腐令嬢、代弁される


 潜水ごっこをしているのかとも思ったけれど、二人はいつまで経っても顔を出さない。


 一分、二分……いや、さすがにおかしい。

 後続のお兄様達も異変に気付き、慌ただしく声を上げながら潜ったり移動したりして二人を探し始めた。イリオスは二人の前を泳いでいたせいで察知するのが遅れたようだったけれど、すぐにUターンして捜索活動に加わった。



「リゲルちゃん! リゲルちゃん!!」



 皆の制止を振り切り、レオも砂浜にいた教師達と共に慌てて海に駆け込んでいく。


 私もこうしちゃいられない! リゲルとステファニを探さなきゃ!


 しかし海水を切って走ろうとする私の足を、ロング丈のスカートの裾が濡れて張り付いて邪魔する。構わず、私はワンピースを乱雑に脱ぎ捨てた。

 もしかしたらイシメリアの目を盗んで泳げるかもしれないと考えて、水着を着たままにしておいて本当に良かった。そのイシメリアは何事か叫んだけれど、今は聞いていられない。お小言は後だ!


 押し返し押し寄せる波をざぶざぶ蹴散らし、水中へと飛び込んだ私は、リゲル達が消えたと思われる場所までそれこそ死にものぐるいで泳いだ。



「イリオス! リゲルは……ステファニは!?」


「見付からないんですよ! 流されるほど潮の流れは早くないのに……」



 合流した私に、イリオスが困惑した表情で答える。


 あの二人は、沈むというよりフッと消えたように見えた。それを伝えると、イリオスの表情がさらに固く強張った。



「クラティラスさん、僕から離れないように掴まってください。早く!」



 気圧されて、ラッシュガードに包まれた彼の肩をそっと掴んだ。それを確認してから、イリオスは濡れた銀の髪を煩わしげにかき上げて、片手を額に当てたまま紅の目を見開いた。


 その瞳が、光を灯したように強く輝く。



「いた、いました! ボートより向こう、五メートルくらいのところに二人はいます!」



 どうやら、サーチの魔法を使ったらしい。


 これは便利! ごっちゃごちゃのカバンの中で迷子になったお菓子も探せる! なんて称えてる暇はない。



「どうしてそんなところに!?」


「まずは救助が先です! クラティラスさん、行きますぞ! 手は絶対に離さないでくださいね!?」



 言われるがまま、私はイリオスの背後から両肩に手を置き、彼と共にリゲル達がいるという場所へ泳いだ。


 そこには、イリオスが言った通り、リゲルとステファニが海底に沈んでいた。水中メガネがないせいで海水がしみてよく見えなかったけれど、二人共まるで死んだように動かない。



「二人はここよ! 早く、早く引き上げて! リゲルとステファニを助けて!」



 私の声に応じて、皆が集まってくる。

 教師が乗っていたボートで、二人は砂浜へと運ばれた。


 その間、私は何度も呼びかけたり叩いたりした。けれど、リゲルとステファニは一切反応を示さなかった。



「すぐに応急処置を!」



 砂浜に到着して、真っ先に指示を出したのはクロノだった。


 シートに寝かされた二人は、ぴくりとも動かない。まだ脈はあるものの、呼吸をしていないという。


 まさか、このまま死……。



「心得がある者は全員ここへ! 一刻を争うんだ、俺も参加する!」



 恐ろしい不安に目の前が真っ暗になりかけた私を、クロノの凛とした声音が引き戻す。クロノは別人のように真剣な表情をしていた。普段のチャラさはどこにもなく、威風堂々とした佇まいは第二王子のそれだ。


 彼の命を受け、五人の教師達と王国軍の連中が進み出た。



「私も心得はある。実践経験はないが、どのような不測の事態が起こっても対応できるようにと訓練した。だからどうか手伝わせてくれ」



 さらにお兄様もクロノの側に歩み寄り、そっと彼の肩に手を置く。


 お兄様は、クロノがリゲルに恋心を抱いていると知っている。彼が今、王子らしく振る舞っているのは彼女を迅速に救うため――そんなクロノの心中を慮り、気遣ったんだろう。さすおに、パーフェクトヒューマン!



