腐令嬢、見送る


 アステリア王国東部国境税関所はプラニティ公国が接する東側、我々の暮らす第一居住区と商都との間ほどに建っている。この場所が選ばれたのは、昔から庶民に比べて貴族の方が向こうへ渡る機会が多かったためらしい。


 お父様のお見送りで私も何度か訪れたことがあるけれども、古びた煉瓦造りの大きな建物から荘厳な印象を受けたのに中はお土産物屋さんで賑わっていて、初めて来た時はそのギャップに驚いたものだ。前世の日本で例えるなら、地方の主要駅って感じ。



「クラティラス様!」



 車を降りて建物に入ると、エイダとビーデスが私の元に駆け寄ってきた。彼女達の方にはスピード狂の運転手を寄越したので、先に到着していたようだ。



「エイダ、ビーデス! 良かった、来てくれたのね」


「ええ、おかげさまで無事来られました」

「途中、何度か死を覚悟しましわ……」



 ビーデスの方はややグロッキー状態ではあったけれど、事故もなく生きているのなら問題はない。


 しかし残るもう一人を待っている間に、目的の人と遭遇してしまった。



「クラティラス……それにエイダとビーデスも」



 これからお世話になるというフォマロ様とお姉様への挨拶用にお土産を購入していたのだろう、大量の紙袋を持たせた二人の侍女を伴い、サヴラは私達を見付けて翡翠の瞳を大きく見開いた。


 メイクや髪型に変わりはないが、随分とシンプルなワンピースを着用している。


 そう、向こうではパスハリアの名など通用しない。国境を超えれば、彼女は一般庶民と同じ扱いになる。身元引受人としてフォマロ様がついてくださっているけれども、こちらの国では王爵なる特別な身分を持つ者として崇められる彼も、向こうでは金持ちセレブなオッサンでしかないのだ。



「サヴラ様……」

「サヴラ様ぁぁぁ!」



 エイダは寄り添うように、ビーデスは飛び付くようにしてサヴラへと突撃した。



「何故仰ってくださらなかったの……私達のことがお嫌いになったのですか? いいえ、お嫌いになっても構いません。私はずっと変わらずサヴラ様のことを思っております!」



 縋り付くエイダの髪を撫で、サヴラは悲しげに微笑んだ。



「エイダ、あなた達を嫌いになったのではありませんわ。あたくしに、お別れを言う勇気がなかっただけ。あなた達の顔を見たら、離れたくなくなってしまうもの……」


「お別れなんて仰らないでください! 私達はお別れなんて言いません! これからも頑張ってください、応援してますと……それすら言わせてくれないなんてあんまりです!」



 ビーデスの叫びに近い言葉に、サヴラの笑みはついに震えて崩れ、泣き顔へと変貌した。



「ごめんなさい、ビーデス。そう、そうよね……お別れではないのだわ。あたくしも、ずっとあなた達のことを思っています。ずっとずっと、友達でいてね。大好きよ……エイダ、ビーデス」



 抱き合う三人の姿を見て、私も熱く激しくもらい泣きした。


 だって我慢できるわけないじゃん……荷物持ちのサヴラの侍女達までうるうるしてるんだもん。こんなの、涙腺崩壊不可避だよ!



「…………サヴラさんっ!」



 愛の涙劇場と化した場に、鋭い声が稲妻のように割り入ってくる。転びそうになりながら必死で走ってくる彼こそが、私がここに呼んだ最後の一人だ。



「……ロイオン? あなた、どうして」

「サヴラさん、これを!」



 駆け込み様、デスリベ――の仮面など装備していない正真正銘、素のロイオンは、面食らうサヴラに向けて、綺麗にラッピングした包みを突き出した。どうやらこれを用意していたせいで、遅くなってしまったらしい。



「ボクがあなたのために作ったコスメです。いつか渡したいと、ずっと思っていました。どうか持って行ってください!」



 サヴラは恐る恐る包みを受け取り、ロイオンに確認して中身を改めた。すると彼女の口元が柔らかな笑みを描いた。



「この口紅は、あなたが似合うと言ってくれた色味ね。あたくしもあの色が気に入って、似た既製品を探していたの。でも、しっくりくるものにはずっと出会えなくて……ああ、それにこれ。あなたがお肌に良いとオススメしてくれた、お花の入浴剤ね。すごいわ、全部あたくしのために作ってくれたの? ありがとう、ロイオン」


「覚えてて、くれたんですか……?」



 くちびるを震わせながら、ロイオンが問う。サヴラは笑顔で頷いた。



「ええ、もちろんよ。あなたには本当にひどいことを言ってしまったわ。今だから打ち明けるけれど……あの時ね、本当は嬉しかったの」



 ほんのり桜色に頬を染める彼女を、ロイオンは呆けたように見つめていた。何なら、私も同じ顔してたと思う。


 だって今のサヴラ、もんのすんごい乙女の表情してるんだもん! これが見惚れずにいられるか!



