文化祭感傷
腐令嬢、友を思う
暦が変わって十一月になると、秋の空気はほとんど冬色に塗り替えられた。特に朝の冷え込みは格別で、寒さが痛く身に染みる。
吐く息の白さをため息でさらに濃くするという不毛な呼吸を吐き出すと、暑いほどだった車との温度差に身を震わせつつ、私は学校への道を歩き始めた。
ちなみにステファニは少し遅れてアステリエンザに罹り、家で寝込んでいる。
アステリエンザを経験するのは初めてだったそうで『死ぬ前にイリオス殿下のデレ顔と泣き顔と悦びにだらしなく蕩ける顔を見たかった』だとか『死んだら生エミヤ様に会えるのでしょうか、どんな挨拶をしたらよろしいでしょうか』等と気弱な発言をしていたけれど、医者の話では快方に向かっているとのこと。治ったら、記録した恥ずかしい譫言の数々を暴露していじってやろう。
この寒さのせいで、道行く者達は揃って秋冬用の上着を着用している。
もちろん私も、シンプルながら防寒に優れた濃紺のノーカラーコートを装備中。地味に見えて上品なムード漂うこの衣類は、私が自ら選んだものだ。だってお母様が用意したオショレセンス大爆発な蛍光オレンジのライダースジャケットなんて絶対に着たくなかったんだもん。
クラティラスが自分で服を選ばなきゃ気が済まないタイプだったのは、多分……というか間違いなくお母様のセンスについていけなかったせいだと思うんだよね。
いつものように校門で護衛と別れて見遣れば、登校するアステリア学園の生徒達もそれぞれにオシャレなコートやジャケットを纏っていた。
その中に、見覚えのある薄桃色のスウェードコートを発見すると、私は凍てついて強張った頬を緩めた。
「リゲルー! おはよー!」
人波を泳いで辿り着けば、寒さを溶かすほどあたたかな笑みが私を迎える。
「おはようございます、クラティラスさん!」
ブラウンベージュのボブヘアをふわりと翻して振り向いたリゲルは、金色の瞳で真っ直ぐに私を見つめ、綻ばせた柔らかなくちびるから元気に挨拶を返した。
今日も今日とて可愛いのである!
「今日も寒いねー。リゲル、こんな中でも毎日歩いて通ってるんだよね。辛くない? 大丈夫?」
十五分ほど歩いているとはいえ、私は途中まで車で送ってきてもらっている。リゲルの家は第二居住区でもかなり北寄りなので、徒歩だと二時間以上かかるはずだ。
けれど彼女は首を横に振り、嬉しそうにピンクのコートの胸元を叩いてみせた。
「全然平気ですよぅ。だってクラティラスさんにプレゼントしていただいたこのコート、とってもあったかいんですもん。おかげで寒さなんて、ちっとも感じません!」
ええ、そうなの。このコートは、私がプレゼントしたの。球技大会のすぐ後、初めてのデートをした時にね。
実は先月、十月二十日はリゲルの誕生日だったのだ。
そこで、寒くなったら登校が大変になるだろうと思い、一緒にいろんなショップを回り、一番似合う一着を選んでプレゼントしたってわけ。
ね、良いプレゼントでしょ?
年齢の数と同じ十三本、全部色が違う薔薇を贈ったクロノ様より、私のプレゼントの方が実用的かつ断然オシャレだよね!?
悔しいことに、リゲルは私の後でクロノ様ともデートしたらしいのだ。おまけに前述したバースデープレゼントに加えてえらくお高いお店でのお食事、ついでにドライブして夜の海までドライブしたんですと!
