腐令嬢、屍越える


 エクサ達を見送ると、私はまたダンスに戻った。一気食いしたパンでパワーを充填したことだし、再び十人斬りに挑むぜ! ……とやる気満々だったのだが、踊りのお誘いは大幅に減少した。貴族達はやはり、あまり体力がないらしい。


 代わりに、私に挨拶したいと言ってたくさんの人が押し寄せてきた。



「クラティラスさん」



 なのでファーストダンス以降、ずっと大広間から姿を消していたイリオスに声をかけられた時は、泣きそうになるほど安堵した。もう疲労を理由にメモを取るために抜けることもできなくて、頭の中がいっぱいいっぱいになってたもん。


 皆に囲まれていた私の手を颯爽と取ると、イリオスは流れるような動作でそのままダンスに誘った。



「クラティラスさん……この後、久しぶりに二人で話しませんか?」



 その表情も声音も固く、余裕がない。


 ファーストダンスのワルツに比べて、動きもステップも激しいタンゴという曲目のせい、ではないだろう。



「何かわかったのね?」



 小声で問うと、イリオスは頷いてみせた。



「デビュタント・ボールの日に嫌な思いをさせなくても、と考えなくもありませんでしたが……『高等部』に入る前には話しておきたかったし、それに今が最大のチャンスなので」



 ついにこの時が来たか。


 私は小さく吐息を落としてから、今日も手袋を何枚も重ねているであろうイリオスのもっこりハンドを握る手にぐっと力を込めた。



「いいわ、覚悟はできてる。知らなきゃ何も始まらない、どんなことだろうと立ち向かってみせるわ」



 ニヤリと不敵無敵な笑みで答えると、イリオスはほっとしたように表情筋を緩めた。緩めるどころか、デロンと蕩けた。



「ふぉぉ……至近距離でその笑顔は反則ですぞ。萌えですぞ。萌えしか生まれませんぞ。萌えティラスに萌え萌えキュンキュンを越えて、萌え萌えギュインギュインドゥルルルルルヒューゥゥンドッカーンですぞぉぉぉ……」



 即座に私は手を離して逃げ出したい衝動に駆られた。


 本当にこいつ、気持ち悪い。キモキモギュインギュインドゥルルルルルヒューゥゥンドッカーンだわ。


 キモギュイドゥルヒュードカンを堪えてダンスを終えると、周囲から拍手が送られた。ありがとう、皆。私、キモオス相手にやり遂げたよ!



 皆の喝采に笑顔で応え、我々は手を繋いだまま大広間を後にし――――ようとしたのだが。



「お待ちください、イリオス殿下!」



 私とイリオスは、嫌だと訴える首の筋肉を叱咤してゆっくりと振り向いた。呼び止めたのが誰なのか、聞き慣れた声音のせいでわかっていたから。



「イリオス殿下、どうか私とも踊っていただけませんか?」



 イリオスの前に膝を付き懇願するは、ヴァリティタ・レヴァンタ。忘れた方が幸せだと思うくらい嫌で仕方ないが、悲しいことに我が実の兄である。



「いや……踊るといっても、僕は女性とのダンスしか知りませんし」


「ご安心ください!」



 イリオスの婉曲な拒絶は届かなかったようで、お兄様は元気良く答えると同時に立ち上がった。



「私が女性パートを踊りますので!」


「女性パートって……ええ!? 何でまた!?」



 私と繋いでいない方の手をお兄様に取られ、イリオスが飛び上がる。連動して私も飛び上がった。



「この日のために、密かに練習しました。先程、妹と踊ったタンゴにしましょう。どうか踊り心地も、妹と比べてみてください。そうすれば、きっと殿下も私のことを」

「わーかーりーまーしーたー! 踊ります! 踊ればいいんですよね! 踊りましょう踊りましょう!」



 その先を言わせまいと、イリオスは半ば自棄気味にお兄様の手を取り返した。そこへ、さっき私が踊った曲と同じ音楽が流れる。空気を読んで、管弦楽隊が奏でてくれたらしい。


 妹に張り合って兄が婚約者にダンスを申し込むなんて、とんだお笑い草だと思う。けれど始まる前は笑いを堪えていた者も、二人が踊り始めると心を奪われたように見入ってしまった。違う、魅入られたのだ。私も時を忘れ、陶然と見惚れた。


 女性パートとはいえ、お兄様はリード型。男性同士でも不自然に見えないよう、それでいて音楽のムードを壊さないようさりげなくアレンジを加えれば、イリオスが呼吸をするようにすんなりと対応する。


 男女の情熱的な愛を表現するタンゴとは、まるで別物――接近しては離れ、睨み合いながらも目を逸らさずにはいられない二人の男性、いや、一人の男性の内面に渦巻く葛藤と明暗を二人で描写した舞台演技――のように、私には見えた。



 こ、これは……萌えを超越した。この昂ぶり荒ぶる感情を的確に伝える言葉が見付からない。尊い、それ一言しか出て来ないでありんす!


 いろいろあってイリオス✕ヴァリティタは地雷になりかけていたけれど、推しになっちゃうかも……だってこんなの見せられて、推さないとかある!? ないでしょ!?



「…………わ、私は認めませんわ」



 いかにも当て馬女な台詞が聞こえて隣を見ると、アンドリアがハンカチを噛んで唸っていた。



「イヤよ、ヴァリティタ様のお相手はネフェロ様なの。こんな、こんなの認めたく……くっ、や、やめるのよ! いけませんわ、イリオス殿下! ヴァリティタ様にそんな表情をお見せにならないで! ヴァリティタ様を蕩けさせるのは、ネフェロ様の笑顔だけと……ぐあぁ、ひょあぁ……イヤ、イヤよ。萌えたくない、萌えだぐ…………っ、うひぃぃん、萌えゆぅぅぅ! イリヴァリ、イヤなのにぃぃぃ、萌えっ、止まらないのぉぉぉ……!」



 快楽落ちするくっころ女騎士みたいな声を放つや、アンドリアは膝から崩れ落ち、昇天してしまった。


 幸い、皆イリオス達のダンスに釘付けとなっていたため、彼女の醜態は誰にも気付かれなかった。しゃーないから、私が引きずってラウンジに運び出しといてあげたよ。


 後のことは控えていた侍女にお任せして、すぐにイリヴァリ鑑賞に戻ったけど、薄情者と呼びたきゃ呼べ。腐女子には、友の屍を乗り越えても行かねばならぬ時があるのだ!

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