腐令嬢、悪魔を見る
皆がいる場所までは、ほんの数メートル。なのにその距離がやけに遠く、サンダルがひどく重く感じられる。
どうやらそれは私だけでなく、リゲルも同じだったようだ。いつもの明るい笑顔はなく、緊張で頬を固く強張らせている。くっついてきたレオがあれこれ話しかけても、相槌を返すのみ。夜風に煽られて、柔らかなボブヘアが頼りなくなびく様も心許ない雰囲気に拍車をかけた。
ゲームはタップするだけでお料理のお届けは完了だったけれど――攻略対象者がそれを口にして感想を告げるまでの間、ヒロインはこんな不安げな表情をしていたのかもしれない。
「お、リゲルちゃんじゃん! もう体は平気? お肉食べる? お野菜もあるよ!」
目敏くリゲルを見付けたクロノが、トングをくるくるさせながら声をかけてくる。前髪をピン留めしただけでなく、長めのウルフヘアを一つ縛りにしているのは、鍋奉行ならぬ鉄板王子をやりたかったからだろう。
この第二王子は誰かに焼いてもらって食べるより、自分で焼いたものを皆に振る舞うのがお好きらしい。
リゲルが立ち竦む。が、私は軽いヒップアタックを食らわせて先に進ませた。両手は料理が乗った皿で塞がれていたので。
「あ、あの、クロノ様、今日は本当にありがとうございました。おかげでこうしてビンビン……いえ、ピンピンしておりますです!」
リゲルは激しくテンパっているようである。そうよね、男の人に手料理を食べてもらうなんて初めてだもんね。
彼女がちゃんとクロノに料理を渡せるまで側についていようと考え、私もしばらく留まることにした。
「えー、改まってわざわざお礼なんて言わなくていいよぉ〜。リゲルちゃんさえ無事なら、俺はそれで」
「それじゃあたしの気が済まないんですよっ!」
ヘラヘラ笑うクロノの声を遮り、リゲルはずかずかと彼へと近付いた。そして、手に持っていた皿を突き出す。
「これ、食べやがれ……じゃなくて食べてください! いらないなら捨てて……あ、やっぱり捨てないで返却してください! 至らなかった点をお伝えいただければ自分でも味を分析して、反省点を踏まえて再度チャレンジしますんで! それでチャラにしてくれませんかねっ!? あとその髪型いいですね! とても萌えますので、精々誰かとカップリングさせていただきますよ!」
何故か逆ギレするリゲルに気圧され、クロノが碧い瞳を瞬かせる。私も絶句した。
この子……もしかしなくても不器用、なのでは?
本家のヒロインだったら『あなたのために作ったので、食べていただけると嬉しいです♡ それと今夜のヘアスタイル、とても素敵ですね! ドキドキしちゃいました』って無自覚で小悪魔な上目遣いと天使な微笑みで軽く落とすとこなのに。
だけどリゲルは、ゲームのような天真爛漫でイケメンに愛されるばかりのヒロインじゃなくなった。私のせいで……ううん、恋を知る前にBLを知ったおかげで。
「ええと、クロノ。リゲルはあなたに心からの感謝を伝えたいと考えて、このお料理を一生懸命作ったの。だからどうか彼女の気持ちを汲んで、食べてくれないかしら?」
私が補足説明すると、背後に隠れてギリギリと悔しげに歯を食い縛っていたレオも声を上げた。
「そうだそうだ! リゲルちゃんも、助けてくれたお前……っと、あなた様と同じくらい頑張ってたんだぞ! これ食って、おあいこにして水に流してしまえ!」
「えっ……これ、リゲルちゃんの手作りなの? クラティラスじゃなくて?」
クロノはどうやら、私作の料理だと勘違いしていたようだ。リゲルも一緒にいることには気付いていたみたいけど、アシスタント役か何かだと思っていたらしい。
何で私が、クロノなんかに手料理をプレゼントせにゃならないんだ。そんな理由がどこにあるっていうんだよ。少しは考えてみてほしい。
「そう……ですよね。クラティラスさんの手作りが良かった、ですよね。クラティラスさんなら、クロノ様達が普段召し上がっている高級なお料理の味をわかっていますから」
たちまち表情を曇らせたリゲルは、暗い声を放ってお皿を掲げた手を力なく下げた。
ほらー、誤解されちゃったじゃん!
クロノってばバカじゃないの!? チャラいくせに、お前も恋愛にはクソほど不器用だよな! そういうのはBLでの設定だけに……。
などと心の中で毒づいていた私だったが、危うく料理を落っことしそうになった。クロノがトングを置いてリゲルに近付き、彼女の両手を自分のそれでそっと包んだからだ。
「あ、あのね、クラティラスが良かったんじゃないよ? まさかリゲルちゃんが、俺に手料理を作ってくれるなんて思わなくて……嬉しくて夢見てるみたいで、信じられなくて、さ。でも夢でもいいや。夢じゃなきゃ、こ、こんなことできないし?」
手を握るだけでなく、クロノはリゲルを抱き寄せて頭を優しく撫でた。リゲルは両手で皿を持っているせいで、なすがままだ。どちらの顔もめちゃくちゃ赤い。どちらも激しく照れてるのは一目瞭然。
ヤダナニコレ、見てる私まで恥ずかしい!
