友情フォーエバー

腐令嬢、電話す


 この世界では、電話というものがほとんど流通していない。電話機を置いているのは、公共の機関に加えて国における重要な仕事に携わる者の家、または珍品を見せびらかしたい道楽貴族のお宅くらいだ。


 そんなわけで所持している者の数自体が少ないせいで、設置はされていても鳴ることは滅多にない。使用されるのは、主に急を要する連絡時のみ。ちなみに我が家では、お父様がお仕事の関係で週に二、三回ほど使う。しかしこれでも他の電話機に比べて、頻度が高い方なんだとか。



 中等部修了式を終えて春休みに入った初日。


 今日くらいはゆっくりしてもいいとイシメリアに許可をもらい、私は昼まで寝る気でオフトゥンに抱かれていた。


 が、イシメリアの奴、そんな約束などコロコロッと忘れてくださったらしい。



「クラティラス様っ! 起きてください!!」



 普段以上にアグレッシブな咆哮に、私は跳ね起きた。おまけにどっすんどっすん足音を立てながら寝室に飛び込んでくるから、地震かと思ったじゃないの!



「ちょっとイシメリア、まだ朝の六時よ? 今日は寝かせてって……」


「クラティラス様、あなたにお電話が来ているのです!」



 時計を向けて不平を言いかけた私は、イシメリアの言葉に固まった。



「電話? 私に?」


「ええ! クラティラス・レヴァンタ様にお電話なのです!」



 それは一大事である。


 先にも説明したように電話というツール自体が珍しいこの世界、一爵令嬢とはいえ私のような小娘宛てに電話を寄越すなんて余程の緊急事態だ。


 まず想像したのは、王宮からの連絡。イリオスに何かあって、婚約者の私に報告を……と考えたけれど、だったら私より先にお父様に伝えるだろう。この時間ならお父様はまだ出勤前だし、わざわざ私に取り次ぐ必要はない。大事な用件があれば、それこそあの用心深い男は何人かを介さなければ繋げない電話なんてツールなんか使わないに決まってる。


 それに江宮えみやって、電話が嫌いだったもんね。暇すぎて何回か電話したことあったけど、毎回秒で切られたし。


 一体、電話をしてきた相手は誰なんだ? イシメリアもそこまでは聞いていないと言うし、私にも全く思い当たる節がない。


 電話機が置いてある部屋へ向かうと、連絡を受けたらしいアズィムが私に一礼して恭しく受話器を差し出してきた。誰からなのか聞こうかと思ったけれど、ここまで来たら自分で出てしまった方が早い。


 家でも学校でも何度か電話を使って連絡は入れてもらったことはあるが、使用できるのは限られた者のみで、私がこの世界で電話に触れるのは初めてである。少し緊張しながら、私は前世で実家にあったものとはまるで形状が異なる壁掛け式の黒い電話機の前に立ち、恐る恐る受話器を耳に当てた。



「あの、クラティラス・レヴァンタです。ええと……」


『ああ、クラティラス? あたくしよ、サヴラ・パスハリアよ』



 その声を聞くや、私の全身から力が抜けた。



「なぁんだぁ、んもー……サヴラだったのね。私宛の電話なんて初めてだったから、誰かと思ってドキドキしたわ」


『あら、あたくしが初めての電話相手なのがご不満? むしろ喜ぶところでしょう。あなたって本当に失礼ね』



 そんな軽口を叩いてきたサヴラだったが、急に声のトーンを落として静かに告げた。



『今日、これからプラニティ公国へ向かうの。あなたにはお世話になったから、挨拶くらいはしておかなくては、と思ってね』



 突然のお別れ宣告に、私は飛び上がった。



「えっ!? 何それ、今日!? 私、聞いてないよ!?」


『当たり前じゃない、言っていないもの』



 しかしサヴラは平然と答え、やけに穏やかな声で続けた。



『エイダとビーデスにも、伝えていないわ。彼女達には後で手紙を送るつもり。だってお見送りなんかされたら、お別れが辛くなるもの。あたくし、あなたに言われたようにすごく臆病者ですからね』



 くすくすという笑い声が耳をくすぐる。何か言わねばと私が口を開いた気配を感じたのか、サヴラは優しい声音で私の言葉をそっと塞いだ。



『クラティラス、あなたと出会えて本当に良かった。あなたという友の存在は、私にとってかけがえのない宝よ。あなたがあたくしを忘れても、あたくしはあなたを思っているわ。本当に、本当にありがとう…………離れてもずっと友達よ、クラティラス』



 そこで、電話は切られた。


 何も聞こえなくなった受話器を握り締めたまま、私は呆然と立ち尽くした。



 待ってよ、こんなのアリ?

 私だって言いたいことがたくさんあるのに。


 エイダとビーデスにも何も言わず、一人で勝手に行っちゃうなんて。サヴラはこれでいいのかもしれないけれど……ううん、彼女だって本当は。



 思うが早いか、私は側にいたアズィムに命じた。



「すぐに車を出して! 東部国境税関所に行くわ! マキマス二爵邸とトリム二爵邸、それともう一台、急いで迎えをやって!」

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