腐令嬢、拳骨賜る
「いたた、痛いですって。わ、わかりました、話します。ええとですね……アズィム様とイシメリア様は、お休みが重なると家に戻られるのですよ。それで、その……お二人はとても仲睦まじくて、ですね……あの、私がいると邪魔になる、というのですか? 何と言うのか、丸一日、その……夫婦の営みを……」
ネフェロが赤くなって、そこで言い淀む。
「ずっとえちえちしてるってわけ? ふーん、あの二人、六十超えてるのにまだまだそっちはバリバリの現役なのね。ネフェロがいるのにせっせとおせっせに励むってことは、見られた方が燃えるタイプ? ねえ、ちょっとは見たんでしょ? どんなプレイを……」
そこまで言ったところで、ガンと頭に重い衝撃が落ちた。
この感触もよく覚えてる……こちらもネフェロの得意技、怒りの拳骨だ。
「少しは言葉を慎みなさいっ! 仮にもデビュタントボールでレディと認められた令嬢でしょうがっ!!」
照れではなく、今度は怒りで顔を真紅に染めてネフェロは怒鳴り倒した。
頭はとても痛かったけれど、ああ、いつものネフェロだな……とほっこりしたのは私だけの秘密だ。
ネフェロ曰く、普段はイシメリアの家で掃除や庭の小さな畑を手入れなどをして過ごしているのだけれど、それにしたってどうにも時間が余って困っていたらしい。おまけに夫妻が戻った際は、レヴァンタ家でイチャつけなかった分を取り戻す勢いでベタベタしまくるから、見ていられなくなって外をうろついてやり過ごしていたんだと。
で、どうせこんなに暇を持て余すなら、働きに出ようと考えたそうな。
家の管理もしなくてはならないから、アルバイトが適切だろう。少しずつでもお金を稼ぐことができるようになれば、自分を助けてくれた二人に恩返しもできる。
それにあの二人がえちちなムードになったのを察する度に、『そういえばドリンクを切らしてました』とか『わあ、珍しい蝶が飛んでる! もっとよく観察したいので見に行ってきます!』とか、いちいち言い訳を捻り出して外出していたけれど、アルバイトしていれば仕事の時間だと言って抜け出すことができる。
で、ネフェロは思い立ったが吉日とばかりにすぐ行動に移した。
「しかし新たな職に就くことで、自分の甘さを改めて思い知らされました。実はこれまでにもいろいろなお仕事に応募したのですが、私が至らないせいで人間関係でトラブルを起こしてばかりで。先日まで務めていたカフェでは、知らぬ間にスタッフさん達にご迷惑をおかけしていたらしく、怒った店長からクビを申し渡されてしまいました」
聞けば女性スタッフ達は、誰がネフェロに仕事を教えるかで揉めに揉めて大乱闘にまで発展したという。
ネフェロは不出来な自分のことを嫌って皆で押し付け合いをしていたんだと思ってるみたいけど、多分逆だよ……取り合いからの殺し合いだったんだよ……。そして店長さんは男性で、スタッフの中に恋人がいたそうだから、多分ネフェロに彼女を取られるかもって不安で辞めさせたんだと思うよ……。
全く、ネフェロってば私より世間知らずだわ。自分がどれだけイケメンか、少しは理解しろっての。
でもきっとレオのお母さんのところで働けば、おかしなことで拗れる安心はないだろう。あの方なら、イケメンだからって容赦しなそうだもんね。
とにかく、ネフェロは無事だった。そして、私のことを嫌いになっていなかった。
他にも気になることはあるけれど、今はそれがわかっただけでも十分としよう。
「ネフェロの顔を見られて、こうして話すことができて良かったわ。いつもと変わらず接してくれて、本当に嬉しかった。ねえ、来るなと言ったけれど、私またネフェロに会いたい。こっそり会いに来てもいい? 危ないことはしないから。そうだ、今度はお兄様も連れてくるわ。お兄様のことも気になるでしょ?」
両手を組んでうるうるの目で見上げる小悪魔ポーズで、私は必死におねだりした。
お兄様をダシに使ったような言い方になったけれど、いつも奴のアホ行為で迷惑を被ってるんだからこんな時くらい役立ってもらってもバチは当たらないだろう。
ネフェロだってお兄様に会いたいはずだ。
私も、これが最後なんて嫌だ。だってずっと我慢してたんだもの。嫌われてるんだからって言い聞かせて、会いたい気持ちを押し殺していた。
やっと再会できたのに、もう会えないなんて嫌だ!