「りりりっ、リゲルちゃんに馴れ馴れしく触るなあ! さっさと食えよお! 王子だからって! 夢だからって! 何してもいいってわけじゃねーんだぞおおおお!!」
レオの雄叫びで二人は我に返り、さっと離れた。
「そ、そうですね! 冷めちゃう前に早く……あっ、それより護衛さんに毒見を……」
「あっ、そそそそれはいいいいいよ! リゲルちゃんが毒を盛るなんて絶対にありえないし、リゲルちゃんの手料理が食べられるなら、たとえ死んでも悔いはないからっ!」
「うるせー! どさくさに紛れてリゲルちゃんにロマンチックなこと言ってんじゃねーよ! 今すぐに悔い改めろー!」
焦るリゲル、慌てるクロノ、暴れるレオの三つ巴を、私はほっこりした気持ちで眺めていた。
放置して先に行っても良かったんだけど三人の様子が面白かったし、何よりリゲルの料理が気になってたんだ。自分のことで手一杯で、やっと出来上がった頃にはリゲルの皿はクローシュ――高そうなレストランで料理に被せる釣鐘型の丸くて銀色をしたアレな、私も初めて名前を知ったよ――で覆われていたから、まだ完成形を見てないんだよね。
皆が見守る中、砂避けに乗せたクローシュがついにシェフ・リゲルの手で外された。
「わぁ……?」
クロノが微妙な声を漏らす。覗き込んだ私もどんな顔をしていいかわからず、半端な笑顔で固まった。
中身は、大きなクロダイと私があげたカニの盛り合わせだった。
しかし、ただ焼いただけではない。リゲルお得意の激辛調味料をふんだんに使い、それぞれが暗黒と真紅という厨二病が好みそうなおどろおどろしいカラーに染め上げられている。
極めつけは、全体に散らされた金色の粉。
もちろん、ゴージャス感を出そうとして施した金粉なんかじゃありません。あれはゴールデンホットペッパーっていう、山椒系の香辛料です。一口舐めただけで、とんでもない痛辛さにのたうち回ったわ。
見た目は、私と同等だ。でも見てるだけで香辛料に目がやられて涙出てくる分、リゲルの方が破壊力は高いと思う!
「クロノ様、もしかして辛いのは苦手ですか……?」
目を押さえて呻くクロノに、リゲルがそっと問う。
おおっと、ここでその表情はズルいぞー! そんな顔とそんな声で聞かれたら『はいそうです』なんて口が裂けても言えんやんけー!
「だ、大好きだよ! でも限界には挑戦したことないから、楽しみダナー……あっ、そうだ! レオくんも一緒に食べよ!?」
「うげっげふっがひょっ……えっ!?」
誰よりも至近距離で顔を寄せていたせいで、目だけでなく喉までやられて咳き込んでいたレオがクロノの言葉に振り向く。
「このお料理は、リゲルちゃんの感謝の心がこもってるんでしょ? レオくんもリゲルちゃんを助けた功労者なんだから、食べる権利があると思うんだ〜!」
「なるほど、確かに。クロノ様だけでなく、レオの萌え語りにも大きく救われましたからね。レオ、クロノ様と仲良く分けて食べてくれる?」
「あっ、えっ……いや俺は」
「あたしの作った料理、食べたくないの……? 味見の時、美味しいって言ってくれたのは、嘘……?」
戸惑い逃げ腰のレオにも、出ました! ヒロインの必殺技、悲しげうるうるアイズ攻撃!
レオの奴、味見の時は自分が食べるんじゃないからってクロノへの敵意も込みで適当な感想を言ったに違いない。それがまさか己に返ってくるとは思いもしなかったんだろう。
いやあ、ここまでくると小悪魔を通り越して悪魔ですわね!!
「わかったよ! 一緒に食べるよ! 言っとくけど俺、辛いの得意だからね!? あんたには負けないよ!」
「あんたじゃなくてクロノ様でしょ! それに大して得意でもないでしょ! んもー、本当にすみません……レオったら、おわかりいただけたようにとってもおバカなもので」
「リゲルちゃん、いいよいいよ。俺、気にしないから。レオくん、辛いの得意なんだぁ。じゃあ勝負しよ? たくさん食べた方が勝ちね!」
「っしゃー! 行くぞ、オラァァァ…………ぎぃぇぇああああ! かっらぁぁああああ!」
レオ、早くもクロノにいいように転がされますやん。あーあー、水と間違えたフリして激苦青汁を渡すとか、クロノってばなかなかSっ気あるのね。
恋敵認定して嫌がらせしたっていうのもあるかもだけど……案外この二人、いいコンビになりそうじゃない?
「…………クロノBLは地雷でしたが、レオさんとの絡みなら私もいけそうです」
ぽつりと、ずっと空気のように黙りこくっていたステファニが漏らす。
「…………クロノ殿下、ちゃんと召し上がってますね。リゲルさんのアレが王族の許容範囲内なら、クラティラス様のお料理もイリオス殿下に受け入れていただけるかもしれません」
ステファニと同じく、ずっと沈黙していたイシメリアも口を開き、ほっとしたように笑顔を浮かべた。
クロノとレオが奏でる阿鼻叫喚から逃げるように、私達はその場を後にした。
さあ、今度は私の番よ!
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