腐令嬢、食らう
お兄様の一件はショックだったものの、落ち込んでいる暇はない。悩むことに時間を使うくらいなら、行動した方がよっぽど建設的だ。
とはいえ部活を終えて図書館に行くようになったのは、家にあまりいたくないからという理由が大きい。
やっぱり、お父様とお母様の顔を見ると辛くなる。『自分の娘じゃない』かもしれない私にも、二人は相変わらず優しく接してくれるから。普通レベルにやっと達した程度の私の成績結果にも、泣いて喜んでたくらいだもん。
なので本日も閉館時間まで粘りに粘り、ステファニに急かされてやっと図書館を出たのだが――出入口で待ち構えていた人物を認めるや、私は凍り付いて動けなくなった。
「こんばんは、クラティラスさん。遅くまで精が出ますね。お疲れ様です」
エントランスから漏れ出る光を全身で柔らかく跳ね返しながら、婉然と微笑むは――――イリオス・オルフィディ・アステリア第三王子殿下。
「え、イリオス……何で」
思わず後退ると、背後にいたステファニに軽くぶつかってしまった。そこですかさず、イリオスが命じる。
「ステファニ、クラティラスさんを車に乗せてください。今夜は二人で食事に出かけますので。もちろん、ご両親の承諾も得ております」
「畏まりました」
機械のように答え、ステファニはぐっと私の肩を掴んだ。
「いやいやいやいや、待って待って待って待って!」
ステファニのとんでもない馬鹿力に引きずられつつも、私は懸命に抵抗した。
二人で食事とか、聞いてないんですけど! というか、今まで一度もそんなことなかったじゃん!
「おやぁ? もしかして、嫌なんですかねぇぇぇ? この僕と、二人で出かけるのがぁぁぁ……」
最後の悪あがきとばかりに、車の扉にしがみついて抗う私に、イリオスがぐっと口角を上げてみせる。形良いくちびるは笑みの形をしていたけれど、紅の瞳には凄まじいほどの怒りが燃えていた。
ひいいいい! 怖い怖い怖い怖い!!
こいつってば、マジギレしていらっしゃるじゃなぁぁぁいーー!!
捩じ切れるくらいに首をブンブンと横に振り、私はついに諦めてドアから手を離した。それを見計らい、ステファニが私の体を後部座席に押し込む。
というか蹴ったよね? 情け容赦なくケツバット食らわせたよね!?
「ステファニ、今夜は久々にクラティラスさんと二人きりで過ごしたいので、あなたはこのまま帰宅してください。心配はいりません。明日の朝には、ちゃんと送り届けますから」
「明日の朝!? 何で!? 食事っつったじゃん! 二十四時間営業、時間無制限の食べ放題の店にでも行く気!? いくら私でも、朝までは食えないよ!? ちょっと大食いかなって程度だし、将来フードファイターになる予定もないからね!?」
喚きながら車から出ようとしたが、イリオスが蓋代わりに乗り込んでくる方が早かった。接触嫌悪症だというのに、私の鳩尾を狙った肘打ちのおまけ付きで。
声もなく蹲る私に、反対隣にいた護衛が手早くシートベルトを締める。あっという間に拘束完了だ。
「大丈夫、クラティラスさんもきっと気に入りますよ。行き先は、王立ホテルのスイートルームです。明日は土曜だから学校も休みですし、監視の目も邪魔者もなく、ゆっくりできますよねぇぇぇ……?」
隣から、イリオスの低い囁きが落ちる。声音だけでもハゲそうなくらい恐ろしくて、私にはとても見上げることなどできなかった。
「は、肉うま!? 何これ、すげえ! 口内天国イエーイ!!」
「ソーデスカー」
「お、魚もうま!? 何これ、やべえ! 口内楽園ヘーーイ!!」
「良かったデスネー」
「イリオス、それ要らないの? 食べないんなら、寄越せちょーだいください!」
「はいはい、ドーゾー」
「ねー、お代わりできる? 持ち帰りは? 容器借りられる? お前、いつもこんないいもん食ってんの? クソヤベェな、羨まけしからんな、また食わせろよな、それも婚約者としてのお前の使命なんだからな」
「ええ、ええ、ええ、ええ。あなた様の仰せの通りにイタシマスデスヨー」
ホテルの部屋に入るまでは逃げたくて帰りたくて仕方なかったけれど、王室御用達の料理を前にするや、私はたちまち上機嫌となった。
いやー、これなら朝までいけそう! 散々手を焼かせてごめんよ、イリオス。
最上級スイートルームにて、王子様と二人きりの食事。大変ロマンチックなシチュエーションであるが、我々は形ばかりの婚約者であって、友達以上の関係になることはない。彼はリゲルの攻略対象、そして私は彼に捨てられる存在なのだ。
だったらその前に、好き放題食べ放題させてもらわなきゃ損だ。計画がうまくいったら、来年の今頃はレヴァンタ家を出て単身プラニティ公国に乗り込んでる予定だ。そうなれば、もうこんな贅沢はできなくなるだろうからね。
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