腐令嬢、ばむばむす
「バカですか、あなたは。ええ、バカなのでしょうね。ええ、ええ、この私が誰よりもよく存じております。全く相も変わらず一爵令嬢という身の程を弁えず、好き勝手に行動して……いくら食べ物の匂いに釣られたからといって、まさかこんなところにまで現れるとは思いもしませんでしたよ。あなたの脳には、食い気しか詰まってないのですか? その食い気の半分、いえ十分の九を捨てて、そろそろ淑女としての嗜みを詰め込むべきです……って、怒られてる間くらい、食べるのを止めなさい! いい加減にしないと寛大なイリオス殿下も呆れて、他の令嬢に目移りなされますよ!?」
ガミガミくどくどと、ネフェロの説教は止まらない。そしてモグモグはぐはぐと、私のアゲチキを食べる口も止まらなかった。
あの後――舌を噛んでネフェロが半泣きになっている内に、私はレオのお母さんに彼と二人で話す時間がほしいとお願いした。レオのお母さんはすんなり快諾してくれて、ネフェロの回復を待つ間レオにアゲチキを作らせ、それを持たせて私達を送り出した。
リゲルもほんのりと事情を知っているから、明るい笑顔でお見送りしてくれた。
そして二人でやって来たのは、レヴァンタ家の車が停めてある噴水公園。
まずネフェロが旧知の運転手に挨拶をした上で、私との接触に関しての許可を得てから、公園内のベンチで話すことになった。クソ真面目なところは変わらないらしい。
「はあ、もう……ラテュロスさんには、あなたが一爵令嬢ということは内緒にしておきます。けれど、二度とこんなところへ来てはいけませんよ? もう少し、ご自分の身を大切になさってください。クラティラス様の身に何かあったらと思うと、私も気が気ではありませんから」
口腔内のアゲチキを飲み込み、私はゆっくりとくちびるを動かした。
「ネフェロ……私を、心配するの? 私のこと……嫌いになった、んじゃないの?」
怖くて、ネフェロの顔は見られなかった。
だってネフェロがレヴァンタ家を去ったのは、私のせい。ネフェロは、私の代わりに大怪我をした。それでしばらく仕事を休み、ついには復帰することなく退職してしまった。
ぱっと見、ネフェロには怪我の後遺症らしきものはない。だけど見えない部分に、重篤な障害が残っているのかもしれない。
そうでないのだとしたら、ネフェロがレヴァンタ家に戻らなかった理由は――やっぱり私、なんだろう。
私がネフェロを傷付けた。私のせいで痛い目に遭ったんだもの、私のことを嫌っても仕方ない。
俯いて食べかけのアゲチキを見つめていると、頭にふんわりとした温もりが落ちてきた。この感覚は、覚えている。ネフェロの得意技、アターマ・ポンヌポンヌだ。
「私が、クラティラス様のことを嫌うわけがないでしょう。会えない間も、ずっと気にかけておりました。こっそりとお姿を見に、お屋敷の外から様子を窺っていたこともあったのですよ?」
優しい声が降ってきても、私は顔を上げられなかった。
アゲチキを噛み締め続けて我慢していたのに、ぐっと喉に痛くて苦しいものがこみ上げてくる。久しぶりに会ったのに、やっと念願叶って会えたのに、泣き顔なんて見せたくない。
そう思っても、堪えきれずにくちびるは震えて、目の奥もどんどん熱くなってきて。
「うっ……うええええええん! わ、私……ネフェロに、き、嫌われたんだって……もう会えないかもって……それで……!」
噴出した涙の勢いに溺れるみたいに、言いたいことがまるで言葉にならない。そんな私を、ネフェロは隣から優しく抱き締めて、あやすように言った。
「クラティラス様は、ずっとそのようにご自分を責めていらしたのですね……私の配慮が足りませんでした。本当に、申し訳ございません」
謝罪なんて要らない。配慮なんかしなくていい。私がほしいのは――。
「私がレヴァンタ家を出たのは、もう自分ではクラティラス様の世話係を務めることができないと判断したからです。クラティラス様が成人なされば、いくら家事使用人といっても男を側に置くわけにはいかない。私は世話役から外れねばならないと、既に決まっていたのです。それにあの時――私は、クラティラス様をお守りすることができなかった。守るどころか、足手まといになってしまった」
顔を埋めたネフェロの胸から、心臓の鼓動が聞こえる。
それは生きていると誇示するような力強い音ではなく、悲しい恋歌を紡ぐ吟遊詩人の調べを思わせる、静かで切ない音色だった。
「アズィム様は私を後継にとお考えだったようですが、私には無理だと何度も訴えておりました。クラティラス様は、いずれ王宮へ嫁ぎます。そしてヴァリティタ様が家長となり、妻を娶り子を設け、レヴァンタ家は新たな世代へと移り変わっていく。その中にこの私がいるだなんて、どうしても想像できませんでした。私はヴァリティタ様とクラティラス様の世話係、それ以上にはなれない。ずっとそう思っていたのです」
私はそっと顔を上げた。ネフェロは細い顎を震わせ、何かを懸命に堪えているようだった。
私がアオリのポジションから美顔をガン見して堪能していることに気付いたのだろう。ネフェロはこちらに視線を向けて、苦笑いした。
「ですから、あの事件はただのきっかけでした。来たるべき時が少し早まっただけ、クラティラス様は何も悪くないのです」
「か、体は……? もう怪我は大丈夫なの? 今、どこに暮らしているの?」
恐る恐る、私は彼にずっと聞きたかったことを尋ねた。ネフェロは少し思案してから、躊躇いがちに口を開いた。
「怪我はこの通り、もう完治しております。後遺症もなく、元気です。あの後から現在に至るまで、イシメリア様のお住まいに敷地内を管理するという名目で置いていただいていて……その、アズィム様とご夫婦で衣食住はお世話してくださるのですが、それでは申し訳ないと考えて、こうしてあちこちに働きに出ている、というか」
イシメリアは、先代がお父様とお兄様の件で揉めた結果、爵位も仕事も丸投げして海外に移住した後、レヴァンタ家のメイド長を辞して、商都に近い第二居住区に家を買ってそこで長らく暮らしていたという。
ちなみに彼女がレヴァンタ家の家事使用人として残らなかったのは、不義の子であるお兄様を我が子として迎えたお父様に賛同できなかったからではなく、むしろ新たなレヴァンタ家再建のためだったそうだ。
『先代様が全財産を丸ごと持っていったせいで、レヴァンタ家はひどく困窮しておりました。しかしそんな状況だろうと、トゥロヒア様なら無理をしてでも自分に給料を払おうとするに決まっています。アズィムをタダ働きさせていただき、私は他所で稼いで彼を養う。あの時はこれがベストな方法だったのです』
当時を思い出したのか、まんまるな顔に悲しげな笑みを浮かべながらイシメリアは明かしてくれた。
アズィムとイシメリアの二人も、とても苦しい生活を送っていたはずだ。
そんな中でも放っておけずに拾って家に迎え入れたのが、浮浪者同然でさまよっていたというネフェロ。子のいない二人にとっては、まさに養子のような存在だったと思われる。
だからネフェロの穴を埋めるためにイシメリアはレヴァンタ家に再び仕えるようになったんだろうし、代わりにネフェロには自宅を任せていたんだろうけれど……何故か、ネフェロの口調は、妙に歯切れが悪い。
「ちょっとネフェロ、何か隠してるでしょ! ちゃんと言いなさいよ! こんなに私を泣かせたんだから、隠し事をしたら許さないわよ!?」
ばむばむと男にしては薄い胸を両手で叩き、私は問い詰めた。
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