腐令嬢、召喚す
「んもー、クラティラスさんったらうっかりしすぎですよぅ。間違って中等部の方に行っちゃうなんて」
「ごめーん、旧棟からいつも通ってたルートだったからつい、ね。そう言うリゲルだって止めなかったじゃないの」
「ご、ごめんなさい。実はあたしも、全く気付いてなかったんです……あたし達、こういううっかりなところもそっくりですねっ!」
えへへと頬を染めて、リゲルが恥ずかしそうに笑う。入学式でお兄様を襲って泣かせた沼から這い上がりし怨霊と同一人物とは思えない可愛さだ。
これが普通の女の子って設定なんだもん……この世界の普通の概念、どうなってんの。普通のレベル高すぎでしょ。
連結通路に到着した私は、予想通りそこにいた人物の背に声をかけた。
「ファルセ、何してるの?」
見上げるほど高い身長を駆使し、背伸びしたりジャンプしたりして高等部の校舎の様子を窺っていたファルセは、びくりと身を揺らがせてからゆっくりと振り向いた。
ホワイトに近いベビーブルーの短い髪とマリンブルーの瞳を持つ、爽やかスポーツ青年を絵に描いたようなタイプ――彼、ファルセ・ガルデニオもまた攻略対象の一人なのである。
「あの……俺、その」
しかし『校内で迷ったヒロインを教室まで送り届ける』という出会いイベントを起こすはずのファルセは、リゲルに視線も向けずにもじもじと俯いてしまった。その理由を私はよく存じている。
「アンドリアを探しているのね? 高等部の制服姿の彼女を一目見たくて……といったところかしら?」
「そっそっそっ、そうなんっすよぉぉぉーー!」
私の問いかけに、ファルセは目に涙を浮かべて縋り付いてきた。
「えー、そんなの気になります? 高等部の制服って、中等部ではリボンだったのがネクタイに変わるだけじゃないですかー」
ここでリゲルが野暮なツッコミを入れる。途端にファルセはキッとリゲルを睨んだ。
「気になりすぎて授業中も眠れませんし、夜寝ても夢も見られませんよ! 大いなる変化っすよ! リボンのアンドリアさんは愛らしくて可憐でいつもハートにボレーシュート決められてましたけど、ネクタイのアンドリアさんは知性が加わって、ドライブシュートのような魅力を放っているいるに違いありません!」
なるほど、わからん。真剣に語ってるつもりらしいけど、トキメキ具合をシュートに例えるサッカーバカだということしか伝わってこない。
てか授業中は眠れない方がいいと思うの。夜の就寝時に夢が見られないのは、良質な睡眠が摂れてるってことだと思うの。
「仕方ないわね、アンドリアをここに呼んであげるわ。ドライブシュートだかグラウンダーシュートだかチップシュートだか知らないけど、思う存分制服姿を見せてもらいなさい」
私は溜息を吐いて、高等部に向かってアンドリア専用の召喚呪文を唱えた。
「アンドリアー! こんなところにヴァリネフェが落ちているわよー!」
「わあ、ほんとですねー! これは可愛くて切なくてちょっとえっちで尊み溢れるヴァリネフェですねー!」
リゲルもついでに乗ってくれたおかげで、奴はすぐに現れた。
「ヴァ〜リッネフェッ! ヴァ〜リッネフェッ!」
軽やかな掛け声と共に、ブルーアッシュの縦ロールと腕を元気よく振りながら満面の笑みを湛えたアンドリアがぐんぐん近付いてくる。
校則で廊下は走っちゃいけないってことになってるから、高速スキップでトットコトットコやってきましたよ。肌の乾燥が気になりすぎて何とか保湿しようと食用油を塗って落ちなくなって、慌てて食器用洗剤で洗い落としたせいで逆に肌荒れを超絶促進させたアホのくせに、こういうところは頭が回るのね。
しかしさすがアンドリアだ。どんな時でもどんな場所でもカプ名を聞き付けて飛んでくるとは、やはり五年熟成ものの生粋ヴァリネフェ沼人は違うわね!
「ちょっとクラティラスさん、ヴァリネフェはどこ? 落ちていないじゃない! 騙したのね!?」
床に這いつくばってまで存在しないヴァリネフェ探し終えると、アンドリアはグレーの瞳を釣り上げて怒った。残念なことに彼女には、隣でほわぁぁ……と点描が飛びそうなほどうっとり見惚れているファルセが全く見えていないらしい。
ここまで鈍いと、もはや罪よね。
ゲームのリゲルも典型的な鈍感難聴ヒロインで、攻略対象がデレても『顔が赤いけど風邪引いたのかな?』『よく聞こえなかったけど独り言かな?』『それよりお腹が空いたんだけど、何か食べ物くれないかな?』の三択しかなかったりしてイライラさせられたけど、アンドリアなら互角以上に戦えるかもしれない。
だってアンドリアの選択肢は『ヴァリネフェ尊い』『ヴァリネフェしか認めない』『ヴァリネフェもっと寄越せ』のみだもんなぁ。
「おかしいですねー、さっきまで落ちていたんですよー。もしかしたらクラティラスさんが食べちゃったのかもしれません。いつか素敵なイラストにして、吐き出してくれるんじゃないかなぁ? 可愛くて切なくてちょっとえっちで尊み溢れるヴァリネフェをね!」
さらっと全責任を私に押し付け、リゲルが私の腕を引く。
「ええっ!? 私は食べてなんて……」
「いいからいいから。あたし達はもう行きましょ。……せっかくですし、二人きりにしてあげないとね?」
慌てふためく私にリゲルはそっと囁き、人差し指をくちびるに当てて微笑んだ。
そうだった……この子ってば鈍感難聴ヒロインのくせに、人の心の機微には敏感なのよね。
アンドリアとファルセを置いて、私達は教室に向かった。
場所は高等部三階の端、クラスは一年一組。ゲームと全く同じだ。
教室の造り自体は、中等部と大して変わりはない。白い床、白い壁、白い天井、そして黒板に教壇。室内の八割を占めるのは、等間隔に並んだ生徒達の机と椅子だ。前世の日本でも嫌というほど目にした、どこにでもあるありふれた教室の風景である。
しかし、そこに足を踏み入れた瞬間、私の背に緊張が走った。初めて遭遇するのに見知った顔があったからだ。
その人物は新たな出会いに湧くクラスメイト達からそっぽを向くように、頬杖をついて物憂げに窓の外を見ていた。
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