腐令嬢、ボコられたがる
「クラティラス、大丈夫だった!? アタシはこの通り無事よ、安心して!」
部屋の扉が大きな音を立てて閉じられると、プルトナが寝室に飛び込んできた。
申し訳ないがプルトナの無事を心配する暇なんかなかったし、見張りを放棄して寝落ちたことに文句を言う気力もありませんよ……。
「ふぇぇ……死亡エンド待たずに死ぬかと思ったぁぁぁ……」
見慣れたデブ猫の姿にほっとして、私はやっと肩の力を抜いた。が、脱力に任せて崩れ落ちることはできなかった。
イリオスがまだ、私を抱き締めたままだったからだ。
「えっと……イリオス? どうし……ひょお!?」
問いかける声は、悲鳴に変わった――だって、またもや押し倒されたんだもん!
こんな時に可愛い声なんて出せないよ! そんな器用なことできるのはヒロインだけだよ!
「イリオス? ねえ、イリオスってば……ほ、本当にどどどどうしたの? 落ち着こ、ね? ほほほほほら、プルトナもいるし!?」
噛みまくりながら焦り狂いながら、私は上にのしかかるイリオスの背中を叩いて説得した。
下敷きにされているせいで、彼の顔は見えない。彼が今どんな表情をしているかなんて、私には想像もできなかった。
薄いシャツ越しに伝わる体温、使っている石鹸と思われる清廉な花の香り、自分とはまるで違う大きくて固い男性の肉体の感触――五感全部が、イリオスで満ちていく。心臓が、かつてないほど早鐘を打って破裂しそうになった。
こ、これって……ま、まさか、わ、私に発情したというのか!? 私なのに!?
いや確かに私は奴の推しだけど、でも中身は私だよ!? 前世からの宿敵のウル
「…………クラティラス」
ベッドに乗ってきたプルトナが、神妙な口調で私の名前を呼ぶ。
「プルトナ! たたた助け」
「イリオス様…………気絶してるわ」
言われて身を起こし、見てみると――――イリオスは、白目を剥いて気を失っていた。
カミノス様に喧嘩を売るという緊張感に耐えられなかったのか、苦手な接触のせいでショートしたのか……恐らくその両方だろう。
うん、気を失って倒れ込んできただけだったんだね。そっかそっか、あーもうびっくりしちゃったなぁ。
…………誰か、私を殴って!
一瞬でも襲われるかもしれないと思った自分を、ぶん殴って消し去ってください!
別人のはずなのにイリオスから香った匂いが
カミノス様のお見送りを終えて慌ててやって来た家人達とステファニには、仕方ないから『ちょっとイチャついてたところを見られて、驚いて帰ってしまわれた』と伝えた。他に説明しようがなかったし、下手に嘘をついて、もしカミノス様側から報告された場合に食い違いが出たら、それこそ大問題になるもん。
イリオスはそのままベッドに寝かせておいたら、一時間くらいで目を覚ました。
カミノス様が帰ると言った瞬間に意識が飛んだそうで、ユーターンして戻って来なくて良かった良かったと胸を撫で下ろしていたよ。
接触したことについては謝罪されたけど、服越しだったから、くちびる衝突事故の時みたいに悲壮感漂う顔はしてなかった。めっちゃ手洗いしてたし、私にも触れた部分の洗浄殺菌消毒を命じてきたけど。着てたシャツはすぐに脱いで洗濯に出して、念入りに洗うようにと使用人にまで事細かく指示してたけど。
それからしばらくしてお父様とお母様が帰宅すると、ステファニは学校の件を、イリオスは寝室での件を手短に伝えて詫び、共に王宮へと戻っていった。
一応、クロノの作戦は成功した……ということでいいのかな?
イリオスと二人きりで話すって目的は達成できたし、予定外ではあったけれどカミノス様本人にアタックを控えてくださるよう伝えることもできた。
カミノス様がこれからどう出てくるかは、わからない。おとなしく手を引いてくれればいいけれど――でも彼女が意地悪を続ければ、悪役令嬢交代ルートという新たな可能性が生まれるかもしれないわけで。
「……でもやっぱり、それもナシな気がするんだよね」
「なぁにぃ? うっさいわねぇ……早く寝なさいよ」
私の隣で枕に頭を乗せていたプルトナが、にゃむにゃむしながら不平を漏らす。
つい独り言を口にして、寝入りかけてたところを邪魔してしまったようだ。
「ごめんね、何でもないわ。おやすみ、プルトナ」
モフモフとプルトナの頭を撫でて、私は目を閉じた。
瞼の裏に浮かんだのは、今いるこの寝室から立ち去ろうとするカミノス様の後ろ姿。いつも堂々としている彼女が、今にも折れそうに頼りなく寂しげに見えた。
あの細い背中に、自分の身代わりを背負わせる?
そんなことをしても、恐らく意味はない。卒業式の断罪シーンがカミノス様にすげ替えられたとしても、私に待ち受ける死の運命は変わらないだろう。だってカミノス様は、クラティラスじゃない。クラティラスの代わりは、誰にもなれない。
『静の聖女』――クラティラス・レヴァンタはその役割を担う、唯一無二の存在。それゆえ世界が、然るべき時に殺さねばと躍起になっているんだから。
それにたとえ代われたとしても、この運命を誰かに押し付けて逃げるわけにはいかない。『私』がクラティラス・レヴァンタなんだから、『私』が成し遂げなくちゃ。
そう、『私』は『クラティラス・レヴァンタ』。
そして『私』は『
『私』と『私』、二人の『私』がいる――――だから大丈夫。きっと『今度こそ』は『あの人』を。
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