腐令嬢、腹揺する
「あの出来事は、起こるべくして起こったんです。クラティラス嬢は十四歳の誕生日パーティーの夜、ヴァリティタ様に呼び出されて真実を打ち明けられる。そして祝いの場に遅れて駆け付けたイリオスは、僕のように二人に干渉せず、影からその様子を窺う。ライトノベルでは、三人の立ち位置はそんな状況でした。けれどあなたは今年、誕生日パーティーを催さなかったし、ヴァリティタ様もゲームと違ってプラニティ公国にいる。なので大丈夫だろうと……気を抜いてしまったのが間違いでした」
計画倒れを思い知らされて抜けかかっていた魂を、私は慌てて呼び戻した。だって
あの夜の事件は、江宮が読んだラノベと大きく状況が異なっていたようだ。けれど、ラノベの通りに起こってしまった。きっと物語を進行する上で、とても重要なファクターなんだろう。
クラティラスは、知らねばならなかった。だから集まるはずのない三人が、吸い寄せられるようにして集められた。恐らく、世界の大いなる意志によって。
だとしたら、私の死はやっぱり――。
「そこでヴァリティタは、クラティラスに告げるんです――『お前は、私の妹ではない』」
イリオスの声が、江宮の記憶にある台詞を読み上げる。あの日のお兄様の姿が蘇り、思わず耳を覆いかけた。それでも、必死に堪える。
「『お前は、この家の――――唯一の跡継ぎだ』、と」
想像とは正反対の言葉に、私はぎゅっと閉じていた目を開けて飛び起きようとした。だが、ぱつんぱつんの腹に阻まれて叶わず転がる。
「唯一の、跡継ぎ? 私が? アットッツッギイイイイイイ!?」
ばるんばるんと腹を左右に揺らして、私は吠えた。
吠える以外に何ができる?
こっちは限界まで膨らませた風船みたいな腹のせいで動けないんだよ! いや、そうじゃなくて!!
「クラティラス・レヴァンタは、レヴァンタ家の血を引く唯一の子。トゥロヒア・レヴァンタ一爵閣下とダクティリ・レヴァンタ一爵夫人との間に生まれた、正真正銘の実子です」
「それじゃあ、お兄様は……」
私の言葉に、イリオスが小さく頷く。
「ヴァリティタ・レヴァンタは、二人の子ではありません。訳あって二人の元に引き取られた――あなたとは血の繋がらない兄なんです」
それを聞いた瞬間、私の脳裏に様々なお兄様が溢れた。
屈託なく笑うお兄様、お父様に叱られても泣きながら反抗するお兄様、ステファニに悪戯の仕返しをされて怒っているお兄様。私に甘えたお兄様、私を無視したお兄様、大人びた笑みを浮かべたお兄様。
――あの日の翌日、私はお兄様の部屋から花束が発見されたとの知らせを受けた。それが私に宛てたものだとわかったのは、メッセージカードが付いていたからだ。紅薔薇の大輪の花束にそっと添えられた小さなカードには、彼の筆跡で『誕生日おめでとう』というたった一言が記されていた。
そこでやっと私は理解した。お兄様があの夜、わざわざレヴァンタの家に戻ってきたのは、私の誕生日祝いを届けるためだったんだ、と。
お兄様は、私が感じたあの孤独にずっと一人で耐えていた。だから心が壊れてしまう前に、離れようとした。愛する家族を想って。自分と違い、欲しても手に入らぬ血の繋がりに恵まれた妹を、強く深く憎みながらも。
私の存在が、お兄様をずっと苦しめていた。それでもお兄様は、必死になって私のことを大切にしようとしてくれていたのだ。
頬に柔らかな感触を感じて、私はそちらを向いた。ふんわりとぼやけた銀の光の中に、ルビーのような赤い輝きが二つ。それが涙でぼやけたイリオスだと理解する同時に、私はやっと自分が泣いていることに気付いた。
涙が止まらなかった。お兄様が哀れで、悲しくて苦しくて。彼の辛さを知りもせず知ろうともせず、ずっと傷付けるばかりだった自分に憎らしくて腹が立って。
江宮は黙ったまま、ハンカチで涙を拭き続けてくれた。でも鼻水には触りたくなかったらしく、重ねたタオルをぐいぐい押し付けるという乱暴な手段で対応してくださった。
苦しいわ口まで塞ぐわで死ぬかと思ったし! こんな時くらい優しさ見せろ、クソオタイガーめ!
