腐令嬢、秘密を知る


「私がそれを知ったのは、ほんの偶然に過ぎない」



 そんな前置きから、お兄様の話は始まった。


 お兄様の部屋には、変わらず悪魔顔デザインのラグマットが鎮座している。しかし慣れとは恐ろしいもので、もうドアップの悪魔顔を見ても悲鳴を上げることはなくなった。

 何なら今私が履いてるパンツも、リゲルとオソロにしたくて買った悪魔顔総柄プリントだし。この悪魔顔デザインシリーズ、妙な中毒性ある気がする……これを誰より先に見初めたお母様は、案外本当にオシャレなのかもしれない。


 部屋にあった茶器でお兄様が紅茶を淹れ、カップをテーブルに置く。その音で我に返った私は、魅入られるようにマットの悪魔顔に注いでいた視線を、隣に座ったお兄様へと戻した。



「世話をしていたアズィムとイシメリアはともかく、ネフェロはレヴァンタ家の者のみならず、誰にも知られたくないと考えていた。アズィムも彼の気持ちを汲み、さりげなさを装ってネフェロを守り続けていた。なのに私の浅はかな行動が、そんな二人の努力を台無しにしてしまったのだ」



 事が起こったのは、お兄様がアステリア学園高等部一年、私が中等部二年の晩秋。

 体育祭で私を庇って負った足の怪我が回復し、しかし医者の許可が下りないものだから寝ているしかなく、ひどく暇を持て余していた頃だった。


 無理して動くなと厳しく言い渡されていたそうだが、お兄様は夜中にこっそりと家の中を徘徊していたらしい。それでは飽き足らず、その日は外に出て、レヴァンタ家の敷地内を散策していたそうだ。


 すると夜更けであるにもかかわらず、家人用の居住スペースに灯りが点いていることに気付いた。こんな時間に誰が何をしているのかと、小さな窓に顔を寄せてみればそこはどうやら浴場のようだった。


 女性であれば見なかったことにして即座に退散しただろうが、カーテンの隙間からチラリと確認できたのはレヴァンタ家で唯一の金髪。相手がネフェロだとわかると、お兄様はほっとしてそのまま覗きを続行した。


 フーン?

 華奢な体してるけど、あいつ本当に男だよな? って確認しようとなさったのかしら?

 男なのにどうしてドキドキしてしまうんだろう……からの?

 ほら、あいつもオレと同じ男じゃないか……って自分の気持ちにストッパーをかける的な?


 さっき平らげたケークサレばりに美味しい展開じゃん! と腐れた眼差しを送る私に、お兄様は慌てて言い訳をした。



「べ、別におかしな欲求があったわけではないからな? 勘違いしないでくれよ?」


「チッ……じゃー何すか」



 残念無念な思いを舌打ちに込め、私は冷ややかに尋ねた。



「その……当時は私も、男子ならではの悩みを抱えていてな。ちょっと自分の持ち物に自信がなかったのだ。他の者と比べる機会などそうはないし…………ああもう、こんなことまで暴露する羽目になるとは!」



 お兄様が頭を抱えて呻く。


 要するにチソチソのサイズに不安があったから、ネフェロと比べてみようって考えたわけか。あらあらまあまあ、あの頃はクール気取りで近寄りがたい雰囲気ムンムンだったけれど、実は可愛いところもあったんじゃない。



「で、ネフェロのはデカかったの? 腕くらいあった? それとも見た目通り、可愛くて繊細な感じだった?」



 希望としては後者だが、巨根受けも悪くない……などと妄想しながら、私は意気揚々とお兄様に迫った。

 下品なことを聞くなと怒られるのは当然想定内、でも聞かずにはいられなかったんだから仕方ない。私だって、そういうのが気になる年頃の乙女だもの。



 しかしお兄様は、無理矢理絞り出すようにたった一言、小さく告げた。



「…………何もなかった」



 え?


 意味がわからず、私は瞬きすら止めてお兄様を見つめ返した。



「何も、なかったのだ。あるべき場所に、あるべきものがなかった……」



 お兄様が言ってるのって、チソチソとタマタマの件、よね?


 それがなかった、ということは――――つまり!?