「なのにあたくしには自信がなくて、あなたのような素敵な人に想ってもらえるなんて信じられなくて……いいえ、信じることが怖くて突き放してしまったのよ。本当にごめんなさい。でも、あなたほどの人ならあたくしなんかより」


「ボクの気持ちは! 今も変わっていません!!」



 サヴラがみなまで言い終えるより先に、ロイオンははっきりと断言した。



「ボクにとって、サヴラさん以上の人なんていません! ボクもまだ自分に自信が持てなくて、頑張っている最中です。でもあなたを守れる強い男になれたら、いつか必ず迎えに行きます! それがボクの夢です!」



 これが二度目の告白だと知っているのは、私と当事者である二人だけだ。なので免疫のないエイダとビーデスは『告白シーンを間近で見る』という圧倒的な衝撃にやられ、へなへなと床に崩れ落ちた。


 私も二度目だろうと、腰砕けそうだよ……ガチ告白って、本当に攻撃力高いな!


 サヴラも暫し時を忘れたように固まっていた――――けれども。



「ええ…………楽しみに待っているわ。夢を叶えるために、お互い頑張りましょう!」



 そう言って微笑み、ロイオンの言葉を受け止めてくれた。


 が、これを聞くや、エイダとビーデスは憤然とロイオンに掴み掛かった。



「ちょっとあんた、勝手に私達のサヴラ様に告ってるんじゃないわよ!」


「サヴラ様がお優しいからって、調子に乗らないでよね! 私達の方がサヴラ様を慕ってるんだから!」


「な、何どすか!? そんなに悔しいなら、おどれらも告白すればよかろうがよ!」



 ギャンギャン言い合いながらしょうもない戦を繰り広げ始めた三人に、私はがっくり肩を落とした。


 あーあ、せっかくのサヴラの門出だってのに、何やってんだ……。ロイオンも、すっかりデスリベに戻っちゃったじゃん。


 その間に侍女達に促され、サヴラは大きく頷いてから我々に告げた。



「さあ、そろそろ行かなくては。それでは皆様、ごきげんよう!」



 そして、堂々とした足取りで税関検査が行われるゲートに向かった――かと思いきや。



「ああ、一つ忘れ物をしたわ」



 呟くように言ってこちらへ近付いてきたサヴラは、最後に私を抱き締めた。



「クラティラス……本音を言うと、あなたと一緒に行きたかった。意地を張ったせいで無駄にした分も、あなたと仲良くしたかった。予定は狂ってしまったようだけれど……でもきっと、あなたなら夢を叶えられる。あたくしが応援しているのだもの、絶対よ」



 サヴラの温かな体温が、伝わる。名残惜しげにゆっくり体を離すと、彼女は私の頬にキスをした。



「愛しているわ、クラティラス。手紙を書くわね。暇ができたら、あなたも遊びに来てくれると嬉しいわ」


「ええ、サヴラ。私も愛しているわ。必ず遊びに行くから、その時はあなたに案内をお願いするわね」



 私も笑顔で応じ、それから我々は申し合わせたように同時に声を放った。



「じゃあ、また!」



 今度こそ、サヴラは振り向くことなく行ってしまった。


 その後ろ姿が見えなくなるまで、我々は大切な友の旅立ちを、夢への一歩をずっと見守り続けた。



 と、これで終われば良かったのに。



「クラティラス様だけズルいです! 何なんですか、一人だけサヴラ様にキスされるなんて。羨ま恨めしいんですけれど!」


「どうか私にもほっぺにキスさせてください! いえ、頬ずりでも構いません! 間接的にサヴラ様を感じられるかもしれませんので!」


「クラティラスさん、すごいでがす! サヴラさんに愛してると言われるとは……やはりボクが憧れた強さを持つだけあるぎょな! クラティラスさんを目指して正解やったぞいやー!!」



 エイダに罵られ、ビーデスに迫られ、デスリベに崇められ――――先程までの感動はどこへやら、私は腹が立つやら鬱陶しいやらでまた泣きたくなった。


 こいつら、誰のおかげでサヴラの見送りができたと思ってるの!? 忘れてるようだから、帰りも運転手達に命じて、ここに来た時以上のスリルドライブを味あわせてやる! この私に恩を仇で返せばどうなるか、身を持って知るがいい!

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