腐令嬢、白ける


 夏の暑さが過ぎ去ると、衣替えの十月を境に、冷えた空気が肌にしみるようになっていった。それにつれて、景色も物寂しい様相へと移り行く。蝉に代わって歌を奏でていた虫の声も遠退き、いつしか耳に届かなくなった。


 秋から晩秋、晩秋から初冬を経て、アステリア王国は本格的な冬を迎えた。


 そして、例年よりやや遅れた初雪が世界を薄く白に染め始めた頃――私は久しぶりに王宮へと呼ばれた。



 ええ、第三王子殿下のお誕生日のためにね。


 もう婚約したことですし、今年からは嫁選びがメインだった盛大なパーティーはしないんだって。でも『せっかくだから二人きりでゆっくり祝うといいYO! 誰にも邪魔されずにバースデーパーティーしなYO!』と国王陛下がわざわざ取り計らってくださったの。ご親切にありがとうございますですわ、こんちくしょうめ。



 はっきり言って受験を控えた身としては、この時期にクソ面倒臭いご招待はご遠慮願いたい。むしろ受験を控えてなくても、ご遠慮願いたい。


 というか、空気を読んで王子の方から辞退しろっての。



 そう叫びたくても、拒否権は私にはない。


 普段は勉強の邪魔になるようなことは絶許という姿勢のお父様もお母様も『夏以来会ってないんだからイケイケゴーゴー! ラブラブハイハイ!』と手放しで喜び、ネフェロとステファニに至っては『見るに耐えない醜い寝姿を披露してしまったマイナス分を取り返すべく、華やかに装って殿下を惚れ直させるのです!』とドレス選びからメイクにまで細々と口を出し――皆の手でクリスマスツリーの飾り付けみたいにおめかしされた状態で、私はお城に向かった。



「おたんじょーび、おめでとーございまーす」



 適当極まりないお祝いの言葉と共に、私はペールブルーのドレスと同系色の青い薔薇の花束を差し出した。



「わー、うれしーでーす。ありがとーございまーす」



 ダークグレーのタキシード姿で待ち受けていたイリオス様も、やる気皆無で返答する。



 恒例の如く向かい合って睨み合っていると、私は不意に彼の変化に気が付いた。


 相手の目線が、最後に会った時よりも高い。あれ、こいつ……最後に会った夏から、かなり身長伸びたんじゃね?



「さあ? クラティラスさんが縮んだんじゃないですかぁ?」



 なんて本人はすっとぼけていたけど、滑らかだったボーイソプラノだった声も若干掠れて低くなっている。どうやら変声期も到来したようだ。



 憂鬱な気分は、しかしイリオス様のお部屋に用意された食事を見るや否や、吹っ飛んだ。


 籠にモリモリのポテチ、大好きだったコンビニエンスストア・ヤッソンのヤスチキ風のフライドチキン、しなしなのフライドポテト、白身魚フライを挟んだフィッシュバーガーに薄っぺらいパンケーキと、嬉し懐かしなジャンクメニューがてんこ盛り!


 イリオス様が申し付けて、作らせたらしい。こっちの世界にはクリスマスがないけど、クリスマス気分を少しでも味わってみたかったとのことで。


 オタイガーのくせにやるじゃーん!

 実は私も、クリスマスがないのをちょっと寂しく思ってたんだよーう!!



「ね、夏の終わりくらいに、ステファニと会ったよね? どう、かなり雰囲気変わってなかった? 家では大喜びでイリオス殿下とこんな話をしてくださった、こんな表情をなさっていたって詳細に報告しては、目盛を最大にしたマッサージ機みたいにクネクネ悶えてたよ」


「えー、そうなんですかぁ? 僕の前ではいつも通りでしたよ……寂しいですなぁ。そちらの方はどうです? 受験まで二ヶ月切りましたけど」


「あー……うん、まあまあ、かなあ? 江宮えみやはどうせ余裕なんだろ」


「そうですなー。高校受験の時みたいに、インフルエンザに邪魔されなければ大丈夫かと」



 有名進学校を受験予定だった江宮が私のようなアホと同じ高校に通っていたのは、それが理由だ。


 しかも本命のみならず、入試時期に集中して三度もインフルにやられて、滑り止めの滑り止めまで受験できなかったんだって。賢いんだかアホなんだかわからん奴だ。



「…………考えたんですけれどね」



 食事を終えて食器を下げてもらうと、イリオス様がコーヒーを口にしつつ提案した。



「お互い、ちゃんと現在の名前で呼ぶようにしませんか? 今のように人が来ない密室なら問題ありませんが、同じ学校に通うようになったらボロが出るかもしれないので」


「あー……私がうっかりリゲルとステファニに漏らしちゃったもんね。黙っとけば『二人だけの呼び名なの! エミヤは異国語でゴミクソカス、オーカミは最高美人女神という意味なのよ!』で何とかなったのに」


「何とかなってませんぞー。不敬罪まっしぐらですぞー。愛情の裏返しを表現しようとして、滑って転んで絞首台に落ちる気ですかー。体張った受験生ギャグですかー」


「うるせーな、ただの例えじゃねーか。はいはい、これからはイリオス様って呼びますよ。江宮に様付け呼びなんてチョーダルいけど、仕方ねーもん」



 そう言うと私は溜息を、熱々のコーヒーに吹きかけた。クラティラスも大神おおかみ那央なおと同じで猫舌なのだ。


 イリオス様はやれやれといった風に肩を竦め、それから静かに告げた。



「イリオスで構いませんぞ」


「へ? 呼び捨てにして、いいの?」


「いいですよ、僕だって大神さんに様付けで呼ばれたら気持ち悪いんで。僕は最推しのクラティラス嬢を呼び捨てになどできませんし、大神さんについてもクソウルと心の中で罵りつつ、嫌々ながらもさん付けで呼び続けて差し上げてましたから、クラティラスさんと呼びます」


「おい、クソウル腐って。嫌々って。差し上げてって」


「じゃそういうことで、人前では絶対に前世の名前は口にしないように。いいですね?」



 イリオス様……じゃなくてイリオスは再度念を押してきた。


 うーん、中身はオタイガーとはいえ王族を呼び捨てにしていいもんなの?

 でも、本人がいいって言ってるんだからいいのかな。いい、よね……いいんだよな、よし。



「……ええ、わかりましたわ、イリオス」



 優雅な微笑みを作り、私は初めて声に出して第三王子殿下を呼び捨てにしてみた。



「…………クッソ、こんなので! 中身はクソウル腐なのに! ゴミクソウル腐なのに! しかしゴミクソカスウル腐であろうと、このヴィジュアルは卑怯です反則です天使です! ああっ、悔しいけれどゴミクソカスヘボクズウル腐とはいえ萌えますですぞー!」



 イリオスがソファから雪崩落ち、床でのたうち回って悶え転がる。その姿を、私は外の空気より冷たい目で眺めていた。



 こんな気持ち悪くて失礼極まりないクソ野郎を、将来は次期国王陛下の片腕にしようなんて現国王陛下もどうかしてるよ。


 平和なこの国が乱れて戦記が開始しちゃうのって、私の暗殺関係なしに、こいつがバカやらかすせいなんじゃなかろうか?

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