腐令嬢、心身痛む


 ここは、日本で発売されていた乙女ゲーム『アステリア学園物語〜星花せいかの恋魔法譚〜』の世界。


 十九歳で事故死した私、大神おおかみ那央なおは、何故か生前にプレイしたこのゲームにおける悪役令嬢、クラティラス・レヴァンタに転生した。


 いやもう本当に何で? と全力で問いたい。だって、乙女ゲームはこれしかやったことないんだよ? BLゲームなら、これでもか! これでもまだ足りないか! ああ、まだ足りないさ! もっとだ、もっと萌えを寄越せ! って勢いで山程プレイしたっていうのに。


 どうして生粋の腐女子だった私が、BLゲームではなく乙女ゲームに、しかもヒロインではなく断罪からの自死ルートオンリーの悪役令嬢に生まれ変わったのかはわからない。


 前世の記憶を取り戻したのは、十一歳の時。けれど私は死亡エンド確定の未来は仕方ないと受け入れ、代わりに来世に期待を向けることにした。で、それまでは楽しく生きてやろうと決めて、BLのないこの世界に激しく心身を焦がす素晴らしき萌えの輪を広げる方向に動き始めたのである。


 うん、その時の私には腐教の方が大事だったのよ。最初はこんな世界に未練なんかない、どうせ十八歳で死ぬんだから好き放題やってやろうと思って。


 ゲームが開始する高等部入学よりも早く、ヒロインのリゲルに接触をはかったのも、腐教活動の一環だった。


 しかし当時ひどい男嫌いをこじらせていたリゲルは、今や私以上にBLを愛する唯一無二のレンド。そして鉄仮面のクール美少女担当だったステファニも、見事に沼落ちして私の仲間になった。



 ううん、二人だけじゃない。


 いろんな人達と触れ合って、いろんな経験をして、ゲームでは語られなかったことを知り、ゲームとは違う未来を切り拓きながら、私はゲーム開始のこの日を迎えた。いつのまにか大きく育っていた、死にたくない、ずっと皆と笑い合っていたい、生き延びたいという強い願いを胸に。



 そのためには、悪役令嬢クラティラス・レヴァンタの死を回避しなくてはならない。


 彼女はどうやら自死ではなく、何者かに殺害されるらしい。だったらできる限りゲームとは違う行動を起こして、フラグを折ったりルートを変えたりしてみよう――と考えたわけなのだけれども。



「夢、ですよね……うん、夢です。夢に決まってますぞ。あの可愛い可愛いリゲルたんが、あんな恐ろしいことを言うわけがありませんからなー。いやー、とんでもなく悪夢なナイトメアでしたなー」



 訳のわからない結論を述べ、イリオスがうんうんと無理矢理自分を納得させるように頷く。


 ここは旧校舎にある音楽室。ゲームでは、イリオス殿下との好感度がある程度上がるとしばしば呼び出しに使われるようになる、二人だけの秘密の隠れ家的な場所だ。

 人目を憚らず、さらに相手の逃げ場を奪い、自分の思うがままにヒロインとイチャイチャしたいという俺様の皮を被った高慢クソ王子・イリオスのムッツリドスケベ心をよく反映した部屋ですよね。ここに呼び出される度にうんざりしたわー。



「目を逸らすな。これが今の現実であり真実だ。リアルガチでマジなリアルだ。私だって夢だと思いたいよ……まさか入学式早々、悪役令嬢がヒロインに泣かされるなんてさぁ。こんな新展開が来るとは思わなかったわ」



 私の眼差しは目の前の椅子に座るイリオスを通り過ぎ、遥か遠い虚空へとセンチメンタルジャーニーした。


 リゲルとステファニによる鬼のような脱げ脱げコールに、三名の男子生徒は頭で地面を割る勢いで土下座して詫びた。

 何故か謝罪相手が絡んだリゲルではなく、私だったけれど。『レヴァンタ様には二度と逆らいません!』とか何とか言っていたけれど。私は何もしてないし、巻き込まれ事故も同然なんだけれど。対岸の火事で火炙りになってるという謎の理不尽さに物申したくて仕方なかったけれど。


 けれどけれどこれ以上事を荒立てたくなくて、私はリゲルとステファニの二人に引くよう懇願した。不満そうな顔をしつつも素直に言うことを聞いてくれたステファニは、まだいい。問題はリゲルだ。


 あの子って、火が点くと周りが見えなくなるんだよね。私の制止の言葉も届かなくて、『頭を下げるんじゃなくてケツを上げるんだよ!』っつって彼らの背後に回ってスボン脱がそうとするし、慌てて止めたら一本背負いからの腕ひしぎ十字固め食らうし。


 もう泣きながらステファニに助けを求めるしかできなかったよ……。その様子を見ていた人達は私の謂れなき汚名を改めるどころか、悪役令嬢って認識に『自分でも手に負えない猛獣コンビに振り回されるアホ』って要素までプラスしていたよ……。痛めつけられた心と、したたかに打ち付けた背中と、がっつり関節キメられた腕がまだ痛いわ……。



 こんなにひどい目に遭ったというのに、イリオスが私に向ける眼差しはとことんまで冷たかった。



「元はと言えばあんたが悪いんでしょーが。あんたがあの二人を気持ち悪くておどろおどろしいBL沼に引きずり込まなければ、こんなことにはならなかったんですよ。キュートで清らかで可憐だったリゲルたんと、クールで凛々しく美しかったステファニたんを返してください。今すぐ即刻速やかに!」



 投げつけてきた言葉も然り。


 身も心もズタボロになってる中、ショックで立てなくなっていたイリオスを介助してここまで連れてきてやったというのに、その恩人に対してこの態度である。感謝されこそすれ、何故ここまで言われなきゃならないのか!

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