「……クラティラス様は、まだご存知ないのですね」
小さく吐息を落とし、ネフェロは静かに零した。
「『あの時』――私が医者を拒み、ヴァリティタ様も賛同してアズィム様を頼ったこと、不思議に思わなかったのですか? それについて、お二人には説明を求めなかったのですか?」
有無を言わせぬ強い目付きに気圧され、私はゆるゆると首を横に降った。
「不思議には……思った。でもネフェロがずっと隠してきたのなら、私が聞くべきではないと考えて」
本当は、お兄様に尋ねようとしていたとは言えなかった。実行しなかったし未遂だったし、結局は諦めたし、黙っていたって問題ない……よね?
「今ここで私に、問い質したいと思いますか?」
そう尋ねたネフェロの声も表情も、ぞっとするほど冷ややかだった。
翠の瞳は酷薄な色に満ち、引き締まった口元には何の感情も窺えない。ネフェロのこんな顔を見るのは、初めてだ。
しかし人を突き放すこの表情を、私は知らないわけじゃない。むしろ、嫌というくらい何度も見ている。
「…………いいえ」
少しの間を置いて、私はきっぱりと告げた。
「ネフェロは知られたくないんでしょう? だったら、知らないままでいい。さっき隠し事をしたら許さないって言ったけれど、何でも話せという意味じゃないわ。相手のために隠さなくてはならないこともあると、私だってよく知っているもの」
脳裏に浮かんだのは、イリオス――
これから先に待ち受ける未来について、奴は口を噤む道を選んだ。彼が知る続編の世界は、恐らく過酷だ。私と不安を共有すれば、少しは安らぎを得ることができたかもしれない。けれどイリオスはそれを拒み、私に憂いが伝播しないようシャットダウンした。
あなたは知らなくていい、知る必要がない、だってそんな未来は来ないからと、自身にもすり込むようにずっと言い聞かせ続けて。
ネフェロも同じだ。
私のためかどうかはわからないけれど、彼が黙っていたのは言う必要がなかったからだ。だったら聞く必要もない。無理矢理吐かせるなんて、もってのほかだ。
「…………では、ヴァリティタ様に」
小さく、ネフェロがお兄様の名を口にする。
「ヴァリティタ様に、聞いてください。私が許可したとお伝えしてくだされば、お話してくれるはずですから」
「えっ……でもネフェロ」
私の伸ばした手は、空を切った。ネフェロが逃れるように立ち上がったせいだ。
「ヴァリティタ様から事情をお聞きして、それでも私に会いたいと思ってくださるならまたいらしてください。今度は、ちゃんと護衛を一緒に連れて来るのですよ?」
冗談っぽく言ってそっと微笑み、ネフェロは私を立たせて車まで送っていった。
食べ切れなかったアゲチキは車の中で食べたけれど、まるで味がしなかった。
ネフェロの微笑みが、今にも泣き出したいのを堪えて無理に貼り付けたみたいにしか見えなくて。そしてそう感じたのは、きっと間違いじゃないという確信があって。
どうしていいのかわからなくて、どうすべきか考えたくなくて、私はひたすらアゲチキを噛み締め、レオ攻めの相手となる受けのタイプについて妄想することで現実逃避した。
◇◇◇◇◇
皆様、いつも応援ありがとうございます。
昨日2/4、フロースコミック様より『悪役腐令嬢様とお呼び!』コミックス第2巻が発売となりました。
1巻に続き、GUNP様が漫画を担当してくださっております。
描き下ろしの可愛いが過ぎるイラストも掲載されておりますので、皆様にも是非手に取っていただけると嬉しいです!
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