落ち着いてから、私は恐る恐るイリオスにお兄様の本当の家族について聞いてみた。
「それはあなたが自分で、ご両親に聞くべきです。お二人と一緒に、ヴァリティタ様を家族として受け入れたいと思っているのなら」
イリオスはそう答えると、誰もいないはずなのに人目を憚るかのように辺りを見回した。そしていまだ起き上がれない私の耳元に顔を寄せ、躊躇いがちに囁き声で尋ねてきた。
「あの……ヴァリティタ様は、アリ、ですかね?」
何のこっちゃわからず、私は首を傾げた。
「お兄様は、どう見たって蟻じゃなくて人でしょ? 髪色だけは何となく共通してなくもないけど、それ言ったら私も同じだし」
「そ、そうではなくてですな!」
イリオスが突然大声を張り上げる。このバカ、距離感ってもんを少しは考えろ!
「例の計画……好きになれる相手かどうかという点で、ヴァリティタ様を選ぶという可能性は、あります?」
しかし私が文句を言うより、イリオスが改めて質問を繰り出す方が早かった。キーンと響く耳鳴りのせいでイリオスの問いかけは妙に遠く聞こえたけれど、奴が何を言わんとしているかはちゃんと伝わった。
例の計画とは、『クラティラスに素敵な恋人を作って、第三王子との婚約を円満解消しよう』という策である。
そういえばそんなもんあったな的なレベルですっかり忘れていたが、発案したイリオスはまだ覚えていたらしい。
それにしたって何言ってるんだ、こいつ?
「は? ないよ、あるわけないじゃん」
少し楽になったのでゆっさゆっさと太鼓っ腹を揺らし、私は体ごとイリオスの方を向いた。
「お兄様にとっちゃ、私は敵みたいなもんなんだよ? あんなに嫌われてるのに追っかけるとか、ただのいじめじゃん。これ以上追い詰めるなんて、お兄様が可哀想すぎる」
「ええと……うーん、ではヴァリティタ様がクラティラスさんを嫌ってなかったら、アリということですか?」
イリオスからの再度の問いにも、私は首を横に振った。
「…………サヴラがさ、お兄様のことを本気で好きなんだよね」
「えっ、サヴラさんが!?」
イリオスにとってもこれは初耳だったようで、両手を斜めに上げてビックリしていた。
ヲタ芸が一時停止したみたいで、とてもキモい。ガワが最高のキャラデザを誇るイリオス様でも、このキモさは擁護できない。オタイガーパワーでイケメンもこの通り台無しだ。
「運動会の後にお見舞いに行った時に、泣きながら想いを訴えられたの。すごく必死で、痛々しいくらいで……あんな姿を見たら、無視なんてできないよ。好きになった後ならまだしも、何も芽生えてないんだから、敢えてお兄様を選ぶことなくない? サヴラとは決して仲良しってわけじゃないけど……私は彼女にも、幸せになってほしいと思ってるんだ」
サヴラにとって、お兄様は唯一の拠り所。そうと知りながら、奪うわけにはいかない。
お兄様への想いに身を震わせて泣いていたサヴラを思い出して軽く貰い泣きしつつ、私はイリオスに伝えた。ヴァリティタ・レヴァンタは血が繋がっていなくても、攻略対象にはできない、と。
「はあ、わかりました。
そう言って、何故かイリオスはがっくりと肩を落とした。が、それに構わず、私はここぞとばかりに提案した。
「それよりさー、聞いてよ! 私にもいい考えが浮かんだんだ。別に男に頼るばかりが解決策じゃないと思うんだよねー」
嬉々として語る私とは裏腹に、イリオスは聞いてるのか聞いていないのか、相槌すらまともに返さず、時々変な声を上げては飛び上がっていた。
消化活動を本格的に開始して、むにゅむにゅ動く腹が気になって気になって仕方なかったらしい。
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