腐女子、転生す


「……クラティラス様!」



 切羽詰まったその声に、私ははっとして顔を上げた。



「クラティラス様、どうかお願いです。そんなに泣かないでください」



 目の前で、金髪の美青年が蒼白しながら必死に訴えている。凛と知的な美貌に、焦燥と苦悩を滲ませた表情がやたら色っぽい。


 不幸が似合う顔ってやつな。不憫萌えー!



「ああ、私が至らなかったばかりに。ヴァリティタ様にお怪我をさせるだけでなく、クラティラス様のお心まで傷付けてしまった……どうお詫びをしたら良いか」


「いや、私が勝手に木登りして、落ちてしまったのが悪いんだ。すまなかった、クラティラス。驚いただろう? 大好きなお兄様がいなくなってしまうかと思ったんだろう? この通り、私は無事だよ。ほらネフェロ、お前も自分を責めるのはやめるんだ。クラティラスがますます泣いてしまう」



 膝から崩れ落ちた金髪のイケメンの背を撫でて優しく宥めるのは、黒髪のワンダホービューティホーなショタっ子。涙によるブラーエフェクトで、彼らの輪郭はふんわりとぼやけ、まるで内側から発光しているかのように神々しい。


 おうおうおう、これぞまさに仰げば尊しじゃねーか!


 語彙力霧散、素晴らしきかな腐人生!



 いいぞ、もっとやれ! と叫びたいのは山々だけど、このままではネフェロが責任を負うと言って自害しかねない。


 可愛い面して実はとってもやんちゃという二面性が乙女心をくすぐるイケない魔ショタなマイブラザー、ヴァリティタ様の世話係となってからというもの、この一月でネフェロは日に日に憔悴し、目に見えて覇気がなくなってきている。常に気苦労が絶えないため、近頃は食事もあまり進まないとも聞いた。


 死なないまでも、もう辞めると言われちゃ困る。何たってネフェロは、私にとっても癒しのイケメンですからな!



「お、お兄様の仰る通りよ。びっくりしてしまっただけ。ごめんなさい、もう大丈夫よ、ネフェロ」



 ラッパみたいに広がったフリルの袖でゴシゴシ顔を拭くと、私はネフェロに笑ってみせた。



「いけません、クラティラス様! 服の袖で顔を拭うなんて、はしたない! ハンカチをお持ちでしょうがっ!」



 なのにネフェロは落ち着くどころか、白い顔を真っ赤にして怒った。おっと、いけね。そういやこいつ、私の世話係も兼任してるんだっけ。



「ご、ごめんなさい……」


「ネフェロ、そんなにクラティラスを叱らないでやってくれ。全て私が悪いんだ。木登りに慣れているからといって、油断していた。まさか足をかけていた枝が折れるとは思わなくて」



 いつものように、お兄様が私を庇って進み出る。十二歳にして既にイケメンの原型がバッチリ整った顔をしているけど、今のところ女の影はまるでなし。何故なら、このように妹ちゃんがナンバーワンなシスコンだからである。



 自分のせいだ、いや悪いのはこちらだなどと不毛なやり取りを繰り返す二人を眺めながら、私は先程の光景を思い返していた。



 今日は学校が休み。おまけに天気も素晴らしくよろしいので、お庭でお兄様にお勉強をお教えいただいていた。


 しかしあまり気乗りしない様子の私に、お兄様は美味しい木の実を取ってきてやろうと言って、だだっ広い庭にある木に登り始めた。すると、リアクション芸人ばりに見事スコーンと落ちてもうたのだ。


 慌ててネフェロが駆け寄り抱き起こしたところ、お兄様が指を怪我していることに気付いたらしい。


 止血しようと衝動的に細く小さな人差し指を口に含んだのを見た瞬間、思い出したのだ――――『大神おおかみ那央なお』として太く短く生きた前世を。



 イエス!


 ワンダフルヒャッハーなBL展開をリアルで目の当たりにして、記憶が覚醒したのであーーる!!



 やっべー、今すぐにでもこの萌えを描き殴りてえ!


 ネフェロの方が三歳年上だけど、ここはヴァリ✕ネフェで決まりだな。ショタ攻め最高! 年の差カッポー万歳!!



「し、失礼。私、顔を洗ってきますわ!」



 わのイントネーションが上向きじゃなくて下向きになってしまったけれど、二人には気付かれなかったようだ。


 弱ったな、前世思い出したせいで口調にも影響出てきそう。これまでみたいにお嬢様言葉で話せるだろうか……気を抜いて変なこと喋らないように注意せねば。


 普段着とはいえドレスみたいに華やかなワンピースに足元を邪魔されながらも、小さな足でとてとてと高校のグラウンドほどもある庭を駆け抜け、テラスからアホほどデカイ豪邸に飛び込むと、私は洗面所に向かった。



 デパートみたいにシャレオツで広々とした便所の鏡に映るのは、まだ幼い女の子。


 年齢は十歳。一月ほど前の春に、初等部五年生に進級したばかりだ。


 兄と同じ、母譲りの青みがかった黒髪を長く伸ばし、瞳の色もこれまた兄とお揃いで父譲りのアイスブルー。


 まあ可愛いというか美人の部類には入るだろう。しかし艷やかなストレートロングの黒髪に縁取られた顔貌は、子どもながらにどことなく冷たくて不遜な印象を受ける。性格悪そうな面ってやつだ。




 そりゃそうだよ……何たって私の世界でのポジションは『悪役令嬢』なんだもん。




 そう、記憶が蘇ると同時に、私は現状を理解したのだ――――ここは、クソ・オブ・クソクソクソ乙女ゲー『アステリア学園物語〜星花せいかの恋魔法譚〜』の世界。


 大神那央は、悪役令嬢クラティラス・レヴァンタとして乙女ゲーの世界に転生したのだと。



 しかしそれが真実であるなら、クラティラス・レヴァンタは必ず死ぬ。


 ゲームの舞台となる高等部の卒業式から一ヶ月後、華々しく開催されるヒロインの結婚式の日に。


 奇しくも大神那央が死んだ日と同じ、四月末日に。



 どう足掻いても、その運命からは逃れられない。



 残された時間は、もう十年を切っている。



 早くも人生の折り返し地点を過ぎたところから、私の余命カウントダウンが始まった。

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