腐令嬢、匍匐前進す


「……ご自分でかけた麻痺のお味はいかがでしたか? 随分と苦しんでいらっしゃったようですけれど、それでも私の見張りをしっかりこなすとはご苦労なことですわね。せっかくですからこのまま付いてきて、私とイリオスが愛し合っているところをご覧になります?」



 腕を振りほどいて彼女の触れた箇所を払いながら、私は悪役令嬢らしく嘲りに満ちた笑みを浮かべてみせた。カミノス様がなるべく嫌がる言葉を吐いたつもりだ。


 本当は、殴りたくて殴りたくて仕方なかった。

 でも、そんなことをしたって意味はない。こいつは目を覚まして反省するどころか、私を悪者にする材料ができたと喜ぶだけだ。今の私には懸命に苛立ちと腹立たしさを堪え、捻り出した嫌味で殴るだけで精一杯だった。



「あなたはイリオスに、愛されてなどいないわ……!」



 私の嫌味はそこそこ効果があったようで、カミノス様は悔しそうに震えつつ、必死に絞り出したような弱々しい声で言い返してきた。



「あなたがそう思いたいのであれば、それでいいのではなくて?」


「イリオスが愛しているのは、わたくしなのよ……彼はそれに気付いていないのよ……!」



 うわ、ダメだこいつ。メンヘラストーカー脳フルスロットルやんけ。



「あ、あらそうなのー。気付いてないなら仕方ないわねー。それじゃっ!」



 まともに相手をしてはいけないと悟り、私は慌てて逃げようとした。



「待ちなさいよ。あなた、イリオスから何も聞いていないのでしょう? そうでしょうね、言えるわけがないわよね」



 が、カミノス様の挑発的な言葉に足を止める。



「代わりに、わたくしが教えて差し上げますわ」



 我慢できず、私は振り向いた。



「いいわ、聞かせていただこうじゃないの。カミノス様がイリオスに愛されているという、その自信の根拠を」



 私の蒼い瞳とカミノス様の赤い瞳が互いを捉え合い、見えない火花を散らす。


 さあ、どんなメンをヘラって捻じ曲げたエピソードを語ってくれるのかしら?


 腕を組んで不敵に笑う私に、カミノス様はまず思いもかけない人の名を口にした。



「セリニ様の事故については、当然ご存知ですわよね?」


「え? ええ……そりゃまあ、私もアステリア国民ですから」



 拍子抜けしつつも、私は素直に頷いた。


 イリオスと同乗していた車の中で、衝突事故に巻き込まれて亡くなったアステリア王国第一王女。まだ三歳だったセリニ様は、イリオスに密かに恋心を寄せていた……と前に聞いた。



「イリオスは無事だったけれど、救出された直後に気を失ってから一月あまり意識が戻らなかった。その間、彼は意識のないまま、ずっと叫んでいたの。いいえ、呼んでいたのよ……このわたくしを」



 ――カミノス、カミノス、カミノス。



 悪夢にうなされるように、熱に浮かされるように、イリオスはずっとカミノス様の名前ばかりを繰り返していたらしい。


 イリオスもセリニ様と同じく三歳。そんな幼い子どもなら、両親を呼び求めるのが普通だろう。恐ろしい事故のフラッシュバックから、セリニ様の名を呼ぶのもわかる。


 しかし彼は意識を失っている一月の間、ヴォリダ帝国第一皇女カミノス様の名前しか口にしなかった。まるでその言葉しか知らないかのように。


 ちなみにイリオスとセリニ様は事故の前日までヴォリダ帝国に滞在していて、カミノス様とも会ってお話したり遊んだりして楽しく時間を過ごし、帰国したばかりだったという。



「疑うのならイリオスに……いいえ、彼は嘘をつくかもしれないから、お義兄様かクロノ様、もしくは長く宮中に勤めている者にでも尋ねてみるといいわ」



 今度は、カミノス様が挑発的に笑う番だった。


 捏造か思い込みだろうと、言い返そうにも声が出ない。呆然としながら、彼女の高笑いを聞くしかできなかった。



 イリオスがカミノス様を呼び続けたというのが真実だとしたら――『イリオスは本当にカミノス様のことが好きだった』んじゃないの?


 今のイリオスじゃない、『ゲームのイリオス』だ。


 これって、『ゲームのクラティラス』がネフェロに初恋をしたのと同じなんじゃ?


 私と江宮えみやはゲームのイリオスとクラティラス、それぞれとどこか違ってる。これは前世の記憶を思い出したから? それともやっぱり、考えたくないけれども……。



 思案に耽る私を、イリオスの真の想い人を知ってショックを受けてると勘違いしてくれたようで、カミノス様はさっさと立ち去っていった。


 こいつぁ都合が良い、このままイリオスの部屋に問い質し突撃だいレッツゴー! ……と思ったけれど、奴の部屋が何階のどこにあるか聞き忘れていて、忍び込むのは断念せざるを得なかった。事前調査、超大事。


 イリオス達が寝泊まりしている建物からトボトボと戻ろうとしたところで、夜の浜辺に人影があることに気が付いた。


 いっけない、ヒロインが逢瀬するかもしれないからって部屋を出てきたのに、一番の目的を忘れちゃってたよ!


 ダッシュでビーチへと駆け、砂浜を高速匍匐前進で進んで近寄ってみると――それはリゲルではなく、思いもかけないコンビだった。



「……つまりイリオス殿下の舌を熱狂させるには、かなりの個性とインパクトが必要なのです。ありきたりな美味しいものでは、殿下は靡きません」


「私の敗因は小さくまとまりすぎていたことだったか。これからはクラティラスのお菓子作りに付き合い、テクニックを学ぶとしよう」


「それで、そちらの情報は? クラティラス様のことですから、毎日何かしら面白エピソードがあるでしょう?」


「この前、クラティラスが珍しく夕食を残したのだ。それでネフェロに教わった通り、夜にケークサレを準備して待機していたら、ちょうど焼き上がったタイミングで現れた。あいつ、どうやら好物を嗅ぎ付ける能力があるようだぞ」


「そ、それは初耳です。クラティラス様の好物は、他に何がありますか? 共に暮らしている時は何でも飲み込むダストシュートみたいなものだと思っていたので、注視して好みを確認しておりませんでした。今も悔やまれます……」



 静かに寄せては返す波打ち際で、ダブルゴールデンボールズのように仲良く並んで座っていたのは、ヴァリティタ✕ステファニという想像の斜め上をぶっちぎった二人組。

 どうやら揃ってクラティラス&イリオス推しであると同時に、片や私の兄、片やイリオスの側近という立場であるため、こうしてこっそりと情報交換をしているらしい。


 人がいないと思って好き放題言いよって! 好物を嗅ぎ付ける能力なんざねーわ……それにダストシュートとは何だ、失礼な!


 しかし二人の秘密のひとときに、口を挟むのは野暮というものだ。そんなわけで私は見なかったことにし、匍匐後退して砂浜を後にした。



 翌日はイシメリアの怒声で叩き起こされた。砂塗れになったドレスのせいだ。

 出来るだけしっかり払ってきたんだけど、匍匐前進後進まですると砂がどこまでも入り込んでなかなか落ちないもんだよね。


 そしてリゲルはやっぱり疲れ果てて爆睡してたらしく、『夜の海で攻略対象とロマンチックムードに浸る』というイベントは起こらなかった。

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