「ボ、ボクも師匠から教わりましたとです! ボクはアステリアン柔術を習っておらっしゃるが、試合中に何度か心肺停止状態になったことがあって、その際に適切な処置で救われたどげす! それで自分も、いざという時は誰かを救えるようになりたいと考えて学びますたん! ですからボクにもお手伝いさせてくださいっ!」



 驚いたことに、デスリベ……ではなく、焦りからか半ば素に戻りかけたロイオンまでもが手を挙げた。

 デスリベがずっとやってる武術って、アステリアン柔術っていうのか。初めて知ったよ。てかアステリアン柔術なんて初めて聞いたよ。どんな格闘技なんだろうな?


 そんな無駄なことを考えられるだけの余裕が、私にはあった。というのも、クロノのおかげで我に返った時に『二人はここで死ぬはずがない』という確信を取り戻したからだ。


 二人の救命措置は、お兄様とデスリベを含め、教師と王国軍の者達とのローテーションで行われることとなった。



「ちょちょっと! あんた、リゲルちゃんにチューするの!? こんな人前で!?」



 が、ここに来て空気読めない子が一人いる。言わずと知れたレオだ。


 クロノは当然のようにレオを無視して、教師の心臓マッサージに合わせてリゲルに人工呼吸を開始した。



「いやぁぁあ! うわぁぁあ! おぉぉぉん!」



 クロノのくちびるがリゲルのそれと触れ合う度に、レオが奇声を発して身をくねらせる。緊迫感に満ちた空気の中、さながら『だるまさんがころんだ』みたいに稼働と静止を繰り返す彼の姿は大変シュールだった。


 ステファニの方はお兄様が人工呼吸を、デスリベが心臓マッサージを担当している。武道を嗜んでいるとは思えないほど線が細く、非力に見えたデスリベだけれど、たおやかな腕が繰り出すマッサージは隣でリゲルに同じ行為を施す教師よりも力強い。


 これもアステリアン柔術のおかげなのか? アステリアン柔術に興味湧いてきたぞ!



「ひゃぁぁん! もぉぉぉん! のぉぉぉん!」



 祈るような思いで、私はいまだ動かないリゲルとステファニを見つめていた。


 二人共、必ず助かる。助かるはずだ。助からなきゃおかしい。


 だってリゲルもステファニも、このゲームでは重要な人物だ。ここで死んでしまっては、ゲームのシナリオが大きく変わる。そんなこと、きっと『世界の力』が許さない。



「わぉぉぉん! ぎぇぇぇん! あひぃぃぃん!」



 だけど……不安がないわけじゃない。


 この事態は、ゲームにはなかった展開だ。遠泳は音ゲーでしかなくて、たとえビリだろうと溺れて死にかけるなんてことはなかった。

 臨海学習イベントはまだ一年ということもあって、クラティラスの嫌がらせもそれほどひどくはなかったし、海ではビーチボールをぶつけたり難癖をつけたりする程度だった。



「むぉぉぉん! ぐぇぇぇん! にゃぁぁぁん!」



 なのにこんなことになるなんて。


 まさか、シナリオに変化が起きてる……? 悪役令嬢の私が『世界の力』の望むように動かないから、ヒロインやメインキャラに影響が出た……?


 もしそんなことが起こったのだとすれば、二人は本当にここで……ううん、ありえない! だってリゲルは続編のラノベにも登場するらしいし、ステファニだって高等部三年生で大きな役割が……。



「おほぉぉお! ぶひゅぅぅん! がひょぉぉん!」



 …………あーもう、うっせえな! レオの奴め、いつまで喚いてやがるんだ!!



「さっきから、うるさいんだよ! いい加減にしろ、レオ・ラテュロス!!」



 図ったかのようなタイミングで、私の心を代弁してくれたのはデスリベ――ではなく、ブチギレて完全に素に戻ったロイオンだった。

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