腐令嬢、襲撃す
「クラティラス様、やめましょう。やはり、あなたにこんな危険な真似をさせるわけにはいきません」
ネフェロが今になって中止を申し出る。
必死に哀願する表情は萌え萌えのエモエモだったけれど、悶え転がりたい衝動を堪えて私はフフンと鼻で笑ってみせた。
「このくらいの高さ、余裕よ。心配いらないわ」
この建物よりも大きなレヴァンタ家の二階から降りてきたのだ。登るくらいどうってことはない。
我々は招かれざる客だ。なので正面玄関から訪問しても、お兄様に取り次いでもらえない可能性が高い。一応私は妹ではあるけれど、お兄様が会いたくないと拒絶すれば即アウトだ。なので壁をよじ登って、直接お兄様の部屋に突撃する方法でいこうと決めたのである。
ネフェロは最初からお兄様に会おうなんて考えてなかったらしく、外から部屋の灯りを見て、存在を確認するだけで良かったんだと。わざわざ車まで借りてきたってのに、慎ましいにも程があるわ。
その言葉が嘘でない証に、二人で足音を忍ばせて建物に近付いて二階に唯一灯りが点いている部屋を見付けた瞬間、ネフェロはそれだけで胸がいっぱいになったみたいで、両手で口を押さえ翠の瞳を潤ませていた。
ネフェロはこれで満足したのかもしれないけど、私の目的はお兄様に会って話すことだ。
ただの灯り相手に、何を語らえと? ネフェロと違って、『そうか……君は今幸せなんだね』って801テレパシーで超解釈できる能力なんざ私にゃないんだよ!
それに、ネフェロだって本当はお兄様に会いたいはずだ。弟の面影がなくなったといっても、お兄様がそこにいるというだけで感涙しちゃうくらいなんだもん。会って、話したいに決まってる。
うまい具合に、お兄様の部屋の下にはグリーンカーテン用の朝顔の蔓が巻き付いた柵があった。柵は一階の窓の上にまで達しているから、これを登れば何とか二階まで行けそうだ。
「クラティラス様……」
葉をかき分けて柵を登り始めた私に、ネフェロが不安げな声をかける。
「ネフェロだって、お兄様に会いたいんでしょう?」
柵を登り切って一階の窓上部の桟に飛び移ると、私はぶら下がった状態で首を軽く背後に曲げてネフェロを見下ろした。
こちらの世界の建物はどれも天井が高いため、一階でもそこそこの高さがある。なので彼の表情は、二階から落ちる光程度では判別できない。しかし否定されないのが、何よりの返答だった。
「心配しなくても、お兄様は私が連れてくるわ。だからあなたはここで……ああ、でもここにいると、誰かに見付かってしまうかもしれないわね」
ここで待っていて、と言おうとしたけれど、これからの話し合いをネフェロに聞かれてはまずい。知られて困るのは、他でもないお兄様なのだ。
私は懸垂の要領で一階の窓枠に乗り上がり、今度は二階との仕切りにある幕板に手をかけた状態で再び振り向き、ネフェロに告げた。
「ネフェロは車で待機していて。必ず呼びに行くから、私が来るまで待ってるのよ。いい? これは『命令』よ。わかったわね?」
世話係であるネフェロに、私が一爵令嬢として『命令』するのは初めてだ。
記憶が戻る前だって、ネフェロにだけはこんな言い方をしたことはなかった。だってネフェロは、クラティラス・レヴァンタにとって初恋の人なのだから。
「……わかりました。どうかお気を付けて」
軽く逡巡したようだったけれど、ネフェロは静かにそう告げて去っていった。その足音が遠退くのを待って、私は登山ならぬ登家を再開した。
幕板部分を登れば、いよいよ灯りのついた二階の部屋の窓に手が届く。
灯りは漏れているものの、カーテンが閉じられているため、中の様子はわからない。
さて、どうする?
窓を叩いてみるか、名前を呼んでみるか……いやいや、待て待て。まだお兄様の部屋だと決まったわけじゃ……。
そこで私は首を横に振った。
ここまできて、言い訳して逃げようとするんじゃない! たとえ別宅だろうと、使用人達が本館を私的に使用するなんてことはない。今、この館に寝泊まりしているのはお兄様だけ。つまりこの窓の向こうにいるのは、確実にお兄様なのだ。
お兄様がすぐ側にいるというのに、弱気になってどうする? 話をするためにここに来たんだろう? お兄様に会えるのを待っているネフェロのためにも頑張れ、クラティラス・レヴァンタ!
意を決して、私は窓を叩いた。
が、可愛くコンコンするつもりだったのに、力みすぎたせいで拳でドガァン! と襲撃かますみたいになっちゃったよ! うわああ、いきなりやらかしたーー!!
「何だ、何事だ!?」
グーパンノックのおかげで、お兄様は秒で窓を開けてくれた。ついでに、急に怖気付いて、窓枠の下に隠れたヘタレな狼藉者も発見してくれた。
「貴様、一体何者……」
「こ、こんばんは、お兄様……」
「は……!? ク、クラティラス……!?」
恐る恐る顔を上げてみせると、恐らく護身用具として急遽手に取ったと思われる花瓶を頭上に掲げたまま、お兄様は私の名を呼んだ。自己紹介がもう少し遅かったら、あれを顔面に振り下ろされて退治されていたかもしれない。
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