「ネフェロは……男でなく女性……!?」

「違う」



 私の驚愕に満ちた声は、お兄様に即否定された。



「お前だって、よく知っているだろう? ネフェロは確かに華奢だが、女のそれではない。骨格は男のものだし、喉仏もある」



 そうだ。

 今日だって私はネフェロに抱き着いて、彼の喉仏が上下するところを見て萌えていた。それにあの胸の感触は、薄くても間違いなく男だった。

 さらしを巻いていたって、あれだけ密着していれば気付く。たとえとんでもない貧乳だろうと、女であればひたすら胸筋を鍛え抜かなくてはあんなにも固くはならない。ネフェロの胸は、鍛えた形跡もなくすんなりとしていた。



「ど、どういうことなの……?」



 私の問いかけに、お兄様はさらに驚くべき真実を告げた。



「ネフェロは……性器を、切り落とされていたのだ。それだけではない。性器のあった部分に、『魔石』を埋め込まれていた。天然のものではなく、『人工』のな」



 魔石。

 魔法エネルギーを凝縮して作られるという、魔力物質だ。


 そもそも、このアステリア王国では魔法自体が禁忌とされている。そして魔石なる代物を開発して取り扱っている国は、この近隣ではたった一つ。



「ネフェロは……ヴォリダ帝国からやって来た、というわけね?」



 お兄様は頷き、その時の経緯を語った。



 ネフェロの体を見て声を上げ、覗き見していたのがバレたこと。


 浴場の外で見張りをしていたアズィムが気付き、ネフェロの体について話してくれたこと。


 ネフェロは知られたショックのため終始無言で、お兄様と目も合わせようとしなかったこと。


 そんなネフェロに、お兄様は絶対に秘密にすると誓い、これからも妹を頼むと言って笑顔で抱き締めたこと。


 するとネフェロは思い出したように泣き、感謝と謝罪の言葉ばかりを繰り返していたこと。


 その日はネフェロを落ち着かせてから解散し、後日アズィムに事情を聞いたこと。



「しかし、アズィムもほとんど何も知らなかったのだ。魔石から、ネフェロがヴォリダ帝国と関係のある者なのはわかった。その点についてはネフェロも観念して認めたそうだが、それ以外は一切口を割らなかったらしい。アステリア王国にやって来た経緯はおろか、何故こんな酷い目に遭わされたのか、どうして魔石を体に埋め込まれたのか、この魔石は一体何なのか、何度尋ねても答えようとしなかったという」



 ネフェロが性器を削がれた理由以上に、何故わざわざ『魔石』を埋め込まれたのか――私も、その点が非常に気にかかった。


 過去の大戦の影響で、魔法を忌避する傾向にあるアステリア王国とは真逆に、ヴォリダ帝国は魔力を持つ者も多く暮らし、また魔法を新たなエネルギー源として活用しようと様々な研究を進めている。


 その一つが、人工魔石。

 魔石なる代物は、実は自然にも存在する。ざっくり言うと、石が周りの少しずつ魔力を吸って蓄積されてできる天然鍾乳石みたいな感じ。だから魔法と縁のないアステリア王国ではほぼ見られないけれど、他国ではたまに発見されることがあるそうだ。

 見た目は普通の石だし、どんな性質を秘めているかは触れるまでわからないらしく、そのせいでいきなり燃え盛る炎に包まれたり氷結させられたりして亡くなった者もいるんだとか。

 何が起こるか予測できない分、魔物よりも怖いものかもしれない……とお父様は言っていた。扱いとしては地雷とか殺生石とか、ゲームなんかで宝箱に擬態してるミミックみたいなものかな。


 それをこの世界で初めて人の手で作り上げたのが、ヴォリダ帝国。

 しかし実用化は難しいらしく、数年前に発表されたのは傘に小さな魔石を埋め込んで雨を弾くという簡易なものだった。


 ネフェロは、その魔石を導入した商品が公開されるよりも前にアズィムに拾われている。


 アズィムもお兄様も頭が良いから、すぐにネフェロの身の上を察したんだろう――彼はヴォリダ帝国で、非公式かつ秘密裏に行われていた人体実験の被験者だったのではないかと。そして、そこから命からがら逃げ出してきたのではないか、と。


 彼らの予想は、当たっていると思う。


 だって私は、ヴォリダでそんな恐ろしい実験が行われていると知っている。他にも、その実験の『被害者』がいるのだから。

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