しかも護衛はとっくに撒かれて姿を消していたそうなので、クロノ様の私物だという赤いオープンカーに終始二人きりだったっていうじゃない。
けれどリゲルは初めてのオープンカーに喜ぶより、『こいつ免許持ってんのか?』という不安の方が勝って『後部座席、いえトランクでいいです!』と懸命に言い張ったという。
クロノ様は、我々より二つ年上の十五歳。運転免許はアステリア王国を含む多くの国で『十五歳から取得可能』となっている。しかしクロノ様はアステリア王国に戻ってまだ間もないから、無免許なのでは……とリゲルが訝るのも無理はない。
恐る恐る免許の有無について尋ねた彼女に、クロノ様は今年の誕生日を迎えてすぐ、同じく十五歳から運転免許解禁となる留学先のプラニティ公国で自動車学校に通い、免許を取得したことを伝えた。アステリア王国での手続きも済ませてあるから問題ないと聞くと、リゲルはやっとほっとして助手席に腰を下ろすことができたんだと。
安心したら、そのままロマンチックムードへと流されて……となるかと思えば、そうもいかなかった模様。
リゲル曰く『真っ暗で何も見えなかったし、波が荒れてたから何か喋ってたみたいけどほとんど聞こえなかったし、クソ寒くて泳げもしないし、何が楽しくて晩秋の海に来たのかは知らんけど早く帰りたくて仕方なかった』そうな。
まだお子様のリゲルには、夜の海にロマンチックを感じるなんて早すぎたみたい。
にしてもクロノ様……明らかにリゲルを狙ってるよね? なのにあのヤリチソ、手も握らなかったそうなんだよ。ヤリチソなのによ? 隣で、リゲルを黙って見つめてるだけだったんだって。何度も言うけど、ヤリチソなのによ!?
クロノ様は、もしかしたら――リゲルに対しては、かなり本気なのかもしれない。
何といっても、リゲルは総愛され爆撃機だもん。ヤリチソの一人や二人や百人、コロッと陥落させてもおかしくはない。
ちなみに『アステリア学園物語〜
クロノ様がもし、心からリゲルを愛したなら――それは悪い話ではない。リゲルにとってはメイン攻略対象であるイリオス以上に好条件な王子と結ばれることになるし、そして私にとっても『死亡フラグ回避』に繋がる可能性が膨らむ。
けれど……リゲルの気持ちを無視してまで、クロノ様を推したくはないんだよなぁ。
だってあの男、スペックは高いけど性格に難ありだもん。ヤリ捨てされないか心配で心配で、結婚したらしたで山ほど妾作って彼女を顧みなくなるんじゃないかと不安で不安で、たとえ死亡エンドを回避してもリゲルを案じるあまり、心労で死んじゃいかねない。
それに、まだ他の攻略対象と出会っていないんだし、焦る必要はないと思うんだ。
彼女にはたくさんの人に出会って、それぞれの良さを吟味した上で、唯一無二の相手を選んでもらいたいから。
幸いにも、彼女はまだクロノ様に恋心を抱くどころか、好意の矢印を向けられていることにも気付いていないらしい。ゲームではこの鈍感難聴っぷりにイライラさせられたが、今は好都合だ。
取り敢えずクロノ様には、本編となる高等部で攻略対象全員を網羅するまでは我慢してもらおう。選択肢は多いに越したことがない。
リゲルには、最高の相手を見付けてほしい。そして、誰より幸せになってほしい。
それまでは『王子殿下の恋人』なんて肩書きは、逆に邪魔になるだけだ。だから申し訳ないけれど、クロノ様の恋路は暫く邪魔させていただくとしよう。どこぞの誰かさんのせいで婚約者に仕立てあげられた、私みたいにならないようにね。
はぁ……リゲルも心配だけど、自分のことも考えなきゃ。
王子の婚約者って障害を乗り越えてまで私を好きになってくれる人なんて、いるのかな?
文字通り、命賭けて恋するつもりではあるけれど、仮に誰かを好きになったとしても受け止めてもらえる気がしないよぅ……。
お伽噺のヒロインに生まれ変わってりゃ、いじめに耐え忍んだり何百年も寝くたれてたり、何なら毒食らって死んだりしても、ヒヒーンパカランパカランと白馬駆って本物の王子様が迎えに来てくれたんだろうけどなぁ。
でも、私はヒロインじゃない。ヒロインなんて器じゃない。
ヒロインになれるのは、今私の隣を歩いているような子。
可愛くて明るくて、素直で純粋で、思わず守ってあげたくなるのに驚くほど強い芯を秘めている子。私なんかと違って、あざとすぎるくらい女の子としての魅力に満ち溢れている子。そんなリゲルのような子こそ、ヒロインの座には相応しいのだ。
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