腐令嬢、ツギハギす
その夜は、就寝の時間になってイシメリアに消灯されても、なかなか寝付けなかった。
もうすっかり私の夜の恋人になっているプルトナは、部屋の主を差し置いて、ベッドの真ん中を陣取って爆睡している。
猫って丸くなって寝るものなんじゃないの? 仰向けになって大の字で掛け布団横取りするわ、寝言はうるさいわ、時々ビクッてなるわ、鼻ちょうちんプープー吹くわ、ボリボリ腹を掻くわ……本体が頭と体の割合が一対一の小さいキモオッサンだということは忘れたいのに、寝姿がモロオッサンでクソ萎える。
しばらくゴロゴロ寝返りを打っていたけれど、このまま眠れずに朝を迎えそうだ。
こういう時は……そうだ、何か食べよう! キッチンに残り物があるかもしれない!
暗い通路を泥棒みたいに足音を殺して歩いていると、ふと思い出した。私が今みたいに寝付けずに深夜キッチンに行ったら、ネフェロが優しく迎えてくれたことを。
記憶が戻る前にも似たことがあったと、『クラティラス』の脳はしっかり覚えていた。
その時に、『クラティラス』の初恋の人がネフェロだったってこともわかっちゃったんだよね。
悪役令嬢にも、好きな人になかなか素直になれないなんていう可愛い時期があったんだなー。ゲームでリゲルに意地悪の限りを尽くすクラティラスからは、とても想像できないわ。
ふふっと微笑ましさに思い出し笑いで上がりかけたくちびるが、止まった。
待って…………おかしくない?
だって私が記憶を取り戻す前も、『クラティラス』は存在してたんだよね?
いや、今もクラティラスとして私がここに存在してるんだけど、記憶を取り戻す前と後で感覚がズレてる。
確かに、私だってネフェロが好きだ。
でもこの気持ちは、恋じゃない。だって自分とくっつくくらいなら、お兄様とイチャラブすべきだと声を大にして訴えたいし、レオを攻めに目覚めさせてあげてほしいとも思うし、とにかく恋愛対象としては見ていないもの。
なのに私は、自分の初恋を『他人事』のように感じている。
うん……やっぱり変だよ。
これじゃまるで、私が『クラティラスの体を乗っ取った』みたいじゃ……?
恐ろしい考えを振り切るように、私はキッチンへと急いだ。が、出入口が見えたところで立ち竦む。誰もいないはずのキッチンから、灯りが漏れていたからだ。
前はネフェロが、私の好物を作って待っていてくれた。まさか今回も、クラティラスアンテナがピピッと働いて、私がキッチンに行って食材泥棒するだろうと察知して忍び込んだのでは……!?
逸る心臓を押さえ、私はそっとキッチンを覗いてみた。しかしすぐに脱力して、がっくりと肩を落とす。
「なぁぁぁんだぁぁぁ、お兄様かぁぁぁ……」
「何だとは何だ、失礼な。そこは『こんな時間にもお兄様に会えるなんて嬉しい素敵抱いて早く一緒にお嫁に行きましょう』と、感激して喜ぶところだろう」
私とお揃いの蒼い釣り目をさらに釣り上げ、お兄様は訳のわからない反論をしてきた。
どんなことがあってもそんな台詞だけは言わねーよ。相変わらず盲目ラブ・フォー・妹なんだから。
お兄様は寝間着の上に、エプロンを身に着けていた。ブラックの生地に名前の刺繍が入った、お兄様専用のものである。実はお兄様、お料理も頑張る系男子なのだ。それがイリオスに嫁ぐためだと知らなければ、すごく素敵なことなんだけどなぁ。
しかしこんな深夜に厨房でエプロン姿になっているということは、お兄様も私と同じでお腹が空いてしまったんだろうか?
