腐令嬢、引きずり出される


「全く、どこに行ったんでしょうねぇ? でも約束しているなら、その内に来るでしょう」


「きっと話しにくくて、一生懸命どう言おうか悩んでるんですよ。クラティラスさんは、約束を破る人じゃありませんから」


「ああ、あの人は昔からそういうところがありました。バカなんだから悩むだけ無駄なのに、無理して考えようとするんですよね。自分がバカだと知らないんでしょうなー」



 リゲルが戻ってきてくれた、と喜んだのはほんの一瞬だった。彼女以外にもう一人、他の者の気配を悟ると私は一転してしおしおと萎えた。


 この声と口調は、間違いなくイリオスだ。


 おーおー、本人がいないと思って好き放題ディスり倒してやがるなー。自分がバカってことくらい余裕で知っとるわ、ボケ! 前世で十九年、こっちでも十四年近くバカで生きてんだぞ? 三十年物の熟成バカをなめんな!



 ……と文句を言いたかったが、リゲルに静かにしてろと命令されている。仕方なく私は体育座りの状態で、膝頭に頭を埋めて腹立たしさを噛み殺した。



「ところでイリオス様、いいえ、エミヤ様。オーカミさんについて、いろいろとお聞かせくださってありがとうございます」



 リゲルの言葉に、私は思わず声を上げそうになった――が、口を塞ぐために顔を膝と一体化するほど押し付け、辛うじて堪えた。



 やっぱりバレてたか……だよなぁ、あんなデカい声で叫んだんだもんなぁ。


 バカバカ、江宮えみやのバカ! お前のせいだぞ!?

 人前で前世の名前は呼ばないようにしようって、自分で言ったくせに! ていうか、何話したんだ? ないことないこと話してたら、ただじゃおかないからな!!



「そんな大した話はしてないと思うんですけど……僕も、それほど大神おおかみさんのことを知ってるわけじゃないんで」



 けれど次に放った江宮の一言で、私はほっと胸を撫で下ろした。


 うんうん、高校三年間だけの付き合いだったもんね。ゲーム対決のために家に泊まるのも週二回程度だったし、一緒に出かけるのも私がサークル参加しなかった同人誌即売会くらいだったし、行っても会場じゃほぼ別行動だったし。


 その程度の仲じゃ、別に特別話すことなんて――。



「とんでもないです。牛みたいに大量のヨダレ垂らして寝るとか、同級生の男子にBL絵の手伝いをさせて無自覚に恋心を打ち砕いたとか、BL妄想に没頭するあまり学校で鼻血を吹いて倒れて、気を失ってるのに延々と一人二役で譫言を語り続けたせいで保険医さんを恐怖で泣かせたとか、オーカミさん本人から聞けなかったお話が盛り沢山でしたよっ!」



 …………江宮ぁぁぁぁ!

 貴様、何つう話をしてくれとるんじゃ! マジでシバく!!



 恥ずべき過去話をぶち撒けられた怒りに震える私を置き去りに、リゲルは笑い混じりに続けた。



「エミヤ様とオーカミさんは、本当に仲良しだったんですね。一番のご友人だったんでしょう?」

「いや、友人じゃないです」



 間髪入れず、江宮が否定する。



「大神さんは僕のことを死ぬほど嫌ってましたから。初めて口を聞いてお互いに相容れないとわかって以来、それはもう己の性癖の正義を賭けて、戦いの日々で……」

「エミヤ様は?」



 するとリゲルが、江宮の言葉を遮った。



「オーカミさんは嫌っていたとおっしゃいましたけれど、エミヤ様はどうなのですか? あたしには何となく、エミヤ様はオーカミさんを嫌ってはいなかったように感じます」



 そんなわけないだろう、と即座に返す――と確信していたのに、江宮はふつりと無言になった。


 そこから、暫しの静寂。


 ちょっと、江宮……? 何で否定しないの?

 いやいや……お前、私のこと、アホだバカだ気持ち悪いと散々罵ってたじゃん。というか、現在進行形でゴミ扱いしてるじゃん。何で黙るの?


 やめてよぅ……ちょマジでアカンって! 何なのこれ、めっちゃ変な空気になってるし!?


 気まずさに満ちた無音をかき消そうと、私は心の中で必死に叫んだ。


 その甲斐あって、江宮はようやく声を発してくれた。



「……どうなんでしょうねぇ、自分でもよくわからないんです。でもまあ、出会い方さえ違えば……友人に、なれたのかもしれませんね」



 目と口をかっ開いたまま、私は固まった。同時に、体内から熱が噴出する。


 ちょっと待って……本当に何これ、やだこれ、無理これ!



「だったら、今からでも遅くないんじゃありません? 出会い方は大きく変わったわけですし?」



 やけに愉しそうなリゲルの声が近付いたかと思ったら、目の前にあった黒い布が消えた。



「……は!? 大神さん!?」



 座っていた椅子から、イリオスが転がり落ちる。



「や、やあ、江宮。ごきげんヨーヨー……あの、キャンディー食べる?」



 とんちんかんな挨拶をして、私はポケットにまだ残っていたキャンディーを一つ差し出すという、これまたとんちんかんな行動に出た。



「あたしが呼んで、ここに潜んでいてもらったんです。ほら、クラティラスさん、アホなことしてないで出てきてください」



 リゲルが私の腕を引いてピアノの下から引きずり出すと、腰を抜かしているイリオスの前に押し出した。



「クラティラスさん……いえ、オーカミさんも、エミヤ様とお友達になりたかったそうなんです。それが心残りだったって」


「ぎゃー! 何で言っちゃうの!? ち、違うし!? あれはその、そう! ただの気の迷いだし!?」



 背後から肩を抱くリゲルを振り向き、私は慌てて言い訳した。しかしリゲルは至近距離から私を睨み、これまでとは打って変わって強い口調で告げた。



「言っときますけどあたし、すごく怒ってるんですからね? あたしが会いたがっているのを知りながら、エミヤ様のことを秘密にするなんて。相手がイリオス様だから、迷惑をかけたくなくて言えずにいたというお気持ちはわかります。けど、あたしってそんなに信用ないですか? 知ったからといって誰にも言わないし、親友としてクラティラスさんの手助けになるなら何でもしようと思っていたのに」


「…………ごめん」



 私に返すことができたのは、その一言だけだった。

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