腐令嬢、認める


 初等部最後の夏休みを犠牲にした甲斐あり、皆の成績は飛躍的に向上した。



 九月の半ばになると、お兄様はパスハリア一爵令嬢との対面のために仕立てたモーニングコートで装い、両親と一緒に出かけていった。この日ばかりはヤンチャ魂を封じられたように大人しく、車の窓からドナドナみたいな目をして私を見ていた兄の姿はとても痛々しくて――胸が苦しくなった。


 しかし帰ってきたお兄様は朝以上に暗い表情をしており、夕食も辞して部屋に閉じ籠もってしまった。


 相手がとんでもないブスだったのか、それとも言葉が通じないレベルのアホだったのか、はたまた何かやらかしてパスハリア家を怒らせてしまったのかといろいろ気にはなったけれど、兄と同様にお父様とお母様もひどく元気がなかったので、とても聞ける雰囲気ではなかった。


 翌週には正式に婚約が成立したものの、お父様もお母様も形だけといった棒読みの祝辞を述べ、お兄様も仮面のような固い表情でそれに応えるのみで――誰も喜んでいるようには見えなかった。



 そしてパスハリア家を訪れた日以来、お兄様は人が変わったように物静かになった。


 用事がある時以外は部屋から出て来ず、私にちょっかいをかけることもなくなった。



  実はドッキリ企画で『どうだ、お兄様の大切さがわかっただろう』とある日いきなり飛び付いてくるんじゃないかと身構えていたけれど、そんなこともなかった。



 突然の妹離れ。



 婚約をきっかけに、行動も改めねばならないと考えたのだろうか。


 あれほど鬱陶しいと思っていたのに、お兄様の変化を寂しいと感じてしまう私は――やはり、この世界では異端なのだろう。




「パスハリア家のお嬢様なら存じておりますわ。お美しい方でしてよ」



 アンドリアが、ブルーアッシュの縦ロールの髪を揺らして答える。



「深い緑の髪と翡翠色の瞳が、まるで妖精のように神秘的な雰囲気で……あの方なら、ヴァリティタ様とお似合いだと思いますわ」



 そう答えて灰がかった青い目を伏せる彼女に、私はかける言葉が見付からなかった。



 ここはマリリーダ二爵邸の三階にある、アンドリアの寝室。


 今日は、兄の婚約を知ってから一週間寝込んでしまったアンドリアのお見舞いに来たのである。断られることを覚悟でアポ無し突撃したけれど、意外にもアンドリアはあっさりと面会を許してくれた。



 彼女がヴァリティタお兄様に想いを寄せていることは、鈍感な私にもわかっていた。


 婚約したお兄様にも、彼を好きになったアンドリアにも非はない。愛した人と結ばれる、それが難しい世界であり難しい環境に我々は生きているのだ。


 けれど、少なからず自分には彼女を傷付けた責任がある。だって私がBLを教えなければ、アンドリアはここまでお兄様に入れ込むことはなかっただろうから。



 何と言って詫びようかとまごまごしていると、彼女は『萌え対象という尊い存在に色恋の感情を抱いてしまった自分が愚かだった』と静かに自分の思いを吐露した。



「はあ……至高のヴァリ✕ネフェに己の感情を混同してしまうなんて、私ってばまだまだ未熟ですわねえ。御本尊が女とくっつこうと、私の中のヴァリ✕ネフェが死ぬわけではないというのに。こんな単純なことに気付かず、ショックを受けてしまうなんて。早く遅れを取り戻さなくては、ステファニさんにまた怒られてしまいますわ」


「えっ……ええ、そうね」



 ベッドの傍らに置かれた椅子に腰掛けていた私は、アンドリアの言葉に驚いて軽く動揺した。


 目的がなくなったのだから苦手な勉強に精を出す意味がない、受験もやめる、と告げられるのではないかと思っていたので。


 その様子に気付いたようで、アンドリアはフフンと意地悪く笑ってみせた。



「もしやクラティラスさん、私がヴァリティタ様のご婚約で受験を諦めるとでも思ったのかしら? ありえませんわ、私は必ず合格してみせますわよ! そうでなくては、ヴァリティタ様が私のために取ってくださった時間が無駄になってしまいますもの」



 それから彼女はサイドテーブルの上に飾ってあった可愛らしい包みを取り、うっとりと目を細めた。



「これが何か、おわかりかしら? ネフェロ様のお作りになったお菓子をミックスしたものよ。実は少しずつ残して、こっそり持ち帰っていたの」


「え、いや、待って。焼菓子ならまだわかるけど、ケーキとかゼリーとか、生物もかなりあったよね?」


「挫けそうになったら、これをほんの少し口にするの。するとネフェロ様成分を摂取した効果で、とってもハイになるのよ!」



 私の声など聞こえていないようで、アンドリアは恍惚の表情でその包みについてを熱く語った。



 まさか、こいつが寝込んだのって……。



「ヴァリティタ様のご婚約を知った時は、やはりショックで……それでネフェロ様に慰めていただこうと、いつもより多めに摂取してしまったの。ところが、体があまりにたくさんのネフェロ様成分にビックリしたみたい。結局お腹を壊して、殆ど吸収できないまま排出されたのですわ。はぁ、勿体ないことをしてしまいました」



 …………バカか、こいつは!?


 いや、バカだな! 文句なしの真正バカだ!!



「でも大丈夫です、まだ残ってますから。お薬の代わりに、これを服用しているのよ。ネフェロ様のお力で、きっとすぐ元気になりますわ!」



 アンドリアが高々と掲げたその袋を、私は問答無用で奪い取り、窓から投げ捨てた。



 もちろんアンドリアはギャンギャン泣き喚いて責め立ててきたが、ネフェロの手作り菓子が欲しいならいくらでも差し入れするからこんなことはやめてくれと必死にお願いし、何とか納得してもらった。



 これでいつまで経っても治らなかったという腹の不調は、快方に向かうだろう。



 悲しみに暮れているんじゃないかと心配してたのに……痛めてたのは心じゃなくて体の方だったとはね!


 あんた、私が想像する以上に立派な腐女子だよ! 太鼓判を押してやるわ!!

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