アステリア学園物語〜星花せいかの恋魔法譚〜』攻略情報まとめのようなものなのだ。


 最初の方の文字はとても拙いので、恐らく記憶が戻った三歳頃から記録を始めたらしい。厳重な鍵付きのノートにしなかったのは、敢えてありふれたノートにすることで怪しまれるのを防ぐためなんだとか。確かに、こんなものが誰かの目に触れたら、大事になるもんね。


 おさらいしてみると、私が忘れていたイベントも結構あった。逆に江宮が失念していた箇所もあったから、追加で書き込みをしていたのだけれど――その中の一つが、私にはどうも引っかかった。

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