腐令嬢、反論す


 中等部は高等部と違い、クラスごとの催し物というものがない。一年生は合唱、二年生は劇、三年生は自由課題研究と、学年毎に決められた内容をホールで発表するのみだ。発表はプログラムに沿って行われ、昼食前には終了する。自分達のクラスの出し物にさえ出席していれば問題なく、出入りも自由。発表会が終われば、その後は自分の所属する部活の出し物を手伝うなり、帰宅するなり、これもた自由となっている。


 そのため、こんな時間にもなれば中等部本館に居残る者はほぼいない。グラウンドや校庭では、運動部の連中と思われる者達が花火をしたりダンスをしたりしていたようだけれど、そちらもあらかた落ち着いたようで、時折疎らな歓声が聞こえるのみとなっていた。


 十一月半ばともなると、昼でも肌寒い。日が落ちれば、尚更だ。アステリア学園では学内全体に空調が行き届いているけれども、文化祭の終了時刻と定められている六時には消されてしまう。そのため七時を過ぎた現在は、室内も外気に近い気温となっていた。


 冬の香りが濃厚となった冷たい空気が、全力疾走で熱を帯びた身に寒々しく染みる。明かりも空調と同時に消されていたので、私は常夜灯を頼りに足音を殺して薄暗い廊下を歩いた。ドカドカと乱入しては、逃げられてしまうかもしれない。それに私も、彼女に会う前に気持ちを落ち着かせておきたかった。


 目的地は、中等部二階にあるアトリウムスペース。

 一年生の時の文化祭と同じように、私は柱の影からそっと様子を窺った。


 アトリウムの天井は、大きな天窓となっている。本日は月が満ちているおかげで射し込む月明かりはとても明るく、そこに一人佇む人物のオリーブ色の髪の艷やかな質感や憂いの表情まで鮮明に見えた。



「…………また、覗き見? あなたという人は、本当に懲りないわね」



 こちらを向きもせず、サヴラは呆れを通り越して諦めたような力無い声音で私に告げた。二年前と同じく、今回も即バレたらしい。



「な、何でわかったの?」


「わかるに決まっているでしょう。前もそうだったけれど、獣みたいに荒々しい鼻息が丸聞こえだもの。気付かないのは、あなたと同じお間抜けさんのお兄様くらいよ」



 そう言って薄く笑うサヴラに、私はゆっくりと歩み寄った。


 サヴラは部屋着と思われる薄いドレスのままだった。おまけに靴も履いていない。それに気付くと、私は慌てて制服の上着を脱ぎ、彼女に着せかけた。



「まだ療養中なんでしょう? だったらこんな時間にこんな薄着で、こんな寒い場所にいつまでもいてはいけないわ。病気が悪化したら……」


「あたくしなんかより、ご自分のことを大事になさって。第三王子殿下の婚約者であるあなたに風邪を引かせてしまったら、それこそあたくしは家から追放されるだけでは済まなくなるわ。あたくしは病気でも何でもないから、安心してちょうだい」



 サヴラは上着を私に着せかけ返し、また自嘲気味に笑った。



「病気療養中というのは、パスハリア家お得意の隠蔽のための嘘よ。あたくしはただ軟禁されていただけ。去年の体育祭後と同じようにね」



 ビックリが仰天で驚きぶったまげ、私は思わずサヴラの細い肩を掴んだ。



「な、軟禁って何何何? ちょちょちょちょっとサヴラ、今度は何をしたの!?」



 私の手で激しく揺らされつつも、サヴラの静かに諦観した表情は変わらなかった。



「大したことではないわ。家を出て海外に行くつもりだから、あなたのお兄様との婚約を解消させてほしいと言っただけよ。両親はあたくしの考えが変わるまで外に出さないと脅してきたけれど、あたくしは決意を変える気はないわ」



 サヴラの言葉に、私は今更になって思い出した。あの体育祭の一件から、彼女の成績が急に上がったことを。


 サヴラもまた、自分と同じことを考えていたのだ。



「…………夏休みに、ヴァリティタ様からお手紙が届いたの。仲直り、できたんですってね」



 サヴラはやけに凪いだ口調で、ここにきて初めてお兄様の名前を口にした。驚きからの衝撃で、私はますます動けなくなった。



「あなたに想いを伝えたと、書いてあったわ。だからあたくしとは、結婚できない、と。わかっていたことだけれど……やっぱり、辛いわね」



 サヴラは笑おうとしたらしい。けれど上がりかけた口角は震えて、それは叶わなかった。綺麗な翡翠色の瞳から、大粒の涙が零れ落ちる。


 堪らず、私は彼女を抱き締めた。



「あんたなんか、大嫌いよ……。あんたさえ、いなければ……あたくしは、こんな思いをせずに済んだのに……!」



 罵倒しながらもサヴラは私を突き放したりせず、背中に手を回してしがみついていた。


 居場所のない家で冷え切った心。そこに灯った唯一の光を失った彼女には、目の前の温もりに縋るしかできなかったんだろう。たとえそれが、恋敵の体温であろうとも。



「あたくしのことなんて、誰も愛してくれないのよ……! ずっとそうだった、いつも独りぼっち。そうよ、あんたがいようといなかろうと、同じだったのよ。こんなあたくしを、ヴァリティタ様が愛してくださるはずがない。誰かを好きになるなんて、あたくしには許されないのだわ……!」


「サヴラ、いい加減にしなさい」



 黙って受け止めようと思っていたけれど、この言葉にだけは反論せずにはいられなかった。


 サヴラの両肩を掴んで引き剥がすと、私は彼女の涙に濡れた目を真っ直ぐに見据えた。



「私のことは、どれだけ貶してもいいわ。でも、あなたが自分自身を否定するのは間違っている。ずっと独りぼっちだったからといって何なの? それが恋をしてはいけない理由になる? 想いが実らなかったから、また辛い思いをしたくないと逃げているだけじゃない」



 小さく嗚咽を漏らすのみで、サヴラは言い返してこなかった。


 彼女だって、本当はわかっているはずだ。愛されたいとどれだけ願っても届かないと、独りよがりに嘆いてたってどうにもならないことを。

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