「いつまでもそんなところに突っ立ってないで、早く中に入れ。もうそろそろできる頃だ、そこで座って待っていてくれ。ああ、まず愛しのお兄様に熱烈なハグをしてからだぞ?」
お兄様に促され、私は作業台の下に置かれていた木箱に座った。もちろん最後の言葉は綺麗に無視ですよ。
椅子代わりの木箱、ランチョンマットの上に並べられたカトラリー、そして焼窯から漂ってくる美味しそうな香り――相手は違うのに、この状況の全てに不気味なほど既視感がある。
「うむ、うまくできたようだな。どうだ、クラティラス? なかなか上手にできただろう?」
お兄様が笑顔で私の目の前に置いたのは、チーズとハムと緑野菜のケークサレだった。これはあの日、まさにネフェロが私に作ってくれた料理だ。
「ど、どうして? お兄様、何故これを……」
「実は、ネフェロに教わってな」
ケークサレを切り分けながら、お兄様が静かに答える。心を読まれたかと思い、私は一瞬固まった。
「お前が夕食もそこそこに早々と部屋へ戻ることがあったら、それは落ち込んでいる時だと。でも我慢できなくなって夜中にお腹が空いて起き出すだろうから、その時はこの料理でもてなしてやってほしいと、頼まれていたのだ。今夜はあまり食事を食べていなかっただろう? それにずっと浮かない顔をしていた。だから夕食後に仕込みの支度をして、家人が寝静まった頃を見計らって調理を開始したのだが……ビックリするくらいタイミングが良かったな」
お兄様がまた笑う。
勧められるがままに、私はケークサレをフォークで取った。
あの日と同じ、優しい味が口に広がる。すると記憶をなぞるように、涙まで出てきた。
「クラティラス? ど、どうしたのだ? 熱すぎたか?」
慌ててお兄様が私の肩を抱く。私は首を横に振り、嗚咽と共にケークサレを飲み込んだ。
「ネフェロは……私のことを、とても心配していたのね? だからレヴァンタ家を去る時に、そう言ってお兄様に私を託したのね?」
涙でぼやける視界の中、お兄様が頷くのが見える。
いつか聞いた、ネフェロの言葉が耳奥に蘇った。
『こんな荒っぽいことをしてしまうのは、クラティラス様のせいです。こんなことをするのは、クラティラス様に対してだけです。大切で愛おしいからこそ、本気で怒って本音を見せられるのです』
記憶を良いとこ取りして継ぎ接ぎしたことは否定しないけれど、でも改変はしていない。
ネフェロは確かに、私を大切で愛おしいと言ってくれた。あれは紛れもない本心で、ずっと変わらなかった。それを今、切ないまでに理解した。
――――だったら私も、変わらず彼を受け止めたい。受け入れたい。
受けだけに……って、今はBLネタでウケ狙ってる場合じゃない。狙われるといったらやはり受けですし……って、もういいから!
一人ノリツッコミを経て私は涙を拭き、お兄様を真っ直ぐに見つめた。
「お兄様……私、今日ネフェロに会ったの」
お兄様の表情が、強張る。
「そこで言われたわ。ネフェロがずっと隠してきたことを、お兄様に聞けと。それでもまだ気持ちが変わらなければ、また会いに来てほしい、と」
お兄様に打ち明けるべきか、迷っていた。
自分でも本当に聞いていいのか、聞いてネフェロへの感情が変わってしまうんじゃないかと怖かったから。そうなったら、お兄様まで困らせてしまうかもしれないと思ったから。
でも、私はもう逃げない。
どんなことがあったって、ネフェロを嫌いになんてならない。あの寂しげな微笑みから憂いを取り払いたい。彼の思いに応えたい。
息を吸い込んで吐き、私は改めて問うた。
「お兄様、今一度お聞きします。あの日、ネフェロを医者ではなくアズィムに任せたのは何故ですか? 私に何を隠しているのですか?」
睨むに等しい私の視線を真っ直ぐに受け、お兄様は小さく吐息を落とした。
「わかった、私の部屋で話そう。誰かに聞かれては困るからな。……お前だって、ネフェロを困らせたくないだろう?」
その言葉に同意して頷くと、私はケークサレを飲むように一気食いし、お兄様を手伝って厨房を綺麗に片付けた。
二人で真っ暗な廊下を歩いていると、前にネフェロから『オバケが出るぞ〜』と脅されたことを思い出す。でもお兄様に言うのは止めておいた。
だってお兄様ったら私と同じでオバケ耐性マイナスの超怖がりだし、それにそんな冗談で気を紛らわせられるような雰囲気でもなかったから。
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